※『女装系男子の昼ドラ的事情』続編。槇寿郎オチIF。
不運な事故だった。
自室で着替えていた私と、普段より更に泥酔し家の中を彷徨っていた槇寿郎様。あろうことか着替え中・・・詳しくは胸に詰め物を入れようとしていた場面で槇寿郎様は部屋に入ってきた。
酔っ払ったその顔は私の手にある詰め物とまっ平らな胸を見た瞬間に完全に素面に戻り、後日呼び出されることになった。
千寿郎が買い物に行っている間、槇寿郎様の自室で二人。一晩で腹をくくったつもりでいた私が事の事情を説明すれば、槇寿郎様は頭を抱えつつも私に「辛かったな」と慰めの言葉をかけた。その瞬間、私は今までのことを思い出し、思わず涙してしまった。
泣き出す私を槇寿郎様は戸惑いつつも慰め続けてくれた。
昔と多少変わってしまっても、槇寿郎様の優しさは変わらない。それが嬉しくて、私はついつい槇寿郎様に甘えるようになってしまった。
杏寿郎様が任務へ出て、千寿郎が掃除や買い物に出て、私はその合間合間で槇寿郎様の部屋で休ませて貰った。
女と偽らず、ただの名前としての休息を得た。
相変わらず千寿郎からの好意や杏寿郎様からの後ろめたさの籠った対応に頭を悩ませていた私にとって、槇寿郎様の傍は何より安心できる場所になった。
正直なところ、槇寿郎様にとってはたまったものではなかっただろう。
長男は外で浮気をし、次男は兄の許嫁に横恋慕、肝心の許嫁が実は男・・・槇寿郎様の胃は何時潰れても可笑しくない。
それでも私に労いの言葉をかけ、傍に槇寿郎様しかいない間は「無理をしないでいい」と気遣ってくれる。
生まれた頃から女としての所作などを叩きこまれていた私は喋り方や動作などについては全く無理はしていなかったが、槇寿郎様がそうやって気遣ってくれるだけで嬉しくてたまらなかった。
あぁ瑠火様は槇寿郎様のこういうところも好きだったのかもしれない。
槇寿郎様のおかげで心穏やかにいられる時間が増えたけれど、根本的な問題は解決しない。
心穏やかな時間が増えた私とは違い、槇寿郎様が胃薬に手を伸ばす回数は格段に増えた。
おかげでお酒を飲む頻度が多少減ったけれど、それが良かったのか悪かったのかはやはり微妙なところだ。
「槇寿郎様、あまりご無理をなさらないでください」
「あのバカ息子共がどうにかなればな」
それはきっと難しい話だ。
杏寿郎様が恋焦がれ浮気している相手は同じく杏寿郎様を深く愛していて、杏寿郎様にあと少し責任感が足りなければ二人はきっと家を捨てて駆け落ちでもしていたことだろう。それぐらい二人は愛し合っているはずだ。
千寿郎の私への恋心は若いうちの青い恋・・・と思いたいところだが、千寿郎のあの積極性と勢いを見るとただの若気の至りとは思えない。こちらが断っても「名前さんにとって、一番頼りになる立派な男となれるよう、精一杯頑張ります!」と宣言した様子から、そう簡単に諦めてはくれないだろう。
杏寿郎様の恋心は杏寿郎様のもの、千寿郎の恋心も同じく千寿郎のもの。私がどうこうして解決することは難しいだろう。
一番この家にとっていいのは、私と杏寿郎様が婚約を解消し、煉獄家から私という存在がいなくなること。そうやってすっぱり綺麗にお別れすることが一番だろう。
そうすれば杏寿郎様は浮気相手を妻として迎えることが出来るし、千寿郎も幼い恋をほぼ強制的に終わらせることが出来る。・・・まぁそれを絶対に許さないのが、私自身の生家なのだが。
「お前までそんな顔をするな。お前には苦労をかけるな・・・」
「いえ、いえそんな」
私が一度涙を見せたせいか、槇寿郎様は何かと優しい。女の涙は武器になると言うが、女の姿をした私の涙も武器となってしまったのだろうか。
「お前が実家には帰れないというなら、此処にいたってかまわない。出て行きたいというなら、可能な限り援助しよう」
「・・・槇寿郎様がお許しくださるなら、もうしばらく此処においてください」
「お前が男であることと、あのバカ息子が外でやらかしていることは別問題だ。その件に関してお前が申し訳なく思う必要はない」
話していくうちに次々と向けられる私に対する気遣いの数々に胸が熱くなる。
