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イソップがおかしくなっちゃったのは何時からだったかな。何度目のゲームが終わったあとぐらいから、ぼんやりすることが多くなったんだ。

それで、ゲーム中に他人の治療に専念することが増えて、納棺師なのに納棺することが極端に減って・・・

あれ?って思った頃には、イソップはイソップ・カールじゃなくなっていた。


優秀な精神科医のロールシャッハ先生。イソップは自身のことをそう誤認している。

お医者さんだから患者の治療をする。彼にとってはそれは極々当たり前のことだけれど、周囲にとってはそうじゃなかった。

いくら彼が医師だと思っていても、現実はそうじゃない。治療速度はやっぱりエミリーの方が早いし、納棺師である彼には納棺をして欲しい。

周囲は彼を元に戻そうとした。君はロールシャッハなんていう人物じゃ無い。君は納棺師、納棺師のイソップ・カールなんだ。

そう訴えても、彼はそれを聞き入れることはなく、専門外とは言いつつも必死に治療をしようとしてくれたエミリーの努力もみを結ぶことはなかった。


結局のところ、サバイバーは荘園の主に向けて「イソップ・カールはゲームに参加できない状態となった」と報告する他なく、それを受けた荘園の主は彼が回復するまでゲームの不参加を受け入れた。

ゲームが出来なければ追い出されてしまうのではと内心心配していたサバイバーたちは、ただの不参加許可で済んだことでほっと胸を撫で下ろしたのだった。

かくいう俺も胸を撫で下ろしたサバイバーの一人で、早くイソップが元に戻ってくれることを強くのぞむ一人でもあった。


最初の頃はどのサバイバーもイソップに「君は納棺師なんだ、自分の役割を思い出せ」と諭すように懇願するように言ったり、何かしら彼の回復のために行動した。しかしなんの成果も生まれない行為は、人のやる気を失わせる。いつの間にやら「そっとしておこう」という意見も増え始め、今ではすっかり納棺師のイソップ・カールの話題があがることもなくなった。

たまにイソップに会えば適当にイソップの話に合わせてやったり、それが面倒なら離れていったり・・・仕方のないこととはいえ、白状なやつらだよ、まったく。




こんこん、と夜だからか控えめなノックの音はする。しばらくして開いた扉から、イソップが部屋へと入ってきた。

「こんばんは、名前くん。調子はどうですか?」

どうやらロールシャッハ先生であるイソップの中では俺は患者らしい。真夜中になると俺の部屋へ来て、俺の体調を確認する。

おそらく彼にとって荘園は大きな精神病院で、各部屋は病室なのだろう。

殆どのサバイバーは夜寝るときはきちんと鍵をかけるため、こうやってロールシャッハ先生が見回りに来ることはない。しかし、全ての部屋の鍵が閉じられひとりぼっちで只管に廊下を歩き回らせるのがあまりに可哀想で、俺は夜鍵を開けっぱなしで眠るようになった。

疲れていると本当に眠ってしまうけれど、イソップにとっては患者の様子を確認しに来ているだけなため、俺が眠っていても大して問題にはならない。起きていればイソップの診察に少し付き合ってから眠る。


「大丈夫ですよ。君は私がきちんと治してあげますからね」

「・・・有難う、先生」

お礼を言えば、彼はにっこりと微笑む。イソップ・カールであった時よりも表情が豊かで、彼にとっては今の方が幸せなのではと思ってしまいそうになる。

「ねぇ先生、今日もお仕事疲れたでしょう。見回りが俺で最後なら、此処でゆっくりしていって」

「ふふっ、本当に君は甘えん坊ですね、名前くんは」

キャラメルと砂糖を煮詰めたような甘ったるい眼差し。まるで可愛い坊やでも見るようなその目に、俺は取ってつけたような笑みを浮かべることしかできない。

荘園の主も、イソップの回復についてほぼほぼ諦めてきているように思える。もし荘園の主が不参加の許可を撤回したら?撤回して、イソップを荘園から追い出してしまったら?

