俺には恋人がいる。
同じ村の出身であり、医大まで一緒だったことから互いに少しずつ話すようになり、そのまま恋人同士に。
まぁ、恋人同士と言っても・・・俺と彼の関係は酷く淡泊だ。
俺は内科で彼は外科。一応彼が雇うという形で俺は宮田医院の医者を勤めている。
そこらにいる恋人のように甘い言葉をかけあったりするわけでもない。
そうだな・・・今日彼とした会話を思い出してみよう。
「おい、宮田。この間の患者のカルテ、あれどこだ」
「何時もの場所になかったか?ないならおそらく看護婦の誰かが持ってるはずだ」
「そうか、わかった」
会話なんてこの程度。
恋人同士というよりも、ただの同僚だな。
だが別に、俺はそれに不満を持っているわけではない。
おそらくあっちもそうだと思う。
俺はただ傍にいれれば良いと思っている。言葉やふれあいではなく、ただ傍にいれるならそれで良い。
淡泊な関係ではあったが、俺は確かに宮田を愛している、宮田もそうであると思う。
「苗字先生、ありました」
「あぁ、有難う」
外も薄暗くなり始めた頃、俺は今日の宮田との会話の中でも出て来た患者のカルテを持っていた看護婦と共に、資料室で患者の治療のための資料を集めていた。
看護婦から手渡された資料をぱらぱらと捲りそれが正しい資料だと確認する。
「手伝わせてしまってすまなかった。もう暗くなり始めているから、荷物をまとめて帰りなさい」
これ以上暗くなるようだったら看護婦を送らなければならなくなる。別に送っても良いが、これが終ったらまだ院内で仕事をしているはずの宮田のもとへ行こうと思っているから、それは出来るだけ回避したい。
俺の言葉に看護婦は少し動きを止め「えっと・・・」と視線を漂わせる。
どうかしたのかと思い看護婦の言葉を待てば、突然看護婦が俺に手を伸ばしてきた。
「あ、あのっ、苗字先生」
頬をほんのりと赤く染め、ぎゅっと俺の手を握ってくる看護婦に、俺は少し困惑する。
困惑はしたが、実のところ思い当たることはある。
最近入ったその看護婦。近頃彼女から注がれる何処か熱っぽい視線に気付かない程俺も鈍感ではなかった・・・が、此処まで積極的だとは思わなかった。
「私・・・好きですっ、先生のこと!」
「・・・すまないが、君の気持には応えられな――」
その瞬間、看護婦にぐいっと引っ張られ、彼女の唇が俺の唇へ・・・
「・・・いい加減にしてくれないか」
俺は自分が思った以上に冷ややかな声を看護婦に投げかけていた。
触れるか触れないかの距離にある看護婦の唇を遠ざけるために彼女の肩を掴んで強く引き剥がせば、彼女はあからさまにショックを受けた顔をする。
「俺は公私を混同するような人間と遊んでいる暇はない。そういうことがしたいなら、他を当たってくれ」
まるで羽虫でも払うように手をシッシッと動かせば看護婦は泣き出しそうな・・・というよりも今にも零れだしそうな程涙を溜めながら資料室を飛び出して行った。
「・・・まったく」
キツイ言い方だったかもしれないが、中途半端に優しくして変な期待を持たれても厄介だ。
それに俺には宮田という恋人がいる。そう思った時、資料室の入口に誰かが立っているのに気付いた。
「宮田?」
「・・・邪魔をしたようだな」
何時の間にかそこにいた宮田は何処か濁った眼で俺を見詰め、低い声でそう言った。
「邪魔?何を言っているんだ宮田。というか、仕事はどうした」
「・・・今日の分は終わった。お前もそろそろ終わる頃だろうと思って来てみたが・・・」
何が言いたいのか、宮田はそこで言葉を止めるとくるりと俺に背を向け歩き出す。
すたすたと歩いて行く背中に「お、おい、宮田?」と声を上げながら、資料を抱えつつもついて行く。
俺の呼びかけを完全に無視した宮田の足は真っ直ぐと院長室へと向かう。
院長室へと辿り着いた宮田は何も言わないまま椅子に腰かけ、俺が意味もわからず正面の椅子に座れば宮田は黙ったまま俯いてしまった。
「どうしたんだ宮田。邪魔って何のことだ?仕事のことなら気にするな、丁度資料を見つけたところだ」
「・・・・・・」
宮田からは返事はなく、変な沈黙が流れる。
何も言わない俺と、俯く宮田。
どうしたものかと眉間を抑えると、宮田が何やら小さな声で言葉を発した。
すまない、もう一度言ってくれ。そう言えば宮田は再度、今度ははっきりとした声で言う。
「あの看護婦とは、随分仲が良いようだな」
