「ねぇ、ゲルテナ。まだ?」
近所に住む芸術家のゲルテナは、実在する人物はあまり描かないことで有名だ。
僕は何度かゲルテナの作品を見せてもらったことはあるけど、何だかゲルテナは別の世界を見てるみたいだなって思った。
此処じゃない別の世界を描き出しているみたい。
そう感じた僕は、それを正直にゲルテナに話した。
そしたらゲルテナは小さく笑った「ナマエは聡明な子だ」と頭を撫でてくれた。
そんなゲルテナがある日、突然僕を絵のモデルにしたいと言ってきた。
まさか僕にモデルのお願いをするとは思わなかった。
何故か・・・お母さんにもお父さんにも、近所の人にも内緒にしててほしいってゲルテナは言った。
だからコレは、ゲルテナと僕だけの秘密。
「あぁ。もう少しだよ、ナマエ」
「僕、もう疲れちゃった。休憩しようよ。一緒にお茶でもしよ?ね?」
「もう少しなんだ。もう少し、我慢しておくれ」
「・・・・・・ぅん」
その時のゲルテナ、ちょっと怖いなって思った。
何だか一心不乱に絵筆をキャンバスに滑らせるゲルテナは、本当にその絵に魂を分け与えてるように見えた。
このままじゃ、ゲルテナ本人が消えちゃいそうな――
「出来た」
ゲルテナの満足したような声が聞こえた瞬間、僕は「ホント?」と言いながらゲルテナの傍に駆け寄った。
「わぁ・・・」
そこには“僕”がいた。
毎日顔を洗うときに見る僕の顔と一緒。
絵の中で“僕”が微笑んでる。
「ナマエは私の絵の本質を理解してくれた。だから、そのお礼だ」
そっと僕の頭を撫でながら言うゲルテナ。
「有難う、ゲルテナ。本当に嬉しいよっ」
僕が、ゲルテナの中にある世界の一員になれたみたいで嬉しかったんだ。
「ナマエが望めば、何時だってこの世界に入れる」
「絵の中に?」
「そう。私の世界に」
ゲルテナの部屋の中には、沢山の絵画がある。
一面に広がる絵画たちが、こっちをじっと見ているような感覚。
僕は「ゲルテナの世界、きっと吃驚するぐらい凄くて、ちょっと怖いんだろうね」と笑う。
「私から、ナマエは怖がらせないようにと言っておこう。そしたら大丈夫だ」
「ふふっ。ゲルテナって面白い。僕、何時か本当にゲルテナの絵の世界に行ってみたいかも」
「行けるさ。ナマエは・・・私の後を継ぐんだから」
「ぇ・・・?」
その時の僕には、その意味がよくわからなかった。
けれど一つだけわかることがある。
僕は・・・
ゲルテナに囚われたんだと思う。
“僕”が描かれた【最期の理解者】によって。
「・・・ん」
ゆっくりと浮上してきた意識。
目をこすりながら周囲を見渡す。
隣りには、眠っているイヴがいた。
「あら。起きたの?ナマエ」
こっちにやってきたギャリーは、コートを着ていない。ぁ、僕とイヴにかかってるんだ。
「・・・懐かしい夢を見てた。本当に・・・懐かしい夢」
「アンタもイヴも、疲れが溜まってたのね・・・二人して廊下に倒れたまま気絶しちゃった時には、流石に焦ったわ」
「僕とイヴを此処まで運んでくれたんだね・・・それにコートまで・・・有難う、ギャリー」
「良いのよ。ナマエもイヴも、早くこの世界から出て、両親に会いたいだろうから」
「・・・・・・」
両親、か。
優しく笑っているギャリーに、僕は「そうだね。会いたいかもね」と投げやりに言った。
「あら。投げやりな返事ね」
だってもう、僕の両親は・・・いないだろうから。
あれから何百年だっただろうか。
ゲルテナが僕を描いた。
僕は絵になっていた。
ゲルテナは幸せそうに笑って僕の頭を撫でていた。
僕はそう・・・“虚像”になった。
そこにいるのにいないみたいな・・・
僕の身体は二つあった。
一つはこの世界に。もう一つは現実世界に。
僕はゲルテナの死後、まるで吸い寄せられるように絵画の世界に呼びこまれた。それが運命だったみたいに。
僕は絵画になった。けど、胸には僕の薔薇がある。
だからなのか、僕は他の絵画たちとは違った。
僕は僕の命がある。命ある絵画。だって生きたままこの世界の絵画になったから。
だからこそ・・・
今目の前にいるギャリーや、今は眠っているイヴを、助けてあげたかった。
「ん・・・」
「あら、イヴ。起きたのね」
ゆっくりと目を開けるイヴに、僕も小さく笑みを浮かべる。
「ねぇ・・・ギャリー、イヴ・・・忘れないで」
イヴが意識もちゃんとしてきた頃に、僕は笑顔でいう。
「僕は何があっても君らを裏切らないよ」
「あら。どうしたの、いきなり――」
「お願い。最後まで聞いて・・・」
僕が絵画になって、一体いくらの年月が経ったのか、それはもう考えるだけ野暮なことだ。
きっと、今更僕が絵画の世界から出たって、僕の居場所なんてない。
外に出たがっているメアリーに、僕の席をあげようと思ったこともある。
けれどメアリーは拒んだ。
『だってナマエはお父様の理解者だもの。貴方の薔薇だけはとれないわ』
本当はメアリーも、とっても優しい子なんだ。
お友達が欲しい。家族が欲しい。外が見たい、遊びたい。
ただ純粋にそう願ってたんだ。
「たとえ君らがどうなっても、君らがどう思っても、僕はそれを受け入れる。理解する」
ギャリーを理解しよう。
イヴを理解しよう。
メアリーを理解しよう。
ゲルテナを・・・理解しよう。
「僕は君らの――最期の理解者になりたいから」
「何だか、遺言みたいね」
「ははっ。僕は死なないよ。大丈夫」
何時か二人が、僕の正体を知るときが来るかもしれない。
拒絶される時がくるかもしれないけど・・・
それでも僕は、二人の力になってあげたいと思う。
最期の理解者