こんな状態のイソップを外に放り出すなんて、俺にはできない。誰にもさせたくない。


「ねぇ先生、寝る前のお話をしようよ」

「えぇいいですよ。何を話しましょうか」

ベッドに寝転ぶ俺の隣、ベッドサイドに座った彼はにっこりと微笑んでいる。

「俺ね、好きな人がいるんだ」

「・・・それは、初耳ですね」

「誰にも言ったことがないんだ。先生が初めて話す人だよ」

一瞬言葉を止めたイソップ。きっと彼の中の俺の設定と噛み合わない部分があったのだろう。


「その人はとても繊細な人でね、でも一生懸命な人だった」

「・・・きっと、ステキな人なんでしょうね」

「そう。とっても素敵なんだ。素敵すぎて、まともに声がかけられないぐらい」

イソップの手袋をつけた手が、ゆっくりと俺の口に触れた。やっぱり彼の中の設定とこの話は合わなかったらしい。

「絵本を読んであげましょう」

不自然に入れ替えられる話題。

「さぁ、ほら、絵本を読みましょうね」

目の前に広げられるのは絵本なんかじゃなくて、イソップが以前使っていた手帳だ。俺は口に当てられた手をやんわりと退ける。


「ねぇ先生、絵本はいいよ。俺の話の続きを聞いて」

「むかしむかし、あるところに・・・」

「今思うとね、声ぐらいかければ良かったと思うんだ。もしかすると拒絶されるんじゃ、嫌がられるんじゃって思って、何も行動しなかったんだ。でも今なら、できる気がするんだ。きっと、何もしないよりはずっと・・・」

「絵本を!読んでいるんです!静かに!」

イソップが怒鳴って俺を睨みつけた。

たまにこういうことはある。イソップの中の設定と現実が噛み合わなすぎる時、混乱したイソップは少しだけ暴力的になるんだ。

今にも俺を殴りそうな勢いのイソップに、俺はにっこりと笑う。


「ロールシャッハ先生は、俺の好きな人、知りたくないの?」

絶望にも似た表情を浮かべた彼。震える唇が小さく「いやだ」と言った気がした。
自分の中の設定を崩されたくないのかもしれない。それでも俺は言おう。言わないよりはずっといい。

「ずっと、君と喋ってみたかったんだ、イソップ」

「・・・?」

「初めて一緒のゲームに参加した時、俺を納棺してくれたね。目が覚めたら棺桶の中なんて吃驚したけれど、俺のことを一生懸命納棺してくれたんだなって思うと、なんだか興味がわいて・・・でも君はちょっと人見知りで、人に話しかけられるととても警戒してしまっていた。俺はそういう気遣いが苦手で、君に嫌な思いをさせてしまうんじゃないかって怖かったんだ。君を目で追ううちに、君のステキなところを沢山見つけた。君のステキなところを見つけるたびに、話しかけるのが申し訳ない気がしたんだ」

俺の言葉が届いているのかいないのか、彼はぼんやりとした表情で俺を見つめている。


「俺が喋りたいのは、ロールシャッハ先生じゃなくてイソップ・カールなんだ。早く俺を患者から卒業させて、先生」

彼が俺の言葉をどう思ったかなんて知らない。

頭を抑え、冷や汗をだらだらと流す彼は、何も言わずに部屋を出ていってしまった。

一晩で一気に言い過ぎただろうか。けれど俺も、随分粘った方だと思う。ずっとずっと粘って、イソップの精神状態が一番安定していそうな日を選んで、この話をした。

これで状態が悪化すれば、どうなるのだろう。怒ったロールシャッハ先生が治療と称して俺を殺しにでも来るだろうか。流石に死ぬのは嫌だが、二三発殴られるぐらいは受け入れてもいいかもしれない。


そんな俺の予想とは裏腹に、翌朝になってもイソップは特に問題はなさそうだった。いや、ロールシャッハ先生である状態は継続中なのだけれど、怒鳴ったり暴力的ではないという意味で。

