「あぁ、いらっしゃい、ココさん」
「こんにちは、名前君」
ボクが突然訪ねてきても、嫌そうな顔一つしない彼。
小松君の先輩である彼は、人のよさそうな笑みが特徴的だった。
元ホテルグルメの料理長で、小松君がホテルグルメで働くようになってからは、独自の店を出店。
そこまで有名じゃないけど、その筋の人間だったら、一度は口にしてみたいと思うぐらい良い料理を作ると、密かに人気だ。
「散らかってるかもしれませんが、どうぞ」
そう言って中に招かれる。
彼は散らかってるかもと言ったけど、全然散らかっていない。
逆に、とっても片付いていて、彼の性格がうかがえた。
「ソファーに座っててください。すぐに何か飲み物を用意します」
「突然押しかけたのはボクなのに、悪いね」
彼はにこっと微笑んでキッチンへと消えていく。
しばらくして戻ってきた彼の手には、グラスが二つ。
そのうちの一つを「どうぞ」と言って差し出してきた彼に「有難う」を言って受け取る。
グラスに注がれた七色に輝くジュース。
それを一口飲めば、ついつい口元が綻んだ。
「立派な家だ。前君に教えてもらった住所を頼りに来たんだけど、驚いたよ」
ボクの言葉に彼が「有難うございます」と笑いながら言った。
穏やかな彼は、ボクを酷く安心させてくれる。
小松君の紹介で出会ったときも、本当に優しかった。
ボクの体質もすんなりと受け入れてくれて、何の抵抗もなく家の住所も教えてくれた。
「人間、下積み時代と言うものがあるんですよ、ココさん」
「うん、そうだね」
小さく微笑んでボクの隣に腰かけた名前君は、グラスの中身をゆっくりと飲み干し、口を開く。
「今でこそ、こんな立派な高級マンションで暮らせてますが、昔はボロボロのアパートで暮らしてました。ちなみに、トイレ共用・風呂無し・床外れる・隙間風酷い・その他もろもろのアパートです」
ハハッと笑いながら言う彼に、ボクはついつい苦笑を浮かべる。
「けど、今では独立したレストランのシェフじゃないか」
「えぇ。昔に比べれば、ありえないぐらい出世したような感じですよね」
チラッと彼の片付いている部屋を見る。
レストランの総料理長だ。相当稼いでいるはず。
なのに、部屋の中は結構簡素で、必要最低限のものぐらいしか置いていない。
「簡素だなって思います?」
ボクの視線がきょろきょろと動いていたのに気付いたのか、彼が笑顔で尋ねてきた。
「ぁ・・・ごめんね、勝手に部屋を見て。失礼だよね・・・」
「いえ。僕も、この部屋は簡素だなって思いますから」
笑顔で首を振った彼は、ゆっくりと周囲を見渡す。
「貧乏癖がついてしまってるのか、ついつい節約しちゃって・・・口座には、自分でもびっくりするぐらいの金額が溜まってるんです」
「そうなんだ」
「まぁ、そのおかげで、料理関連にはいくらでもお金を費やせるんですけどね」
微笑む彼に、ボクもつられて微笑む。
「今日、ごはん食べていきませんか?良い食材が手に入ったんです」
「それは楽しみだね。ごちそうになろうかな」
あまりに優しいまなざしに、ついつい照れてしまいそうになる。
彼は優しい。誰にでも。
ボクだけじゃないんだ。彼から優しさをもらうのは。
そう思うと少し寂しいけど、彼の優しさはやっぱり嬉しい。
「今日は、ココさんのためだけに、腕によりをかけて作りますね」
「ぇ・・・ぁ、あぁ、うん。有難う」
一瞬勘違いしてしまいそうになるボクは、自分自身が恥ずかしくなって顔をそむける。
彼は「ココさん?」と心配そうに声をかけてくれた。
ボクのためだけに・・・
あぁ、どうしよう。顔が熱い。
「大丈夫ですか?顔、赤いですよ?」
「へ、平気だよっ」
「そうですか?」
「ぅ、ぅん」
心臓が煩い。
自分がコントロール出来なくなりそうな程だけど、何とか抑える。
嗚呼、ボクってこんなに彼のこと好きだったっけ?と自分でも不思議に思う。
「ココさん・・・本当に平気ですか?」
そっと背中に触れられ、身体がピクッと震える。
優しい優しい彼の手に触れられて、また顔が赤くなる。
「へ、平気だからっ、心配しないで?」
「・・・本当に、大丈夫ですか?」
心配そうな目がボクを見つめている。
ボクだけが今目に映っているのだと実感すれば、心臓はどんどん煩くなった。
「ぁ・・・そうだ、ココさん」
「な、なぁに?」
声が裏返ってないかどうか心配。
「僕の部屋、とっても簡素なんです。よろしければ・・・今度一緒に、僕の部屋に会いそうなインテリア、一緒に探してもらえませんか?」
「ぇ?それって・・・」
また勘違いしてしまいそうになるボクに、彼がにっこりほほ笑んだ。
嗚呼、格好良い・・・
「デートみたいだって、思ってくださって結構ですよ」
「ぇっ」
その言葉に、唖然とする。
そして、顔が徐々に熱くなるのを感じた。
「し、知ってた・・・?」
「知ってるも何も、僕がココさんのこと好きなので」
「〜〜〜っ」
さらっと笑顔で言った彼に、僕は顔を赤くしたまま硬直した。
「ふふっ。顔、真っ赤ですよ?ココさん」
優しげに笑う彼は・・・
実は確信犯だったのかな・・・と、ちょっと恥ずかしくなった。
優しい優しい料理人