静かな静かな放課後の図書館。
その扉がゆっくりと開かれた。
中で本を読んでいた図書委員長・十二町矢文はちらりと扉の方を見て微笑む。
「いらっしゃい・・・名前君」
「んー、いらっしゃったよぉ」
扉の方に立っているのは、雲仙程の背丈の少年。
三学年の列記とした普通《ノーマル》だ。
彼は本を読んでいる矢文にふらふらぁーっとした足取りで近づき、彼女の太腿にひょいっと座った。
「矢文ちゃーん・・・“読み聞かせ”してぇ」
突然座ってきた彼に矢文は嫌がるどころか優しげな笑みを浮かべ、彼の頭を撫でる。
その手に心地よさそうに笑う名前は、背丈に見合うほど幼く可愛らしい。
「ふふっ・・・何の本が良いの?」
「何でも良いよ」
「まぁ。何でも良いって、とても困る注文ね」
「んー・・・じゃぁ、矢文ちゃんが人生で263番目に読んだ本で良いよ」
「えぇ、わかったわ」
名前を抱きかかえながら、流石は移動図書館と言ったところか・・・彼女は本を開かず読み聞かせを始めた。
名前は目を閉じ、彼女の読み聞かせに聞き入っている。
図書館の中で矢文の読み聞かせの声だけが響く。
「――。・・・はい、おしまい」
長い長い読み聞かせが終わると、目を閉じていた名前がぱちっと目を開く。
その顔に満面の笑みを浮かべたかと思えば、矢文にぎゅーっと抱きついた。
「んー・・・有難う、矢文ちゃん」
「『人生を有意義にする一番の武器は礼儀と挨拶』(伊坂幸太郎『グラスホッパー』)いいのよ。名前君が楽しんでくれたら、ぅ私も嬉しいわ」
その言葉に、彼の笑みはさらに深まる。
彼は普通《ノーマル》だった。
しかし・・・
「えへへっ。矢文ちゃん大好き」
「『恋するとは、自分が愛し、自分を愛してくれる相手を見たり、触れたり、あらゆる感覚をもってできうる限り近くに寄って感じることに快感を感じることである』(スタンダール『恋愛論』)ぅ私も貴方が大好きよ。貴方にこうやっ“読み聞かせ”してあげる時間が何より愛おしいの」
彼は移動図書館・十二町矢文に最も愛される、本より愛される普通《ノーマル》だ。
そこだけが“普通じゃない”。
「矢文ちゃんって以外に情熱的だね。そんなに思われるなんて、僕ったら幸せ者」
「『人生で最も大切なものは、はなばなしい大きな喜びなんかじゃありません。ささやかな喜びの中に、多くの楽しみを見つけることがとても大事なんです』(ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』)貴方となら、どんな些細なことでもぅ私の最上級の幸せよ」
ぎゅーっと抱き締め返される名前は思う存分矢文の胸に顔を押し付けながら「幸せー」と笑った。
「矢文ちゃん、今度デートしようよ。この間矢文ちゃんが読んでた雑誌に書いてあった若者向けデートスポットめぐり〜」
「名前君は私が何を読んでたのかちゃんと覚えてくれてるのね。嬉しいわ」
「最近のだけだけどねー。生憎僕は普通だから、結構前のは忘れちゃってるし」
「それでも良いの。最近のだけでも覚えててくれて嬉しいわ」
ぎゅぅぎゅぅっと抱き締められる名前の顔は矢文の胸に埋まっている。
幸せそうだが、それと同時に苦しそうだ。
「矢文ちゃん、そろそろ呼吸困難で死んじゃいそう。もしくは圧死〜」
「あら、ごめんなさい」
ぷはっと何とか胸から顔を上げた名前は「けど幸せー」と笑う。それを見て矢文も笑った。
「んー。眠くなっちゃった・・・矢文ちゃん、また“読み聞かせ”して」
「えぇ。今度は何番目?」
「じゃぁ、591番目」
「えぇ、良いわ」
矢文が小さく微笑みながら読み聞かせをする中、名前はすやすやと眠りについた。
それを見た矢文は穏やかに微笑み・・・
「ふふっ・・・『恋愛は至上なり』(厨川白村『近代恋愛観』)」
名前の頭を優しく撫で、そっと抱き締めた。
読み聞かせ