その扉の前に立つと、カイトの肩には自然と力が入ってしまう。
最後にこの扉の前に立ったのは一年以上前。ハンターとしての仕事が立て込んでいたせいもあり、なかなかこの場所にはこれないカイトは、もしかすると扉の向こう側の人間が忽然と消えてしまっていたり、扉を開いてくれなくなっているのではと不安になる。
今回は一年以上前だったが、前回なんてもっと酷かった。師匠であるジンを探しあちこちに旅に出ていたせいで、この扉の向こう側にいる人物とは会えず、電話すらもなかなかできなかった。
前回あれだけこの扉の前で不安になった癖に、また同じように不安になっている。前回は不安故になかなか扉が叩けないカイトを偶然扉の中の人物が気付いてくれたからよかったものの、そう何度も同じ偶然は起きないだろう。
何度も深呼吸をして、扉の中にいるであろう人物が返事をしてくれると信じ、扉を叩く。
しばらくして「はーい」という返事が聞こえ、びくりと肩が震える。
ハンターとして戦う敵に対してはこんな風にはならない。扉の向こう側にいる人物が敵より恐ろしいわけではない。いや、ある意味、恐ろしいかもしれないが。
がちゃりと扉が開く。扉の向こう側から出てきた人物が、カイトを見て「あっ」と小さく間の抜けた声を上げた。
扉の向こうに人はいたし、扉は開いて貰えた。カイトの不安のうちの二つは解消される。
「・・・名前」
小さく名前を呼べば少し固まってしまっていたその人物、名前はじわじわとその顔に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「お、お久しぶりです、カイトさん!」
満面の笑み。自分が歓迎されていることを理解すると同時に、カイトの肩の力が抜けた。
「もしかしてまたしばらく扉の前に立っていたんですか?さぁ、早く部屋に入って」
嬉しそうな顔で手を握られたカイトは、少し目を伏せ口元にほんのり笑みを浮かべる。
「ん・・・名前、久し振りだな」
優しい手つきながらもしっかりと握られている手。自分に向けられる、愛おしいものを見る視線。
名前とは、カイトにとって少し年下の恋人だった。
「いつも言ってますけど、事前に言ってくれればもっと良いおもてなしが出来たのに・・・あぁでも、カイトさんが好きな砂糖とミルクたっぷりの珈琲ならすぐに用意できますからね」
「ん・・・」
長らく会っていなかった恋人が、変わらず自分を愛してくれていると一瞬でわかる態度。カイトはそのわかりやすさが気に入っているが、同時に何時も気恥ずかしかった。
名前に手を引かれるがままに家の中に引き込まれ、ソファへと座らされる。
久し振りに会えたことが嬉しいのだと態度で示してくれた名前が、普段カイトが飲むものよりうんと甘いミルクと砂糖たっぷりの珈琲が入ったマグカップを用意して戻ってくれる。
付き合い立ての頃、カイトの好みもわからずあたふたしながら淹れてくれた、名前の好みに合わせた珈琲。正直カイトにとっては甘すぎるのだが、恋人が一生懸命淹れてくれた事実が嬉しくて、今でも珈琲の好みについては訂正をしていない。
うんと甘い珈琲を一口啜り「美味しい」と感想を述べれば、名前は嬉しそうにふにゃりとした笑みを浮かべた。
珈琲を飲むカイトの隣に名前が腰掛ける。久しぶりに恋人のぬくもりを感じたくて少しだけ身体を名前の方へ傾ければ、名前は「ひぇっ」と小さな声を上げた。
嫌がっているのではないことは、名前の真っ赤な顔でわかる。
会える時間が少ないせいか、付き合い自体は長いのに名前はなかなかこういった接触に慣れてくれない。
そういう何時まで経っても初心なところも可愛いのだが、恋人としてはもうちょっと積極的になってもらいたいとカイトはこっそり思っている。
身体をぴとりとくっ付け、マグカップを持っていない方の手で名前の手の甲を撫でる。面白いぐらいに身体を震わせる名前に、カイトは「相変わらずだな」と少し笑った。
