「・・・はぁっ」
「どうかなさいましたか、ベルゼブブ様」
書類に判を押しながら小さくため息を漏らした上司に、ナマエはそっと近づいた。
「あぁ・・・いや、ちょっと妻のことでな」
「仰って下さい。何かお力になれるやもしれません」
小さく微笑みを浮かべながら言う直属の部下である彼に、ベルゼブブは「あぁ、そうだな・・・」と正直に今の悩みを打ち明けた。
ベルゼブブが妻であるリリスに相当入れ込んでいるのはナマエも理解している。
彼女の本分が誘惑であるため、彼女がいろんな男の元へ行くことも黙認していることも。
・・・正直少々もう少し夫である自分を気にかけて欲しい、とベルゼブブは感じているようだ。
「ふむ・・・成程、わかりました」
「部下であるお前に愚痴ってしまって悪いな、ナマエ」
「いえいえ。ベルゼブブ様のお悩みを知ることが出来、嬉しい限りです」
にっこりと優しく微笑む部下に、ベルゼブブは内心癒されるのを感じた。
EU地獄の部下たちはどれもこれも従順だが、中でもナマエは仕事が出来て気が利いてなにより自分に優しい。
今だって、自分が口にした悩みについて真剣に考えてくれているらしい。
「あぁ、ベルゼブブ様。良い案があります」
「ん?何だ、言ってみてくれ」
優秀なナマエのことだ。そんなナマエが良い案だと言うんだ、きっととても良い案なはずだとベルゼブブは続きを促す。
「貴方様も浮気なさってはいかがですか?例えば・・・私と、とか」
ん・・・?とベルゼブブは固まる。
「良い案だと思いませんか?」
にっこりと笑うナマエに、ベルゼブブは少し焦ったように首を振る。
まさか部下にそんなことを言われるとは。
しかも部下はじりじりと自分に近づいてきて、仕舞いには手を握ってきているではないか。
「た、確かにリリスは周囲を誘惑したびたび俺を困らせはするが、そもそもそれは彼女の本分は誘惑だからであって・・・」
「悪気がないのであれば、ベルゼブブ様だって浮気の一つや二つなさったって平気では?」
「おっ・・・俺はリリスに愛されている」
「えぇ、わかっていますとも。貴方様はリリス様に愛されていますし、それ以上に貴方様はリリス様を愛しておられますね」
「だったら――」
「ですがまぁ、愛する妻のお気持ちを理解するには、同じような行為を行うことも大事だろうと私なりに解釈したのですが」
その言葉にベルゼブブが少し息をのんだのを、ナマエはもちろん気づいていた。
「それに・・・僭越ながら、私も貴方様を愛しています」
「・・・そ、それは本当か」
「えぇ。貴方様を心から」
にっこりと優しく微笑み、自分の頬を優しく撫ぜる部下。
何時だって傍にいた部下からそんなことを言われて、少しもどきりとしないなんて、それこそありえない。
不思議なことに、嬉しいとは思うが気持ち悪いとは思わなかった。
だからこそ、どう返答すれば良いのかわからない。
「お、俺は・・・」
困惑で目を泳がせ、言葉が出てこないベルゼブブ。
その様子を見たナマエは、ゆっくりと目を伏せて、何処か申し訳なさそうに微笑んだ。
「申し訳ありません。貴方様を困らせたいと思ったわけではないのです。仕事に戻りますので、失礼します・・・」
「ま、待て!」
離れそうになった手を慌てて握る。
「お、俺は浮気なんてしたことがない。だ、だから、浮気の方法なんてわからない・・・それで・・・」
その言葉に少し目を見開いた彼は、それから嬉しそうに目を細めた。
「・・・ふふっ。では、僭越ながら私が少々手解きさせていただきましょうか」
綺麗に微笑んだ部下に一瞬胸の奥がきゅぅっと痛くなったのを、ベルゼブブは理解しないようにした。
だって、その気持ちを理解してしまえば、きっと彼は・・・
浮気では済まなくなってしまうだろうから。
初めての浮気