・・・結局、俺の言葉なんてたいして心に響いたりはしなかったのだろうな、と思うと少し悲しかった。


「どうしたんだ、名前」

ダイニングホールの自分の席についてのそのそと食事を取っていると隣から声をかけられた。横を見れば「辛気臭い顔しやがって」という言葉と共に顔をしかめるナワーブと目があった。

「あぁいや、現実の非情さを知っただけだよ」

「またイソップのことか・・・お前ぐらいだぞ、そんなに粘ってんの」

呆れたようにナワーブは言うけれど、ナワーブだって少し前まではイソップを元に戻そうと一緒に頑張ってくれていたじゃないか。だというのにその言い草、この薄情者め。


「怒るなよ。もう長いことあの状態なんだ、すっぱり諦めた方がいい事だってある」

仲間思いのナワーブまでそんなことを言うなら、本当にイソップはもう手遅れなのかもしれない。それでも諦めきれない俺の方が、きっと周囲から見れば可笑しいのかも。

「ま、お前が粘るっていうなら応援ぐらいはするさ」

バシバシと背中を叩かれる。手伝いはしないが気にはかけてくれるということだろう。本当にお前は仲間思いのいい男だよ、ナワーブ。

しかしまぁ、バシバシを叩かれた背中は普通に痛かったし、お返しにナワーブの皿からチキンを一つ奪ってやった。お返しのお返しとして俺の皿からはデザートの苺が消えた。




そしてその日の晩、俺は眠らずにベッドの上でイソップを待っていた。

こんこん、と控えめなノックの音、入ってくるロールシャッハ先生なイソップ。

「・・・こんばんは、名前くん」

「こんばんは先生、今日は元気がないね」

昼間はそうは見えなかったけれど、やっぱり昨晩のことを気にしているのかもしれない。

少しの期待を持ってそう言うと、イソップはゆっくりとこちらに近づいてくる。


「調子は、どうですか」

「体調はいい。けれど、昨夜は先生が俺の話をちゃんと聞いてくれなくて、少し寂しかったかな」

昨晩のように、イソップの手袋をはめた手が俺の口に触れる。昨晩のことは喋るなという意味だろうか。

口を押さえられながら、イソップを見つめる。イソップは、薄暗い目で俺を見つめていた。

「君は、私が治してあげます。君は重篤な患者だ。けれど大丈夫、私は君を見捨てたりなんかしないから」

それはこちらの台詞、とはきっと口が塞がれていなくても言うべき台詞ではないだろう。でも俺だって、お前が諦めきれないよイソップ。


「少し君を自由にさせ過ぎてしまったのかもしれません。今後は、私が付きっ切りで君の面倒を見ます。他の患者への悪影響にもなってしまうから、不用意に話しかけてはいけない。わかってくれますね、名前くん」

他の患者への悪影響?他のサバイバーと会話するなということだろうか。

「約束、してくれますね?」

薄暗い目は瞬き一つせずに俺をじっと見つめている。断ればすぐにでも何かをやらかす雰囲気だ。

何かを言おうにも俺の口は塞がれたままで、手でそれを外そうとするとイソップのもう片方の手がそれを止めた。


「約束できないというなら、君を隔離病棟に移さなければならない。いい子な君なら、わかってくれますね?約束してくれますね?」

困ったな、隔離病棟に移すというのは、俺を部屋に閉じ込めておくということだろう。イソップに付き合ってそんなことをすれば、他の皆に迷惑がかかる。

ならイソップの言うようにイソップ意外と喋らないと今ここで約束する?荘園での共同生活で会話は必要不可欠だ。せめて、他の皆に事情だけは説明したい。しかしイソップはその会話すらも許してくれない気がする。

