「キスしてください」
なんだか幻聴が聞こえたな。
「その前に判子ください」
「判子したらキスしてくれますか」
どうやら幻聴ではなかったようだ。
至極真面目だと言いたげな顔で言う鬼灯様に、今度こそ僕は頭痛を感じずにはいられなかった。
「あの、何故突然そのようなことを」
「キスしたくなったからです」
「・・・・・・」
僕はひくっと顔を引き攣らせる。
もしもこれが、恋人同士の会話であったら鬼灯様はちょっと我が儘な恋人で済んだだろう。
しかしながら・・・
僕と鬼灯様は、そんな関係では一切無い。
というか、こんなこと言われたの初めてだ。つい先ほどまでは普通の部下と上司の関係だったはずなのに。
もしかしてこの人寝不足?
確かに寝不足っぽいけど、頭可笑しくなっちゃうレベル?
「あの・・・少し休まれてはいかがでしょうか」
「添い寝ですね、わかります」
激しくわかってない!!!!
「あ、あの・・・鬼灯様、大丈夫ですか?」
「何がです?私はいつも通りですが」
何処がだ!
・・・いや、まぁ・・・言っていることは可笑しいが、手はしっかり仕事を進めている。
「判子、全部押しましたよ。さぁ、キスしてください」
僕、了承してないんですけど。
そう言いたいが、そう言う暇も無く鬼灯様は目を閉じで「はい、どうぞ」と待ちの体勢を取った。
判子が押された書類。
後はこれを部署へ持ちかえれば僕の仕事は終わりのはずだった。
なのにこの状況はなんだろう。
あの鬼神と呼ばれる鬼灯様にキスを強請られるなんて状況、もしかして僕の方が頭が可笑しくなっているのだろうか。
「早くしなさい」
もはや命令だ、これは。
顔を引き攣らせつつも、さっさとキスしなければ次の作業に移れないということは嫌でもわかる。
あぁなんて僕がこんな目に・・・
それもこれも、やけに涼しい顔で目をつぶっているこの人のせいだ。
「・・・失礼します」
もう自棄だ。さっさとキスして、さっさと終わらせよう。
そう思い、ずいっと鬼灯様の顔に自分の顔を寄せる。
「・・・・・・」
・・・あれ、鬼灯様ってこんなに綺麗だったんだ。
常日頃からまぁ顔の整った人だとは思っていたが、近くで見ると更にそう思うわけで・・・
肌は白くてきめ細やかで、睫毛は長いし唇も綺麗・・・
僕は自分の喉が鳴りそうになるのを必死に抑えた。
キスをするという状況だからだろうか。心臓がどきどきと煩い。
そっと合わせた唇。
近くで揺れる鬼灯様の髪からは、ほんのりとシャンプーの香りがした。
意外にも、男相手にキスをするということに対する嫌悪感は湧いてこなかった。
それどころか・・・
「ん・・・」
・・・自分から言って置いて若干震えている鬼灯様が“可愛い”とさえ思ってしまった。
「・・・ん、ぅ」
ぴくんっと震える鬼灯様の口にそっと舌を滑り込ませる。
舌を絡めるつもりなんてなかった。
だが、ぎゅっと目を閉じて小さく震える鬼灯様を見れば、誰だって間違いを起こしてしまう。
事務的に行うはずだったキスは、いつの間にか深いものへと変わっていた。
「ん・・・ふ、ぅ」
ぎゅっと着物の衿が掴まれる。
少し苦しかったのか、その目じりにじわりと涙が浮かんでいるのが見えてしまい、ぎょっとする。
恐る恐る唇を離せば、目を開けた鬼灯様が何処かぽぉっとした表情で僕を見つめていた。
「名前、さん・・・」
はぁっと何処か艶っぽく息を吐く鬼灯様にドキリとする。
「は、はい・・・」
「・・・書類、床に落ちてますよ」
「え・・・あぁ!?」
言われて床を見れば、僕が持って行くはずの書類が床に散乱していた。
どうやら僕は自分が思っていた以上にキスに集中してしまっていたらしい。・・・恥ずかしい。
慌てて床にしゃがみ込んで書類を拾い始めれば頭上から「仕方ないですねぇ」と何処か楽しそうな声が聴こえた。
直後、僕の正面にすっとしゃがみ込んできたのは間違いなく鬼灯様なわけで・・・
「だ、大丈夫です。一人で拾えますから」
「二人の方が早いですよ。ほら、どうぞ」
「有難う御座います・・・」
差し出された書類に顔を上げれば――
チュッ
「・・・ふふっ、またキスしちゃいましたね」
何処か悪戯っぽく笑う鬼灯様。
僕はガバッ!!!とその場で立ち上がる。
「・・・ぼ、僕はこれを届けに行かなければいけないので、し、失礼します」
まだしゃがみ込んでいた鬼灯様の返事も聞かずに飛び出す僕。
そんな僕の背後で「・・・ふふっ」と楽しげに笑っている鬼灯様など知らない!というか、まさかからかわれたのだろうか?
「〜〜〜っ、怖い人だ」
まさか、キス一つで虜にされてしまうなんてッ!!!
オトすなど口付け一つで十分さ
(ふふっ・・・可愛い)