「あの看護婦と?・・・そう見えるか?」
あの看護婦と言われて思いつくのは先程の看護婦だけだ。
だが、俺とあの看護婦の仲が良さそうに見えるなんて、おそらくは中途半端なシーンしか見ていないのだろう。
看護婦は資料室の扉に背を向けていたし、お互いにあまり大きな声で言葉を交わしていない。資料室の扉の影から偶然それを見た宮田が勘違いしても可笑しくない要素はある。
あるが、だ・・・宮田がそんなことを気にするだろうか。ただ純粋に、何の深い意味もなく看護婦と仲が良さそうだということを指摘しているだけかもしれないし、まさか・・・
「公私混同を嫌うお前があそこまで近付けさせるんだ、仲が良い以外に何があるんだ」
次第に消え入りそうな声になる宮田。その顔は俯いていて見えないが、その肩が小さく震えているのを見て、俺は内心困惑していた。
「お前にとって、俺は何なんだ?」
「・・・・・・」
まさか宮田がそんなことを言うなんて思いもしなかった。
お互い、付き合いは普通の恋人同士と比べてずっと淡泊だった。だから多少の勘違いをしてもそこまで大事にはならないだろうと思っていた。
だってそうだろう。お互い、今の状態で満足しているものと思っていたのだから。
ただお互い、傍に居られればそれで良いと・・・
「・・・不満だったんだな」
「・・・・・・」
「すまん。全然気づいてやれなかった」
満足していると思っていたのは俺だけだったようだ。
宮田の様子を見ていればわかる。俺は、どうやらとんでもなく酷い勘違いをしていたらしい。
俺がぽつりぽつりと言葉を口にするが、宮田は俯いたまま顔を上げない。
「・・・本当は、俺の事なんか愛してないのか」
「!」
宮田の口から出た言葉に俺は大きく目を見開いた。
「そんなわけあるか!!
「っ!?」
気付けば椅子から立ち上がり、正面にいる宮田の肩を強く掴んで怒鳴っていた。
ビクッと震え、その拍子に顔を上げた宮田。
その顔を見て、俺は若干後悔した。
「・・・泣くな、宮田」
「っ、泣いてない」
普段は冷静沈着で、物事をよく考える男だ。
きっと今回のことだけじゃない。長い間溜めこんでいたことが、今回のことが切っ掛けで耐え切れなくなったのだろう。
そんな彼を泣かせる程追い込んでいたとは、俺はなんて軽率だったのか・・・
「・・・愛してる」
ぽつりと言う。
「言わなくても伝わると・・・触れ合わなくても平気だと思っていた。宮田は全部わかってくれている。そう勝手に決め込んで、結局はお前を悲しませて・・・最低だな、俺は」
つい自嘲の笑みを浮かべてしまう俺を、宮田は泣きながら見ていた。
「言葉にしたらきりがない。お前を愛してる。どうしようもないぐらい愛してる。お前がいないと辛い。お前が視界から消えると、どうしようもなく寂しく思う。お前だけだ・・・俺にとって、お前だけが唯一絶対の愛する人だ」
「っ・・・名前、俺は・・・」
「これからは、言葉にしよう。他人行儀で、ただの同僚のような対応は止めよう。それで・・・許してはくれないだろうか・・・“司郎”」
「・・・卑怯だ、名前は」
確かに卑怯かもしれない。
こんなタイミングで、普段は呼ばない名前を呼ぶなんて。
「酷い男ですまない」
素直に謝れば、司郎は涙を拭いながら「まぁ・・・」と口元に笑みを浮かべる。
「そんなお前を好きになったのは、俺だからな」
「・・・お前の寛大さに心から感謝するよ」
そっと抱き締めれば、すぐに背中に司郎の手が回ってくる。
それが酷く愛おしく感じてしまう俺も、もしかするとこういうふれあいが欲しかったのかもしれない。
「今まで損してたみたいだな。これからはもっと司郎に触らないと」
「・・・セクハラはしてくれるなよ」
「それは保障できないな」
にやにやと冗談っぽく言えば、司郎は呆れたような顔をしつつも「ばか」と言って俺の胸に顔をうずめた。
その耳が赤いことに気付き、俺は今度こそ本気でにやにやと笑ってしまった。
公私混同しても良いですか
最近、宮田先生と苗字先生、何だか仲が良いですね。
ある日看護婦の一人にそう言われ、俺は「仲良しだもんなぁ?」と笑い、宮田は「・・・仕事に集中してください」と咳払いをした。
お相手:宮田司郎
シチュエーション:すれ違いからのハッピーエンド
宮田先生は選択を一つでも間違えるとヤンデレ化しそう。でもそんなところが可愛い・・・