彼が忘れた物語
《???SIDE》
アイツは人気者だった。
見た目の良さもさることながら、その優しい雰囲気や何をやっても完璧というところも、人気の理由だった。
そんなヤツが突然「テニス部に入るよ」と笑って言ったことは今でもよく覚えている。
スポーツも何だって完璧な○○は、すぐにテニス部でもその力を見せつけた。
それでも、自分の実力を鼻にかけないソイツはテニス部でも人気者になった。
生真面目とまではいかないが、規律はしっかり守っているから真田とも仲が良かった。
多少の悪戯をされても笑顔で許してしまうから仁王やそれに付き合っている柳生とも仲が良かった。
何故か何時もお菓子を持っているから丸井とも仲が良かった。
人の努力をすんなりと褒めることが出来るヤツだったからジャッカルとも仲がよかった。
頭の回転が良くて試合相手の些細な癖にもよく気付くから柳とも仲が良かった。
どんな相手にも優しくて人望もあったから切原とも仲が良かった。
今は入院中だが、他のテニス部の人間とよくお見舞いに行っていたし、おそらくは幸村とも仲が良かった。
アイツは何処へ行っても人気者だった。
でも、誰が一番とかはなかった。
何時だってアイツは平等だったから。
平等に彼等に優しさを与えていたから。
彼の平等さが“均衡”を保ち、彼等の心に“平穏”を与えていたんだ。
なのに――
「私ぃ、姫乃って言いまぁす!よろしくねぇ?」
突如としてマネージャーとなったアイツによって、その均衡はぶち壊された。
マネージャーも人気者になった。でも、それは○○ほどではなく、常に二番手だった。
それが気に食わなかったのか、今思えばマネージャーは常に○○を敵意のある目で見ていた気がする。
ある日マネージャーと○○が共に話しているのを見た。
何処か困ったように笑っている○○と、イライラした様子で声を上げているマネージャー。
そして――
「○○君がっ、突然ドリンクをかけてきて・・・『不細工なお前はびしょ濡れがお似合いだ』ってッ!!!!」
頭からドリンクを被っているマネージャーの言葉に、全員が唖然とした。
○○がそんなことするわけないのに、何故か皆それを信じた。
まるで洗脳でもされてしまったかのように、全員が○○を“裏切り者”とした。
○○を信じていたヤツ程、裏切られたという絶望感は計り知れなくて・・・
その絶望感は敵意へと変化し、○○を攻撃し始めた。
するとどうだろう・・・
○○が笑わなくなった。
○○が話さなくなった。
○○が気遣わなくなった。
○○が優しくなくなった。
○○が――俺達を見なくなった。
ぼんやりとしていることが多くなって、どんなに暴行されたって俺達を見ることはなくなった。
姫乃は俺達の知らない間に○○に虐められているらしく、姫乃は俺達の前で常に不安そうに「○○君が怖いのっ」と言っていた。
だから皆○○が憎くて憎くてたまらなくなって、学校全体がアイツの敵になった。
なのにアイツは全く気にした風もなく・・・少し不気味だった。
テニス部の部活にもほとんど顔を出さなくなった。
まるで自分は帰宅部であるというように、放課後はさっさと帰って行くんだ。
その行動も、他の奴等に苛立ちを感じさせた。
だから、なのか・・・皆が○○に暴行し続けた。
そしたらもっと○○は表情を消した。まるで俺達を、風景の一部の様な曇った目で見るようになった。
きっと、そのことに皆が気づいていた。
その気味悪さと、何の反応も示さない○○への苛立ち、いろんな想いが俺達に混ざる中――
「○○さんを虐めるのは止めてください」
無表情で、けれど真っ直ぐとテニス部のメンバーを見て言ったのは、他校の生徒だった。
背もそこまで高くなくて身体付きもひょろっとしていて、明らかに“弱者”な見た目のソイツは言う。
「○○さんは何も悪くない。悪くないのに――」
その時、誰もが思っただろう。
――コイツも敵だ、と。
だから一人がソイツに掴みかかった。
だから一人がソイツに拳を振り上げた。
だから一人がソイツを罵った。
だから一人が一人が一人が一人が・・・
「何してるの、モブちゃん」
モブ、と呼ばれたのはおそらくソイツのことで・・・
モブ、と呼んだのは明らかに○○で・・・
ゾクリッと、今までに感じた事のないような悪寒を感じた。
何故。
俺達が何をしても○○は何の反応も示さなかったのに。
明らかに“怒り”の目をしている○○に、少し複雑な気持ちになった。この気持ちの名前はわからなかったが、取りあえず気に食わないとは思ったのだ。その場にいた誰もが。
「あはははははは、ヒヒッ、クッ・・・あはははハハハハはははははははハははッ、アヒッ、ヒヒヒヒッ、クハハハハハははハは――ッ!!!!!!!!!」
狂ったように笑う○○の目には怒りがありありと映されているのに・・・
やっぱり○○は俺達を見ることはなかった。
まるで視界に映っていないようだった。
そして鬱陶しい程の綺麗な澄み渡る青空のあの日――
プツンッと・・・
まるで、何かの糸が切れるように突然・・・俺達はとあることに気付いた。
そう・・・皆気づいてしまった。
「○○・・・」
あぁ、そうだった。
違う。○○は、マネージャーを虐めちゃいない。それどころか、何もしてないんだ。
アイツはそんなことをするヤツじゃなかった。
間違っていたのは自分たちの方で、自分たちは無実のアイツになんて酷いことをしてしまったんだって・・・
でも気付いた時にはもう遅くて――
「ぇーっと・・・――君達、誰?」
アイツに中からは既に“俺達の存在”は“抹消”されていた。
その時俺達は、はっきりとした絶望感に襲われた。
マネージャーの姿が見えないことにも、俺達は気付かなかったほどだ。
もしかすると、だけど・・・
皆、自分を見てもらおうと必死だったのかもしれない。
どんな方法であれ、自分を覚えてもらうのに必死だったのかもしれない。
でも、俺達のやっていたことは全て無駄だった。
壊された均衡は元に戻ることはない。
平和で、穏やかで、幸せだったあの日々はもう戻ることはない。
嘆いてももう全て遅い。
信じなかったのは自分たちで、こんな結末を招いたのも自分たちで・・・
嗚呼ッ・・・
「○○――ッ!!!!!」
呼びかけてもこちらを振り向くことなく歩いていく○○に、俺達はどうすることもできなかった。
(後悔しても遅すぎました)戻る