009
夜中。
真っ暗な夜中。
ピーンポーンッ
こんな夜中にも関わらず、僕の家のチャイムは鳴り響いた。
不眠症のせいで眠れない僕にとっては夜中でも昼中でもあまり変わらない。
手にしていた筆を無造作に床に投げ捨て、僕は玄関まで歩いていく。
ガチャッ
「・・・静信さん?」
「こんな夜中にすまない」
困った表情をした静信さんが、ヘルメットを片手に佇んでいた。
少し離れた場所を見れば、何故か煙を発した二輪車。
「故障ですか?」
「ぅん・・・」
軽く苦笑を浮かべた静信さんから少し離れた場所にある煙を発しているその二輪車を見た。
まるで唸るような音がする。素人では修理できないということは目に見えて分る。
案の定、ボフンッと明らかに平常ではない音を立てた後、二輪車は大人しくなった。
それを呆然とみていた静信さんは、次第に慌てだす。
無言で二輪車に近付いた僕は、二輪車を確認して小さくため息を吐く。
「修理に出さないといけませんね」
「ぅ、うん。そうしないと、いけないようだ」
「これから歩いて寺に戻るのは困難でしょう。・・・泊まって行きますか?」
「ぇッ!ぃ、いいのかい?」
驚いた表情をする静信さんに「はい」と頷き、部屋に招き入れる。
静信さんにしても敏夫さんにしても、僕の家に来ることに慣れているためか、スリッパを履いて僕の後ろを付いていくまでの動作がとても自然。
しかし、静信さんは僕をチラチラッと見ては申し訳無さそうな表情をしていて、普段より少し動きが鈍い。
「気にしなくて良いですよ。僕は、どうせ眠れませんから」
「けど・・・」
「こんな夜中に、何をしに行っていたんですか?」
話題を変えるように言うと、彼はハッとして「ちょっと、お経を頼まれてしまって・・・」と呟いた。
その言葉に少しだけ眉を寄せた。
「夜中に?」
「僕も驚いたよ。けど、行かないわけにも行かなくて、その帰りにああなってしまったんだ」
とりあえず外に放置してある二輪車を思い出して苦笑を浮かべる静信さんを横目にアトリエへ足を踏み込む。
作りかけの絵が広がっているそのアトリエに、僕と同様に足を踏み入れた静信さんは、ちょっとだけ息を呑んだ。
「大きい・・・」
「それ、敏夫さんにも言われました」
やはり幼馴染か。
そう思いつつ、無造作に投げ捨てたままだった筆を拾い上げて端に寄せる。
「ぁ、名前呼ぶようになったんだ?」
「えぇ、まぁ・・・」
何が嬉しいのか、僕がそう返事をすると静信さんは少し笑った。
「絵・・・続きを、描いてくれないかい?」
「・・・・・・」
その言葉に、端に寄せたばかりの筆を持ち直し、そっとパレットを指に引っ掛けた。
ペタッ・・・
ペタッ
小さな音が、静かな部屋に響く。
静信さんは静かに僕の手元を眺めているだけ。
ペタッ
大分塗り終わったところで、既に午前1時を迎えていた。
「静信さん・・・眠たくないですか?」
この集落に来る前の僕だったら、この時間は眠気を感じていたはず。今はどうしても眠れないが。
「あぁ・・・少し・・・」
目をこすりながらも僕の手元をジッと見ている静信さんに少しため息をつき、筆をそっと床に置いた。
「寝室に案内します」
「けど・・・」
――まだ見ていたい。
小さな声で紡がれたその言葉に僕は少し驚きつつ、絵の具の付着した手を洗った僕は静信さんを僕が眠ることに使うことの無い寝室へと連れて行く。
真っ白なシーツが敷かれているベッドに静信さんを腰掛けさせ、既にふらふらの静信さんが身に着けていた、少しきつそうな僧衣を脱がせると、後にはゆったりとした着流しのような服が残った。
ベッドに横にさせると、静信さんはボーッとした目で僕を見上げ・・・
「○○さんも・・・寝よう」
「・・・寝れませんよ、僕は」
「いいから・・・」
まるで寝るフリだけでもしろと言うように、静信さんに腕を引かれ、ベッドに入る。
・・・ベッドに入ったのは、何ヶ月ぶりだろうか。
「・・・おやすみ・・・○○さん」
「・・・おやすみなさい」
この言葉も、何ヶ月ぶりだろうか。
とりあえず・・・
寝れもしない僕は、
静信さんの微かな規則正しい寝息を耳に感じながら、目を閉じた。
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