「この公式はほぼ確実にテストに出ます。皆さん、しっかりノートに取っておくように」
黒板の前で淡々とした声でそういった先生を見ながら、俺は軽く頬杖をついていた。
この教師は、若くて授業もわかりやすいと評判だ。
他の生徒が慌ててノートに取っているのを見て、俺もそれを軽くノートに書きとる。
生徒たちがノートを書き終わる頃に、チャイムの音が響く。
「じゃぁ、今日はここまで。次の時間には小テストもする予定です。しっかり勉強しておいてください」
えぇー!?という生徒たちの声にまったく動じる様子はなく、先生は生徒に号令を頼み、授業を終わらせた。
教室から出ていく先生に、俺は席から立ち上がる。
廊下に出れば、先生の後ろ姿が見える。廊下に出ている人間は、まだ授業が終わったばかりだからなのか、まだ少ない。
「先生。名字先生」
「・・・ん?あぁ、宮田君」
すぐに俺の声に気付いて振り返ってくれた先生に「荷物、半分持ちます」と言うと、先生はきょとんとした。
生徒に持たせるほど荷物は多くはない。
けれど先生は俺の申し出を断るのを申し訳なく思ったのか、すぐにその顔に笑みを浮かべてくれて「有難う。じゃぁ、持ってもらおうかな」と俺に教材を半分渡した。
先生から教材を受け取って、先生の隣を歩く。
「わざわざ荷物を持ってくれるなんて、感心ですね」
「ぃえ・・・」
媚を売っているように見えるだろうか?
媚を売っているつもりはない。
・・・いや、媚かもしれないな。
まぁ、欲しいのは成績ではないが。
先生と共に一つの部屋に到着する。
数学準備室、なんて言えば聞こえは良いかもしれないが、実際は校内の隅っこにある倉庫のようなその場所を、先生が綺麗に片づけて使っている場所。
何故わざわざ職員室ではなく、此処を拠点にしているのだろう。と、少しだけ不思議に思ったこともある。
けれどその理由はすぐに分かった。
この人は・・・
「・・・さて。荷物を運んでくれてありがとうね。もう帰った方が良い。次の授業の準備もあるだろうし」
――他人が嫌いなんだ。
良い先生という仮面の下に、他人への嫌悪が沢山渦巻いている。
きっと、俺が今この場所にいることさえ、先生は煩わしいのだろう。
「もう少し此処にいても良いですか」
「・・・けれど、時間が――」
「まだ時間があります。それに、次の授業は自習なんで、少し遅れても大丈夫です」
「・・・そう」
ほら。今、物凄く不機嫌そうな雰囲気を出した。
他の人間なら、そうそう気づけないであろう変化に、俺は何故だか気づけた。
他の生徒たちは絶対に気付けない。
なのに、先生を好きだと話している女子たちがいると、何だか嗤ってやりたくなった。
先生が日々どれだけ他人を迷惑だと思っているか、わからない癖に。気づけない癖に。
俺だったら、先生の雰囲気に変化は、すぐに気づける。
それが何だか・・・俺に優越感を与えた。
俺だって、煩わしいと思われている人間の一人なのに、その優越感は大きすぎて・・・俺は先生に近づかずにはいられなくなった。
「じゃぁ、そこの椅子に座ってください」
おそらく、椅子に座ったまま、この部屋ではうろちょろするなと言いたのだろう。
俺は「はい」と返事をして椅子に腰かける。
先生が個人的に持ってきたコーヒーメーカーから、温かな珈琲が用意される。
「珈琲は飲めますか?」
「はい」
俺の分まで用意してくれた先生。
目がそれ飲んだらとっとと帰れと語っているが、俺はソレを無視しながら珈琲を受け取った。
「先生。俺、先生に言いたいことがあるんです」
「そうなんですか。どうぞ話してください」
自分の椅子に腰かけ、珈琲をすする先生。
先生は俺の話を聞く気なんて、さらさらないだろう。
だから、この際言ってしまおう。
「先生は相当他人が嫌いなんですね」
「・・・・・・」
俺の言葉を耳にした先生の目が冷ややかに細められた。
ゆっくりと俺を見る先生の顔には、一切の笑顔がない。
「どうしてそう思うんですか?」
口調だけは、かろうじて丁寧。
「今だって、先生は俺のこと、相当煩わしいと雰囲気で語ってますから」
「面白いことを言うね。宮田君は」
ふっと笑った先生が、珈琲のなくなった自分のカップを机に置いて、俺の手にある同じく空っぽのカップもそっと取って机に置いた。
瞬間・・・その顔から、表情が無くなった。
そっと俺の肩に置かれる手。
無表情の先生が「まぁ、間違ってはいないさ」と呟いた。
「あぁ、そうだ。私は他人が嫌いだ。だから何だ?」
冷ややかな声が先生の口から出る。
「用事がそれだけなら、さっさと出て行くことだ。これ以上、無駄な話で時間を使いたくない」
「もう一つあります」
「・・・・・・」
鬱陶しそうな顔を、今度は隠そうとはしなかった。
それでも良い。
俺が初めて、先生の“本当”を見ているんだ。優越感は増す。
けれど、俺が感じているのは、優越感だけではない。俺は――
「先生が好きです」
「・・・可笑しなことを」
先生の顔に浮かんだ冷ややかな笑み。
俺はそれを返すようにフッと笑った。
「酷い人嫌いなのに、それを隠してにこにこ笑ってる先生が、好きですよ」
「子供のうちだけだ。どうせすぐに心変わりするだろう」
馬鹿にしたような顔。
先生は「ほら。そろそろ鐘がなるだろうから、出ていくんだ」と扉を指さした。
俺はゆっくり立ち上がり、出口へと歩く。
「先生」
「・・・なんだ」
「俺が心変わりしなかったら、先生は俺のこと、好きになってくれますか?」
先生が無表情で俺に近づいてくる。
グッと背中を押され、廊下に出された。
「うぬぼれんな、餓鬼が」
ピシャッと目の前で扉が閉められる。
けれど俺は、特にショックを受けたわけではない。
何故なら・・・
――扉を閉める瞬間、先生はどこか楽しそうな笑みを浮かべていたから。
ほら。
今日も俺だけが知ってる先生の顔が見れた。
人嫌いな先生を好きな生徒
(意外に満更でもないかもしれない先生)