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研究所は好きじゃない。


8歳でM.O手術を受けて以降、俺はずっとこの研究所にいる。

日々の実験で幾度となく負った火傷のせいで、今通っている学校でも顔の下半分を隠して生活していた。


実験が嫌だと思ったことは何度もある。

けど結局俺には、此処しか居場所がない。


諦めにも似た感情を抱いてしまっている俺だが・・・そんな研究所の中で、唯一嫌いじゃない場所がある。







少し前の実験でじくじくと痛む身体を抑えながら真っ白なベッドの上に腰かけ、部屋の中をぐるりと見渡す。

見慣れた草原模様の壁紙が貼られている壁、空模様の天井。シンプルなデスクの上には、つい先日来た時はなかったぬいぐるみが置いてある。


部屋の様子を見るのにも飽きた頃、かちゃりと音がして部屋の扉が開いた。





「やぁ、アドルフ君。身体の調子はどうかな?」

この部屋の主が姿を現し、笑みを浮かべながら俺に問いかける。


ナマエ・ミョウジ。俺の主治医だ。




「・・・前の実験の火傷が、少し痛みます」

「そう・・・処方した薬はちゃんと飲んでるかい?」


こくりと頷くと「あの薬は苦いのに、偉いぞ」と頭を撫でられる。照れくさいが、振り払う気はない。彼に撫でられるのは好きだ。





「とりあえずは患部を見ないとね」

身体が硬くなるのを感じた。



「じゃぁ、上を脱いで」

「・・・・・・」


「アドルフ君?」

「ぁっ、いや・・・はぃ」

押し黙っていた俺は慌てて頷いてシャツに手を掛ける。



一番上の釦をぷちっと外した。手が少し震える。

何を戸惑っているんだ。ただ服を脱ぐだけ。検診をしてもらうだけ。そのはずなのに、こんなにも躊躇してしまう。


前までは何の躊躇も無かったのに、今じゃ気を抜けば一気に顔に熱が溜まってしまいそうだ。






ナマエさんを意識し始めたのは何時からだろうか。


実験の苦しみから泣いていたところを、抱き締められてからだろうか。

誰にも祝われないと思っていた誕生日の日に、手作りのちょっと歪なケーキをプレゼントされてからだろうか。

検診も何もない日に、唐突に現れて「一緒にお出掛けしようか」と笑いかけられてからだろうか。


好きになる理由は沢山あった。その好きが、親愛から恋愛に変わってしまっていただけ。




「どうかした?」

「ぇと・・・」


何て言えば良いのだろうか。

ナマエさんもまさか、俺がこんな感情を抱いているなんて知らないだろう。


知ったらどう思うのだろうか。引いてしまうだろうか。8歳の頃から続いた主治医を、止めてしまうだろうか。

不安がある。だから俺は自分の気持ちを言えない。

気持ちは言えないがシャツを脱ぐことが恥ずかしいのは本当だ。けど目の前で不思議そうに俺を見ているナマエさんを上手くかわす術を俺は知らない。





「ちょ、ちょっと・・・恥ずかしくて」

小さな小さな声は、しっかりとナマエさんの耳に届いていたらしい。


少し驚いたような顔をしたナマエさんは、次第に穏やかな笑みを浮かべて「そっか」と呟くように言う。




「ごめんなさい、変な事言って・・・」

「ううん。アドルフ君は自分の感情を押し殺しちゃうところがあるから、素直に言ってくれると嬉しいよ」


俺が8歳の頃からずっと一緒にいるけど、こんなことを言ったのは初めてだ。





「そっかぁ・・・アドルフ君も、思春期だもんねぇ。恥ずかしいって思うんだよね」

しみじみとした様子でうんうんと頷くナマエさん。まるで子供の成長を喜んでいるような姿に、少しだけ気持ちが沈んだ。

あぁ、彼が俺をそういった目で見てくれることはないのだろう。


当然だ。ナマエさんにとって俺はただの患者で、良くて子供のような存在。それ以上にはなり得ない。






「でも、火傷の様子はちゃんと見なくちゃいけないから、ちょっと我慢してくれるかな?」

「・・・はい」


諭すような声にすら、落ち込んでしまう。



俺が服を脱いだのを見届けると、ナマエさんは検診を始める。古い火傷の治り具合から、新しい火傷の経過。火傷の酷い場所を見つけるとカルテに何かを書き込んでいくナマエさんの顔を、ぼんやりと眺めた。

