002
ジャアアァァァァァアアアアアッ
まるで肌に叩きつけるようにシャワーのお湯を出す。
全てを洗い流すような勢い。
水圧だけでは手にこびり付いた絵の具が取れるわけもなく、僕はこの集落の雑貨店のような場所でで購入した石鹸を泡立てて身体を擦る。
泡が排水溝に吸い込まれていく様をボーッと眺めていると、不意にピーンポーンッと間の抜けたチャイムの音が聞こえた。
来客だろうか。そう思い、キュッと蛇口を閉め、脱衣所に用意していたタオルで適当に身体を拭き、服を着る。
あまり客を待たせるわけにもいかないから、換えの真っ白なシャツもボタンがほとんど閉じられなかった。
客の予想はついている。だから僕は、頭をガシガシッと拭きながら歩き、玄関の扉を開けた。
「せめてシャツのボタンは閉めろ」
煙草を口に挟んでそう呟いた彼に、僕は特に何も言わず、頭を黙々と拭く。
「相変わらず、玄関を開けた瞬間凄いニオイが漂ってくるな」
「嫌なら訪ねてこなくても良いですよ。医院ぐらい、僕の方から行きますし」
不眠症になってからというもの、僕はこの院長のいる医院・・・というか、小さな診療所に足を運ぶ。
最初こそ、頻繁に足を運んでいた僕も、今では自分の不眠症に無頓着になってきていて、その頃から変わりに彼が僕のところに足を運ぶようになってきた。
「この間そう言ってた癖に、アンタは来なかっただろう。ホラ、薬だ」
そういって紙袋に入った薬を差し出してきた彼に短く「どうも」とお礼を言う。
中に入っている薬は精神安定剤や睡眠薬やら・・・それと、気を遣うようにビタミン剤などの薬も混ざっている。
「睡眠薬も精神安定剤も、いりませんよ。どうせ・・・――効かないんですから」
稀に、薬の効果が薄い人間がいるらしい。
不運なことに、僕はその“稀”に該当してしまって、睡眠薬の類が効かない。
不眠症になった当初に出された薬よりも効果が強くなっている睡眠薬も、僕には効いてくれないがために、今も不眠症は継続中。
精神不安によるものかとも推測され、精神安定剤も出され始めたが、それも効果無し。
すでに彼のところへ言って診察を受ける必要性を感じなくなっている僕は、ひたすらに絵の制作を進めるしかなかった。
「中、入っても良いか?」
「その煙草を消して下さるのなら、大丈夫ですよ」
「ぉっと失礼」
煙草の火をけした彼が玄関に足を踏み込み、近くにおいてある来客用のスリッパをはいた。
スリッパを履かなければ足の裏に絵の具がついてしまうことを、何回も来ている彼はよく理解している。
水気がほとんど飛んだ頭からタオルを退かし、首にかけた僕は彼を案内するように歩く。
部屋の一番広い場所・・・最初はリビングだったはずのソコは、今は絵に溢れかえった混沌とした場所と化している。
「相変わらず凄い部屋だな。・・・ぉ、一枚完成してるな」
ひょこっと絵を覗く彼をチラッと見てから、僕は完成した自分の絵を見る。
外場は、木々に溢れている。
それは、引っ越してきてこの家を購入した僕の家の周りだって同じで、必然的に木々を題材とすることが多くなった。
枯れ落ちた木々を踏み台に、青々とした木々が茂っている絵。
踏み台にされた木々は何処までも暗く、我が物顔で立っている木々は何処までも明るく。
利用される側とする側。そんな絵だ。
「俺は絵心は無いが、この絵はきっと凄いんだろうな」
ぽつりと呟いた彼に「さぁ、僕にはわかりません」と返事をして、その絵を無造作に掴んで、部屋の隅の壁に投げ捨てるように置く。
「おいおい。自分の作品なのに、やけに乱暴だな」
「どうせ、寝れない間の暇潰しに描いた絵ですから」
ずっと目を開き続け、描いた絵。
描く間は力が入っていても、描き終わった絵には興味をそがれ、ただのガラクタにしか見えなくなってしまうのは、きっと僕の悪い癖なのかもしれない。
「だったら、俺に一枚絵を描いてくれないか?」
唐突な一言に、僕は「・・・絵を?」と少し首をかしげる。
「診察室の壁にでも飾ろうと思ってな。どうだ、頼まれてくれるか?」
「・・・まぁ、良いですよ」
断る理由はない。
どうせ・・・―今夜も眠れないのだから。
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