「・・・本当に、槇寿郎様は素敵な人です」
思わず零れた言葉に、槇寿郎様が「あっ?」と少し間の抜けた声を上げる。
「いずれ家族となる人たちを騙していた私に、此処まで親切にしてくださって・・・私はもうそれだけで幸せです」
「小さい幸せだな」
「小さくなんてありませんよ。私にとって槇寿郎様との出会いは、人生において一番幸せなことだったのかもしれません」
「・・・こんな飲んだくれと出会えて幸せなんて、変わったヤツだ」
「最近だとお酒より胃薬の方ばかり飲んでいるご様子ですが」
冗談めかしていえば槇寿郎様は苦虫を噛み潰したような顔で「煩い」と返事をした。返事をしてから数拍、何かを考えるような素振りを見せた槇寿郎様は「おい」と私を見る。
「午後から、久し振りに道場に行く。付いて来い」
その言葉に思わず「えっ!」と声を上げてしまった私は可笑しくないだろう。
道場に行く、それはつまり・・・
「・・・はい。では、必要なものをご用意しておきますね」
胸がいっぱいになりながら強く頷き、私はそれからしばらくして戻ってきた千寿郎と共に昼餉の準備をした。
静かな昼餉の後に「名前、いくぞ」と声を掛けてくれた槇寿郎様と共に道場へ向かう私を千寿郎が驚いた顔で見つめていた。
道場に着くなりしばらく使っていなかった竹刀を振るう槇寿郎様。道場を覗き込んだ千寿郎が驚きと喜びのあまり涙する姿が見える。
私は槇寿郎様のための手拭いや飲み物を傍らに用意したまま道場の隅に腰をおろしている。
「名前」
「はい、槇寿郎様」
名を呼ばれすぐに手拭いと飲み物を手に槇寿郎様へと駆け寄り「いかがでしたか?」と問いかける。
「・・・やはり鈍っているな」
「ふふっ。それはお休みしていたツケなのですから、清く受け入れないと。これから少しずつ戻していきましょうね」
「・・・、・・・そうだな」
私から受け取った手拭いで汗を拭き、飲み物を飲んだ槇寿郎様が私を見つめる。
「名前」
「はい、槇寿郎様」
「お前さえよければ、これからも俺を支えてくれ」
その言葉に驚くのも無理はないだろう。道場を覗き見ていた千寿郎だって、目がころりと落ちてしまいそうなほど目を見開いて驚いている。
「・・・はい、喜んで」
槇寿郎様の言葉には驚いたものの、私は心穏やかにそう返事をしていた。
「名前、あれ取ってくれ」
「ふふっ、お醤油のかけすぎは身体に悪いですよ」
「そう言うな。今日は普段より身体を動かしただろう」
「じゃぁあと少しだけですよ」
醤油差しを手に槇寿郎様の傍にいき、焼き魚に軽く醤油を垂らす。
「あと、酒のおかわりを」
「もぉ、駄目ですって。明日も朝早くから鍛錬すると言っていたじゃないですか」
ぽんっと軽く槇寿郎様の肩を叩くと、槇寿郎様は「むぅ・・・」と小さく唸ってから肩を落とした。その様子が可愛らしくてくすくす笑っていると、ふと感じる視線。
ちらりと見れば、ぽかんとした様子でこちらを見る杏寿郎様と、泣きそうだけれど父親が元気になって嬉しそうなそんな複雑な表情をしている千寿郎がいた。
杏寿郎様に至っては、家に帰ってきてから今までずっとこの調子だ。
「名前、今度街に行くか」
「え?いいのですか?槇寿郎様」
「お前はずっと頑張ってきただろう。それに俺も、お前と出かけてみたい」
その言葉に胸がいっぱいになりながら「はい、喜んで」と頷いた私に、杏寿郎様は何た言いたげな顔をしていたが結局何かを口にすることはなかった。
女装系男子が至った一つの終着点
婚約者がいながら外に女を作った長男、そんな長男の婚約者に横恋慕する次男、そしてその婚約者との仲睦まじさを見せつける父親・・・
泥沼に更に泥が追加されたような状況だが、以前と比べればずっと心は楽になっていた。
お相手:煉獄槇寿郎
シュチュエーション:まさかの父とくっついた事で仲睦まじさを見せ付けられる息子二人が見たいです。
まさかの槇寿郎ENDのリクエストに驚きましたが、たぶんこのENDが主人公的には一番幸せ。心穏やかに生きられる。
ただ、此処から杏寿郎や千寿郎が巻き返してこないとも限らない・・・