「世界はとっても綺麗だよ」
そう言って笑ったあの馬鹿野郎のことを、俺はどうにも一生忘れることはできない。
ヤツはアズカバンの看守だった。
吸魂鬼がいるから看守なんてあまり必要ではないけれど、その看守は俺のいる独房の扉の向こう側にいた。
小さな小窓から一度だけ俺を覗き込んで笑ったその眼は、キラキラと輝く金色だった。
きっと、俺とは違って、大分幸せな生活をしてきたのだろう。いや、俺だってそこそこ幸せだった。大事な親友たちと馬鹿騒ぎをして、その親友の子供を見ることが出来て、それで・・・
嗚呼、俺は今不幸なのかもしれない。
謂れの無い罪でアズカバンに収容され、吸魂鬼の影に何時だって怯えている。
そんな中で、看守は扉の向こう側で無神経にも言うのだ。世界は綺麗だと。
嘘と暴力と死に塗れたこの世界が綺麗だって?そんなの、誰が聞いても鼻で嗤う。いや、学生の事の自分だったら喜んで頷いたことだろう。
あの看守は、世界の何を見て綺麗だと思ったのだろう。それとも、世界なんて知らないのだろうか。
扉の向こう側で、看守は俺の返事が無いにも関わらず俺に話しかけてくるのだ。
実はその語りかけが、俺の意識を保たせる要因となったのだが、その点では感謝しても良いかもしれない。
けれど俺はその看守が嫌いだった。どうせ世界の何も知らないで、世界は綺麗だとほざく馬鹿が。
「ハリー・ポッターと言う子を知ってるかい。何でも、その子がホグワーツで学んでいるらしいよ。クィディッチの腕もなかなからしくってね。私はクィディッチには興味はないけれど、きっと未来は優秀なクィディッチの選手かな」
ある日突然出て来た親友の息子の名に、俺は一気にその意識を覚醒させた。
その時からかもしれない。俺が、その看守に返事をしたのは。
嫌いな看守だったが、看守は外の情報を口にした。
看守は「私も人伝に聞いた話だけどね」と付け加えながらも、更に喋るのだ。
看守としては失格だろう。なんたって、囚人に外の情報を与えているのだから。
けれどまぁ、囚人に外の情報を教えたからと言ってその看守を罰する者はいない。生憎この場所には、その看守ぐらいしか来ないのだから。
次々と看守から伝えられる、外の話。中でも、俺が初めて興味を示したからか、ハリーの話が多かった。
ある日俺は看守に自分から話しかけた。
「俺は無実だ」
「そうかい」
「俺は親友の息子を助けたい」
「そうかい」
何時も自分はぺらぺらと喋っている癖に、俺の言葉には「そうかい」しか返さなかった。
それが気に入らなくって、俺はもう本当に看守を無視し始めた。
看守はそれでも喋る。成程、俺は別に返事をしなくても良かったのか。看守は別に、俺に話しかけることに意味など持っていなかったのか。
何故だかそう思うと、少し気落ちした。訳がわからなかった。
「扉を開けようと思うんだ」
俺が返事をしないとわかっているのに喋った看守。その内容は、果てなく意味不明だった。
は?と声を出す暇もなく、ギイッと鈍い音と共に扉が開き、俺を捕える鎖がぱきりと砕けた。
あまりに呆気無く訪れた自由に、俺は唖然とするよりも先に・・・
目の前の衝撃に目を疑った。
扉が開いて初めて俺が見た看守は、お世辞にも『幸せな人間』の姿には見えなかった。
扉の外に設置された古びた椅子。その上に腰かけている男は全身を薄汚れた包帯で覆われていた。包帯の隙間から見えるのは、きっと火傷の痕なのだろう。酷い傷だ。
何よりその看守の足は片一方なくって、不格好な義足が嵌められていた。
だがしかし、金色の双眼だけはやはりキラキラと輝いていて・・・
「ほら、世界は綺麗だ」
どの口がそれをほざくのか、やっぱり看守はそう口にした。
気付けば俺は看守を置き去りに走り出していた。
看守は笑って俺に手を振る。
アズカバンから脱獄した俺を吸魂鬼が追ってきたとしても、俺はただ只管に走った。
鈍って思うように動いてくれない身体に鞭打って、時にはアニメーガスで犬にもなって・・・
友と再会した。親友の息子に会えた。何とか逃げ果せた。不死鳥の騎士団として精一杯やった。だから・・・
「ほら、世界は綺麗だったでしょ」
闇の陣営にやられて『死の世界』へと繋がるアーチへと吸い込まれた。
ハリーを悲しませてしまった。だが、死と言うものは思った以上に辛くはない物らしい。
まるで微睡む様な感覚。いや、眠りに落ちるよりも素早い。
死の世界とやらには、何故だかあの看守がいる。
あぁ、何だ。お前はもう死んでいたのか。
当たり前か。アズカバンの看守が囚人を逃がしてしまったんだ。きっと重罪扱いされて吸魂鬼にキスでもされたのだろう。
死の世界であっても、看守の姿は全然幸せそうな人間の姿には見えない。
逆に、何処までも不幸そうな出で立ち。
俺がじっと見ていることに気付いたのか、看守はにっこりとその金色の目で笑った。
「あぁ、今日も世界は綺麗だね」
「もう死んだんだ。世界なんて見えやしない」
「いいや。世界は何時だって私の目の前にあったさ。今だって、とっても綺麗だ」
看守の言動は不可思議だったが、死んだ今でも不可思議に思う。
看守は首をかしげる俺を見て、小さく微笑んだ。
「あぁ、綺麗だ」
何故だか俺を真っ直ぐ見つめて言う看守。
俺は耐え切れなくなって・・・
「お前にとって世界はなんだよ」
そう問いかけた。
すると看守は楽しそうな声で言うのだ。
「私にとって、世界とは君のことさ」
にっこりと笑う看守・・・いや、もう看守でもないのか。
その男の言葉に、俺は黙るしかなかった。顔だけはやけに熱い。
世界はとっても綺麗だと言う男。その意味は・・・
『君はとっても綺麗だよ』
あぁ、まったく。
何故生きているうちに気付かないのか。
男が俺の返事が無くても気にしていない素振りを見せて、何だか気落ちしたのは・・・自分にずっと話しかけて意識を保たせてくれた男のことを、心のどこかで愛し始めてしまっていたからだ。
独房の扉が開くまで、俺は男の金色の目とやけに幸せそうな声しか知らなかった。
けれど惹かれていた。
あの酷い姿を見ても、俺は醜いとは思わなかった。
逆に、何故そんな姿なのに世界が綺麗だと言えるのか、尊敬すらしたと思う。
嫌いだなんて嘘だ。俺は・・・
「・・・俺も今、世界が綺麗に見えた」
男が俺を世界と称するならば、俺も・・・好いた相手を世界と称することにしよう。
男はくすくすと笑って、包帯に塗れた手で俺の頭を撫ぜた。
・・・酷く安心した。
嗚呼世界とは綺麗なものだ
そうして眠るように、意識は途絶える。
お相手:シリウス
シチュエーション:監守と囚人の恋みたいなのをお願いします
アズカバンに勤務するって常人じゃ無理だなぁ、と書いてて思いました・・・
ちょっとおかしいけど、シリウスへの愛は人一番な看守です。
・・・たぶん、死後の世界とか来世とかでも「綺麗だ」と言い続けると思います。