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- ナノ -
街灯が照らす道を一人歩けば、足は自然とあの場所へと進んでいく。
人通りの無い閑静な夜道の先にある一軒の喫茶店。
目を凝らせば喫茶店の中から薄ぼんやりとした明かりが見え、俺はそっと扉へと近づいた。扉には、既にcloseのプレートが掛けられている。
こんこんっと扉を叩くと、中から人が動く気配。
中から微かに「はいはい、ちょっと待ってね」なんて声が聴こえ、それからすぐに扉が開いた。
開いた扉の向こう側から出て来た見知った顔が、笑みを浮かべ俺を見る。
「アドルフ君じゃないか。いらっしゃい、珍しいねこんな時間に」
「・・・迷惑でしたか」
「いやいや。アドルフ君なら何時だってOKさ」
にこにこ笑いながら俺を室内へと促すナマエさん。
営業時間を過ぎた店内は当然ながら誰もいない。
「丁度良かった。一日の終わりにホットミルクでも飲もうと思ってね。君の分も用意しよう」
突然やって来たのに対して理由も聞かずすんなり受け入れてくれるナマエさんに心が安らぐのを感じながら、ナマエさんの正面にあるカウンター席に腰かけた。
「仕事帰り?今日は随分遅いね」
「・・・仕事後に、同僚と食事に」
晩飯に付き合え!と豪快に笑いながら言った艦長の姿がちらりと脳裏を掠める。
ナマエさんは微笑みながら「そう、それは良かった」と言う。手元の小さな鍋がことことと音を立て、甘いミルクの香りを漂わせる。
取り出したのはブランデーだろうか。スプーンにとろりと出した琥珀色の液体を鍋に入れ優しく混ぜる姿をぼんやりと見つめていると、ナマエさんは「もう少しだからね」と手付きと同じぐらい優しい声で言った。
ほんの少しして出来上がったホットミルクをナマエさんはマグカップに移し、俺の目の前に置く。
てっきり出来上がったら隣に座るのかと思えば、ナマエさんはそのままカウンターの向こう側で食器を洗い始めてしまう。
一緒に飲まないのかと視線で問えば「後片付けがまだなんだよ、ごめんね」と頭を撫でられた。
仕方なしに一人マグカップの中のホットミルクに口を付ける。香りと同じぐらい甘い、じんわりと身体を温めていくホットミルク。
そういえば、出会って最初に飲んだのもこのホットミルクだったような気がする。
・・・妻のことで一人悩み、落ち込み、誰にも相談出来ず一人苦しむ俺が見つけたのが、ナマエさんが一人で切り盛りするこの喫茶店だった。
閉店間際にも関わらず嫌な顔一つせずに「どうぞ」と店内に促してくれた笑顔は今と変わらない。
「・・・美味しいです」
「ふふっ、有難う」
かちゃかちゃと食器と食器が当たる音が小さく聴こえる。
家に帰れば似たような音を聴くはずなのに、今聞いている音の方が随分と落ち着くと感じてしまうのは何故だろうか。
「明日も早いんじゃない?」
「・・・いえ、明日は会議も無いので」
「そう。何時も忙しそうだから、心配してたんだ。来た時ちょっと顔色も悪かったし」
布巾で食器の水気を拭い、棚へと運んでいく。
手伝えばもっと早く終わるのかもしれないが、こうやってナマエさんが目の前で動く姿を見ていると酷く落ち着く。そもそもナマエさんは俺が手伝いを申し出ても「ゆっくりしててね」と言ってやんわり断るだろう。
「仕事は楽しい?ほら、前に教えてくれた部下の子達の話。あれ聞いたら、随分賑やかな職場なんだろうなって思ったから」
「あぁ・・・賑やかですよ。一昨日ぐらい、また一人増えました」
かちゃりと小さな音を立て、最後の一つが片付け終わるとナマエさんはゆっくりとこちらに戻ってきた。
自分の分のマグカップを手に「うん、丁度良い温度だ」と微笑むナマエさんは案外猫舌なのかもしれない。
少しぬるくなったマグカップを手にしたままナマエさんは俺の隣に来て、椅子に腰を下ろす。やっと傍に来てくれたナマエさんに、自然と頬が緩んでしまう。
「部下が沢山いるんだね。アドルフ君は優しいし面倒見も良いから、その子達も幸せだ」
「優しくもないし、面倒見も良くないですよ。新人のことも、部下に任せきりです」
「その部下の方が世話役に適任だと思ったんでしょう」
「・・・ナマエさんは俺を買いかぶり過ぎです」
こくりこくりとホットミルクを飲むナマエさんは俺を否定することは無い。
接客業だからか、それとも元々そういう性格なのかもしれない。他人を否定することなく、優しい言葉と笑顔で受け入れてくれる。
だからこそ俺は、ナマエさんのもとへ来てしまうのかもしれない。彼の傍は、酷く落ち着く。
「わかるよ。君は優しい」
「閉店後に店主の手を煩わすような、厄介な客ですよ、俺は」
「私は厄介だと思ったことはないよ」
「嘘だ・・・」
「前から思っていたけれど、アドルフ君は自己評価が低いなぁ・・・こんなに素敵な子なのに」
どろどろに溶かされてしまいそうな程優しい言葉。
あまりに優し過ぎるその言葉は時として毒になる。おかげで、駄目だとはわかっているのに俺はまたこの毒を欲して、此処まで来てしまう。
ナマエさんはわかっているのだろうか。その優しい言葉に、俺がどれだけ胸の内をどろどろに溶かされているのか。
「おや、眠いのかい?」
「・・・少し、だけ」
先程飲んだホットミルクが効いてきたのだろう。眠気に瞼が下がる。
仕事の疲れも相まってか眠気は急激に全身を支配し、ふらりふらりと倒れ込む様に机に突っ伏してしまう。
駄目だ。閉店後に来るだけでも迷惑なはずなのに、寝落ちしてしまうなんて・・・
俺の葛藤を余所に、ナマエさんはそんな俺の様子を見て小さく笑いながら俺の頭を撫でた。
あぁ、温かな手が心地よくて更に眠気を呼ぶ。
「おやおや、こんなところで眠ったら風邪をひいてしまうよ?」
言葉とは裏腹にまるで俺を寝かしつける様に頭を撫で続ける手。
その手に従順に眠りにつこうとしてしまう俺に、ナマエさんは「仕方のない子だ」と少し笑った気がした。その時にはもう殆ど目を瞑っていたから、実際の表情は見ていないが。
良ければお眠りになって
「本当に寝てしまった」
カウンターに突っ伏したまま眠ってしまったアドルフにナマエはくすくすと笑うと、既に空になった自分とアドルフの分のマグカップを手にカウンターの内側へと戻る。
そのマグカップを手早く洗うと、小さく寝息を立てているアドルフへと近づき、その身体をそっと抱き上げた。
「疲れていたんだね、ゆっくりお休み」
自己評価が異様なまでに低い、少し心配になってしまう時間外のお客を、ナマエは愛おしそうに眺めながら、その身体を店の奥にある休憩室のソファへと丁寧に寝かせた。
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