とあるところにそれはもう狂った男がいました。
狂った男は自分の家の傍を通る男を捕まえては甚振り、最後には残虐な方法で殺してしまっていました。
そんな男はある時一人の人間に出会います。
自分はその相手を殺そうとしたのですが、相手は笑顔で言ったのです。
――お前になら殺されても良い
あまりに愛おしそうに自分を見た相手に、男は躊躇しました。
そこから狂った男はもっとおかしくなりました。
だって、男はその相手を愛してしまったのです!
狂った男はもっと狂って、正常になってしまったのです!
けれど、一度狂ってしまった男がそう簡単に正常になれるわけありません。
狂った男の愛情表現は何処までも狂ってて、けれど相手はそれを受け入れました。
狂った男は初めて幸せを感じました。
しかししかし、それも長く続くはずがありません。
狂った男は、今度は自分が殺されてしまったのです。いつか自分が殺した男の娘によって。
致命傷を負った男に、男の愛した相手は泣きながら駆け寄りました。
狂った男は愛した相手の腕の中にいました。
死へと導かれる男を見て、相手は泣きながら、けれど穏やかな表情で言います。
――生まれ変わったら、その時は一緒に・・・
相手の言葉を耳にして、狂った男は小さく笑みを浮かべ・・・死にましたとさ。
めでたしめでたし。
――…
「愛してるよ、ボー」
殺そうとした相手は笑顔で言って、俺の首に腕を回した。
酷くイカレた目をした野郎だとは思った。
自分に反撃してナイフを振り回すその姿には、狂気さえ覚えた。
まるで俺やヴィンセントの野郎よりも殺し慣れているかのような身のこなし。
「君は覚えているかな・・・俺が死ぬ前に、君が言ってくれたあの言葉を。それを胸に、俺は今の人生を生きてこれた・・・」
耳元で囁かれる言葉。
その声があまりに甘ったるくて、俺はぞわりとするものを感じた。
けれど何故か・・・俺はその感覚を知っている気がした。
この男を殺すのには変わりない。そのはずだ。
なのに、手が動かない。
明らかに俺の方が優勢だ。
男の心臓近くに押し当てたこのナイフ。少し力を込めればこの男に刺さるんだ。後少し、あと・・・
「君になら殺されても良いよ・・・あの日、君が俺を恐れずに手を伸ばしてくれたて、俺は狂った男としてじゃない・・・君を愛せる男になったんだから」
あまりに穏やかな声に、俺は無性にイライラした。
何故もっと抵抗しないんだ。
何故そんな穏やかな目で俺を見るんだ。
俺は俺は俺は俺は・・・!!!!
「ふざけんなよ、――!!!!」
・・・ぁ、れ?
俺、今コイツの名前を叫ばなかったか?
「・・・良かった。最後に君に名前を呼んでもらえた」
男は嬉しそうに微笑み、俺の顔を優しい手つきで撫で・・・
俺の唇に口づけを一つ落とした。
動く声さえ出来ない俺。
「愛してるよ。誰よりも君を愛してる。本当さ・・・」
ザクッと音が鳴る。
男が自分で俺の手を使って心臓を刺したのだ。
じわりと伝わる、男の身体をナイフが突き抜ける感覚。
男は幸せそうに笑っていた。
あぁ、イカレてやがる。けれど、それがどうにも嫌じゃなかった。
「君が傍にいてくれるだけで十分さ。けど、少し残念なのは・・・君との約束、十分には果たせなかったことかな・・・」
「・・・・・・」
俺は言葉が出なかった。
男の目が静かに閉じる。
「・・・――」
頬を伝うこの冷たい水の名前は何だったろうか。
俺はそれも思い出せぬまま、いつの間にか男を抱き締めていた。
しばらくすると、目から流れる水は止まり、俺はヴィンセントが作業する部屋まで歩いていた。
「ヴィンセント、コイツを蝋人形にしろ」
そっと手術台の上に男の身体を横たえた。
普段とは違う俺を不思議そうに眺めるヴィンセントに「見るんじゃねぇよ、化け物が!」と怒鳴る。
少し気まずくなって「ぁー、あれだ・・・」と視線を漂わせた俺は・・・
「出来れば、俺の部屋に置きたい。特別良い蝋人形にしろよ」
それだけ言って、俺はほかの獲物を探しに行った。
しばらくして出来上がった蝋人形は、俺の部屋にいる。
俺の部屋の椅子に、穏やかな笑みを浮かべて腰かけていた。
俺はすたすたとその蝋人形に近づき、あの男がしたのと同じように、妙に優しい手つきで頬を撫でた。
「・・・おやすみ――ナマエ」
俺はその蝋人形に向かって小さく呟き、その唇にキスをした。
俺が死ぬまで、待っててくれよ。
次生まれ変わったら、今度こそ・・・
一緒に幸せに暮らそうな、ナマエ。
今度こそ君と共に