あぁ、綺麗な顔だな。火傷だらけの俺より、ずっと綺麗だ。


ナマエさんは優しい性格だし気が利くし、博識で実はスポーツも得意で・・・きっと、ナマエさんを狙う人間は沢山いるんだろうな。

ナマエさんの浮いた話は今まで聞いたことがないけれど、実はそういう相手がもういるのかもしれない。


あぁ、嫌だな。ナマエさんが俺以外の誰かに優しく笑いかけるんだ。それだけじゃない。俺ですら聞いたことのないような甘い言葉を聞けるんだ。羨ましいし、妬ましい。



・・・嫌だな。こんな醜い感情、ナマエさんには教えられない。ただでさえ俺はこんな醜い姿をしているのに・・・






「アドルフ君」





「ぇっ、ぁ・・・すみません」

どうやら検診は既に終わっていたのだろう。いそいそとシャツを着込む俺に、ナマエさんはまるで困ったように眉を下げた。



「心ここにあらずだね。何か悩みでもあるのかな?」

「・・・ナマエさんは、何時も俺を気遣ってくれますね」


ぼろぼろの俺の心を、何時も優しく包んでくれるのはナマエさんだ。

だからこそ、ナマエさんを失いたくない。





「教えてくれないかな、アドルフ君」

「そんなに、気になるんですか?」


シャツの釦を閉めながら問えば、ナマエさんは微笑む。俺の好きな、綺麗な微笑み。




「アドルフ君が元気ないと、気が気じゃないんだよ」




どうしてそんな、俺を期待させるようなことを言うのだろう。

そんな風に言われたら、俺は勝手に期待して、また勝手に落ち込んでしまうじゃないか・・・



「・・・ぁの」

「うん」



「ナマエさんって・・・彼女とか、いないんですか」



きょとん、とナマエさんが目を瞬かせた。



「なぁに?それが気になってたの?ははっ、やっぱり思春期だなぁ」

楽しそうに笑いながら言うナマエさんをじっと見つめる。いるのかいないのか、はっきりしてほしい。

俺の視線に気づいたナマエはこほんっと咳払いをして、笑うのを止める。






「いないよ。私の浮いた話、聞いたことないでしょ?」

「・・・はい」


「好きな子でも出来た?大丈夫だよ、アドルフ君は良い子だし、イケメンだから」

ぽんぽんっと頭に手が置かれる。

そう言うのはナマエさんだけだ。






「・・・恋人、作らないんですか?」

「うーん、難しい質問だね。私は別に恋人がいなくても、今で十分充実していると思ってるしねぇ・・・」


髪を梳く様に撫でる手が心地良いけど、今はそれどころじゃない。




「じゃぁ、充実してないって思ったら、作るんですか」

「んー・・・」


髪を梳いていた手が頬へと滑る。

ついその手にすり寄ってしまいそうになるのを抑え、ナマエの言葉をじっと待った。

ナマエさんは俺の頬をむにむにと弄った後、小さく微笑む。






「今はアドルフ君がいるし、いらないかなぁ」

「えっ?」


それ、どういう意味ですか?





「アドルフ君の主治医任された時から、君一筋でいこうって決めたんだ。君を一番に考えたいからね」

「・・・ぁ、えとっ・・・」



わかってる。俺が勝手に喜んでいるだけだって。

けど、それでも嬉しいじゃないか。俺がいるから恋人を作らないなんて。俺を一番に考えたいから作らないなんて。


顔がじわじわ熱くなってくるし、喜びで口角が上がりそうになる。

慌てて隠そうとしたのに、ナマエさんの満面の笑みを見ると動きが止まってしまった。







「アドルフ君が、私の一番だよ」



「ぁ、うっ・・・」

もう無理だ。




俺は「し、失礼しました!!!」と声を上げ部屋を飛び出した。







青甘い恋心






「・・・ふふっ、可愛いなぁ」

アドルフのいなくなった後の部屋で、ナマエは「まだ手は出さないけどねぇ」とほんの少し意地悪く笑った。




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