俺が返答に困っていると、イソップの顔がみるみる怒りに染まっていくのがわかった。

口から手が離れたかと思うと「どうして!約束できないんですか!」と肩を揺さぶられながら怒鳴られる。


「先生、先生聞いて、俺はできる限り先生の言う通りにしたいと思ってる。けど、他の人に迷惑はかけられないんだ」

ロールシャッハ先生は忘れてしまっているだろうが、荘園はゲームをするための場所なんだ。如何なる理由があろうとも、それを邪魔する存在を荘園の主人は許したりしない。

ゲームの続行が不可能となったイソップが荘園にいられるのだって、奇跡に近いんだ。・・・俺までゲームに支障をきたしたら、今度こそどんな処遇になるかわかったもんじゃない。


「先生、俺のことを思ってくれるなら、どうか他の患者さんと話すことは許して。ずっとそばにいて、俺が変なことを言って他の患者さんに迷惑をかけてないか見張っててもいいから。ね?お願い先生」

「・・・もちろん、ずっとそばにはいます。君は大事な私の患者なんですから」

小さな子供を意識して、甘えるようにイソップの腰に腕を回す。イソップの中での俺はやはり小さな子供か何からしく、イソップはぴたりと動きを止め俺の背中を撫でた。

「・・・でも、彼は駄目です。彼も君と同じく重篤な患者ですから、君が関わると彼まで悪化させてしまうかもしれない」

「彼?」

どうやら特定の人物について言っているらしい。

見当がつかない俺にイソップは小さく「ナワーブさんです」と言った。そういえば今日の昼間ナワーブと話している時にイソップも近くにいたから、その時のことを言っているのかもしれない。


「なんで?先生、なんでナワーブは駄目なの?」

「・・・駄目、と言ったら駄目なんです」

ナワーブだけが駄目な理由がわからずに問いかけても、明確な理由は出てこない。本当は理由なんてないのでは?と思ったけれど、理由もなしにナワーブと喋るなと言うほどイソップもロールシャッハ先生も横暴ではないだろう。そう思いたい。
少し、思考をポジティブにして考えてみよう。暗い考えはいくらでもできてしまうのだから、あえて明るく考えるのも大切あ。

イソップがナワーブを名指ししているのは、明らかに昼間の様子をみていたからだろう。俺とナワーブの様子でイソップは内心気に入らない部分があったのかもしれない。その気に入らない部分とは?


「ねぇ先生」

「はい、何ですか名前くん」

「俺とナワーブが仲良く話しているのを見て、嫉妬してくれたの?」

なんて、と冗談っぽく言って終わるつもりだったが、イソップの喉からひゅっと空気を吸う音がした。


「えっ?え?まさかの図星?ロールシャッハ先生?それともイソップ?どっち?どっちが嫉妬してくれたの?」

ばちんっと口が塞がれる。だらだらと冷や汗を流しているイソップは明らかに動揺しているが、こんなの聞かずにはいられないじゃないか。

もしかすると、もしかするとだ。このままイソップとの会話を続ければ、俺はちゃんと『イソップ・カール』と話ができるかもしれない。

「きょ、今日の、往診は、ここまでです」

一言一言をやっとの思いで口にしたイソップは、ぱっと俺から離れて逃げるように扉へと向かう。

「イソップ!」

もちろん返事はないが、構うものか。このチャンスを逃してはいけない。

「ナワーブとは確かによく喋るけど、一番喋りたいのは君だよイソップ!」

言った瞬間ばたんと扉は閉められたけれど、きっと聞こえてはいただろう。


「・・・まだ、粘っていていいんだ」

イソップはただの狂人じゃない。根気強く接していれば、いずれはイソップ・カールに戻るかもしれない。

その夜そう思えた俺は、珍しく安眠できた。




どうしても喋ってみたかった




「・・・先生、見張っててもいいって言ったけど、見過ぎじゃないかな」

「おい名前、勘違いじゃなければ俺めっちゃ睨まれてねぇか」

「気のせい気のせい。先生、ナワーブとのお喋りは終わったから、あっちで一緒にご飯食べようか」

くいくいと腕を引けば、イソップは「仕方ないですね」と言って歩き出した。

ちなみに、最後にもう一度ナワーブを睨むのも忘れておらず、ナワーブも「やっぱ睨んでるだろ!」と怒鳴っていた。



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