私のお父様とお母様はとっても優しいお人なの。
耳も聞こえぬ私を大事に大事に育ててくださったの。
出来損ないの駄目な息子なのに、お母様は『貴方は良い子』と唇を動かしてくださる。
耳が聞こえる様になることなど一生ないのに、お父様は『お前はやれば出来る子だ』と唇を動かしてくださる。
愛しい愛しい我が両親。
私が尋ねればすぐに答えてくれる。
“足りない”私は屋敷の外へは出られないけれども、そのかわりお父様とお母様が何時だって傍に居てくださった。
幸せな幸せな私。
私はとっても幸せなのです。
私が幸せで笑えば、お父様とお母様も幸せそうに笑ってくださいます。
笑顔で満ち溢れた私の世界。
美しい美しい世界。
だからこそ――
「・・・・・・」
普段はぴったりと閉じているのにその日はほんの少し開いていた屋敷の戸の向こう側にちらりと見えたその子が、酷く珍しかった。
私と同じぐらいの背格好の子だった。
ちらりとしか見えなかったけれど、その印象は凄まじかった。
私より綺麗な黒髪。
私より綺麗な瞳。
私より綺麗な綺麗な・・・
その子は一瞬にして私の心を奪い、私は一瞬にしてその子のことが一番気になった。
だからお父様に問うたのです。
『あの子は誰ですか、お父様』
「・・・お前は知らなくても良い子だよ」
『あの子のお名前は何ですか。お友達になりたいのです』
「貴方とあの子は違うのよ」
何時もは何でも教えてくれるお父様が教えてくださいませんでした。
何時もは私の言うことに『そうね』とほほ笑んでくださるお母様が顔を強張らせて首を振った。
外にいたあの子はだぁれ。
他の使用人に問うても誰も答えてくれません。
私が戸に近づくことも禁止されました。
お父様とお母様の初めての意地悪です。
それはとっても悲しいことだったけれど、大好きなお父様とお母様を困らせるのはちょっと忍びなかったのです。
だから私はその子のことを必死に忘れようとしました。
けれど不思議なことに、日を追うごとに私はその子のことが気になって気になって仕方なくなってしまったのです。
愚かな私はお父様もお母様もおらず、使用人が私からちょっと注意を逸らした時を見計らい屋敷を飛び出し、初めて見る外の世界であの子を探したのです。
けれども・・・
あの子は見つかりませんでした。
近所の子供だと思ったのですが、どうやらそれに該当する子はいなったようです。
ならばあの子はだぁれ?私の見た幻?
いえいえ、あの子は絶対にいました。私の目に、その美しい姿を焼き付けて行きました。
捜したのです。一生懸命、拙い足取りで探したのです。
でも見つからず、代わりに私が屋敷の者達に見つかりました。
けれども私は諦めませんでした。
外の世界を知らない癖に、外の世界で一生懸命あの子を探したのです。
馬鹿な噺です。
外に慣れていない身体が、無理をあまり出来ないことだって、私は知らなかった。
呆気無く弱って行き始めた私の身体と、悲しそうなお父様とお母様の顔。
お母様は病床に伏す私に、悲しそうな顔をしながら言うのです。
『本気であの子に会いたいなら・・・きっと、貴方は天に昇らねばなりませんね』
ぽろぽろと涙を零しながら言うお母様は『あぁ、何故このようなことに・・・』と呟くと、私をぎゅっと抱きしめた。
天へ昇るとはどういうことですか、お母様。
私はその意味も分からぬままで、そして――
君は天国行きだよ。
良かったね、と優しい顔の閻魔様が言う。
私は死んでしまいました。
呆気無い死でした。
痛みもなければ苦しみもありませんでした。
不思議なことに、死ぬと私の耳は聞こえる様になっていました。
耳が聞こえなかったのは肉体のせいで、魂だけになった私にはそんなの関係なくなったようなのです。
閻魔様の判定が終れば、一人の鬼が「こっちだぞ」と私を誘導しようとします。
けれど・・・
「ぁ・・・」
私は見つけてしまったのです。
「見つけた!」
私は笑う。
額に角が生えているけれど、確かに私が探していたあの子を見て。
あの子は少し首をかしげたけれど、私は嬉しくって嬉しくって・・・
私は他の鬼に留められるのも無視してその子の前まで駆け寄って、抱きしめて、驚いて私を引きはがそうとするその子を更に強く抱きしめて・・・
「私は、君を愛したくって死んだんだ」
人が聞いたら馬鹿みたいな台詞を発して、その子の唇にキスをした。
瞬時に横っ面に感じた鋭い痛みとか、周囲の悲鳴とか、そんなのどうでも良くって・・・
「君が大好き」
床にへばりつつも、僕は僕を見下ろすその子にへらっと笑いかけた。
不完全少年の完全なる愛
「・・・まったく」
ふと昔の事を思い出してしまった。
『この子とずっと一緒にいたいから、私は地獄にいたい』
遠い昔のこと、突然自分に抱きついてきてキスをしてくるなどという暴挙に出た亡者のことは今でも覚えている。
驚きのあまり思いっきり横っ面を殴って床に沈めたのに、それでもへらへらとして自分を見つめ『君が大好き』と呟くその亡者を。
自らが鬼となる前、その亡者が“あの村”にいたなど、私は知らない。
彼だって私のことを知らなかった。ただただ私を好きになったのだと、私を愛したいのだと、馬鹿のような言葉を口にして・・・私を酷く愛おしそうに見るその亡者は、きっと忘れたいと思ったとしても忘れられないだろう。
「鬼灯君」
「・・・何ですか――名前」
私は背後から掛けられた声に反応し、ゆっくりと振り返った。
そこに立っているのは、折角天国行きだというのにそれを蹴ってまで私の傍に居たいなどと馬鹿なことを言った、あの亡者。
あの頃のままの笑みと、あの頃とは違う私と同じ黒い着物を身に纏っている彼は、私に向かって優しげに微笑んだ。
「そろそろ休憩しない?美味しい羊羹をお香ちゃんから貰ったんだ」
「・・・えぇ、休憩しましょうか。お茶、淹れますね」
最初は鬱陶しくって・・・
けれど何時の間にか、彼が私を愛することが私にとって当たり前になってしまっていて・・・
あぁ、成程。もう私は彼なしではやっていけないのだと知った。