小さい頃の話だ。
村に、一人の青年がやってきた。
元々、母親がこの村の出身だったようで、母親の故郷を一度見てみたいということでやってきたのだ。
その人は礼儀正しく、神代や教会、宮田にまで挨拶を済ませてから、すばらく村に滞在することになった。
好青年と言った感じのその人に、村の人々は悪い印象は持っていなかったと思う。
あの人は優しかった。
そう。俺にまで、優しく接してきた。
「始めました、僕は名前。君は宮田医院のお子さんかな?名前は何て言うの?」
「し、司郎・・・です」
「そう!司郎君って言うんだね。礼儀正しい良い子だ」
「・・・良い、子?」
「うん。司郎君はとっても良い子だね」
何処までも優しい笑みを浮かべて言う名前さんを、俺は一瞬で好きになった。
何時までこの村にいるの?
ずっと一緒にいてよ。
そう言っては、あの人に苦笑を浮かべさせていた気がする。
「名前さん。ぁのね・・・」
「なぁに?司郎君」
「名前さんのこと・・・すき・・・」
「フフッ。僕も司郎君のこと、大好きだよ」
「ほんとっ?」
「もちろんだよ。こんなに良い子の司郎君を、好きにならないわけないじゃないか」
幼いながら、俺は名前さんを愛してた。
けれど名前さんはどうだったか知らない。
だって、あの人はきっと・・・俺のことを“弟”ぐらいにしか思ってないだろうから。
それでも、大好きなあの人に好きだと言ってもらえるのは、本気で嬉しかった。
「じゃ、じゃぁ・・・」
「ん?なぁに?」
「ずっと・・・一緒にいてくれる?」
「・・・ぅーん・・・」
困ったような表情。
その表情を見ると、ついつい泣きそうになった。
「ダメ、なの・・・?」
「ダメじゃないさ。けど、僕も司郎君もまだ子供だからね。僕が大きくなって、司郎君も大きくならないと、ちょっと難しいかもね」
「す、すぐ大きくなるっ」
「クスクスッ。急がなくても良いんだよ。大丈夫・・・大丈夫さ・・・」
その時の名前さんが、酷くさびしそうな顔をしていた理由なんて、その時の俺にはよくわからなかった。今だってわからない。
もしかしたら・・・
「ぃやッ、嫌だよ、名前さんっ」
「ごめんね、司郎君。もう、帰らなきゃいけないんだ」
それは、自分がもうすぐ帰ってしまうから・・・俺とずっと一緒になんていられないんだと、わかっていたからかもしれない。
村の人々への別れの挨拶を済ませ、車に乗り込もうとした名前さんに抱きついた俺。
嫌だ嫌だという俺の頭を撫でて、名前さんは「ごめんね」と謝った。
謝るぐらいなら・・・
「連れてってよ、名前さん・・・」
ねぇお願い。と、必死でお願いした。
名前さんは苦笑にも似た笑みを浮かべた後、俺をそっと抱き締めたんだ。
「そうだね・・・僕が大きくなったら、司郎君をお嫁さんに貰ってあげるよ」
「お嫁さん?」
「クスッ・・・まぁ、司郎君が覚えていたらね」
楽しげに笑った名前さんに、その時の俺は何度も頷いた。
嬉しかったんだ。ただただ名前さんの言葉を信じてた。
「覚えてるっ!絶対、覚えてる!」
「フフッ・・・約束だね」
「うん。約束・・・」
その時交わした指切り。
名前さんは――・・・
「覚えてくれてるだろうか・・・」
院長室でぽつりと呟いた。
先ほど、唐突に思い出した過去の記憶。
「・・・なんて、覚えているわけがないか・・・」
必死だったのは俺だけ。
名前さんにしてみたら、俺なんて・・・
コンコンッ
突然ノックさせる扉に「なんだ」と返事をすれば「先生、お客様です」という美奈の声が聞こえた。
「どうぞ」
静かに言えば、扉がキィッと開く。
俺は大きく目を見開いた。
「こんにちは、司郎君。いや・・・今は、宮田先生なのかな?」
バタンッと閉じられた扉。
扉を背に微笑んでいるその人は、昔の面影をしっかりと残し、それと同時に昔よりもグッと大人の色気というのか・・・それを増していて――
「名前さんッ!!!!」
気づけば、俺は名前さんに抱きついていた。
「ぉ、っと・・・司郎君、大きくなったね。見違えちゃった」
あぁ、優しい笑顔。落ち着いている声。やっぱり名前さんだ。
「遅くなってごめんね・・・?」
その言葉にハッとする。
「約束・・・覚えて・・・?」
「僕から言ったのに、忘れるわけないよ」
ニコッとほほ笑んだ彼。
「今すぐじゃないけど・・・君がまだ僕と一緒に行きたいなら――」
「行きたいッ、行きたいに決まってますっ」
あぁまるで夢のようだ。
夢じゃなければ良い。これは現実なんだ。きっとそうなんだ。
「司郎君・・・」
「は、ぃ・・・」
優しい優しい名前さんの声が、脳をも震わせそうになる。
「君を迎えに来ました。僕の可愛いプリンセス」
プリンセスという柄でもない俺に向けて、名前さんは微笑んだ。
俺は涙を流しそうになりつつも、それを堪え・・・
「やっとですか、王子様」
泣きそうな笑みを浮かべた。
可愛い僕のプリンセス