扉の前で感じていた不安なんてもう一切ない。名前は長く時間が空いていても変わらず自分を愛してくれているし、自分を受け入れてくれている。その実感が、カイトをいつもの調子へと戻してくれた。
手の甲を撫で、指を絡ませ、傍にある頬に軽くキスをする。
「カイトさん、恥ずかしいです」
「君がもうちょっと積極的になってくれるなら、俺も自重しよう」
少し色っぽさをのせた微笑みを向ければ、名前は真っ赤な顔のまま視線を漂わせてしまう。本当に初心で可愛い。まぁヘタレとも言うが。
「お、おなかすいてませんか?何か軽く食べられるものを用意しますね」
「おっと、わかりやすく逃げたな名前」
「からかわないでくださいっ」
ソファから立ち上がり逃げるようにキッチンへと行ってしまった名前。身体の半分に感じていたぬくもりが突然消えて、ほんのり寂しくなるが、あまりからかい過ぎてもいけない。
カイトは仕方なく名前が軽食の用意を終えるまで、大人しくしておくことにした。
ソファに座りながら、ぐるりと部屋の中を見渡す。
家具の配置は一年以上前から然程変わっていない。テーブルにかけられたクロスが変わっている気がするが、変化なんてそれぐらいだ。
きっと何時だって会う時は久しぶりなカイトが部屋の様子に違和感を覚えないように、名前なりに気を遣ってくれているのかもしれない。
この様子ならリビングだけではなく寝室も変わってはいないだろう。カイトは今日この家でゆっくりさせて貰うつもりでいる。恋人と一緒のベッドで眠れば、きっとこの一年以上の仕事の疲れも癒えるはずだ。
「・・・ん?」
特に大きな変化はない部屋だが、名前は壁際の棚の上に封が切られた手紙を発見した。
見たところ、何かの書類とかではなく、単純に誰かからの手紙のようだ。可愛らしい模様の封筒は、きっと女性が選んだものだろう。
人の手紙を盗み見るものではないが、何となくその手紙が気になったカイトはソファから立ち上がり、引き寄せられるように棚へと近づいた。
手紙を見下ろす。やっぱり封筒は女性が選ぶような可愛らしいものだ。封が切られているため、中の便箋も少し見える、これもやっぱり可愛らしい。
ちらりとキッチンの方を見る。まだ名前が戻ってくる気配はない。
いけないことだとはわかっていながらも、カイトはそっとその手紙に手を伸ばした。
・・・結果的に言えば、その手紙は別にカイトを不安にさせるようなものではなかった。女性は女性でも、どうやら近所に住むご高齢の女性からのほんの些細な手紙だった。カイトも一度会ったことがある人物だ。
家庭菜園で採れたトマトが美味しく出来たから是非食べてみてね、なんていう平和と親しみがあふれた手紙。
「あれ?カイトさん、どうかしたんですか?」
声に反応してくるりと振り向けば、トレイを手にした名前が立っていた。
「あぁ、その手紙ですか?近所の方がトマトを分けて下さって。カイトさんにも食べさせてあげたかったなぁ」
手紙自体は残っていても、トマトは残っていなかったらしい。
当たり前のことだが、カイトはなんとなくそれが嫌だった。
「オムレツとサラダ、スープはインスタントです」
簡単なものでごめんなさい、と笑う名前がテーブルの上にトレイを置く。
先程までは全く気にならなかったのに、一年前とは違うテーブルクロスも、なんとなく気に入らなくなった。
もし自分が一緒に暮らしていれば、新しいテーブルクロスを一緒に選びに行けたのだろうか。近所のおばあさんから貰ったトマトを一緒に食べて美味しいと言い合えたのだろうか。
ハンターの仕事なのだから仕方ない。一番つらいのは待っている名前の方なのに、カイトは自分が寂しくて寂しくて仕方なくなった。
「カイトさん?どうかしたんですか?」
心配そうに自分を見る名前。こんなに間が空いているのに、自分を変わらず愛してくれる優しくてちょっぴりヘタレな恋人。
名前の愛を疑うつもりはない。けれどそれでも、つい不安になってしまうのは仕方のないことだ。
次はもう駄目かもしれない。次はもう愛想が尽きて、自分の前から消えてしまうかもしれない。もしかすると自分がいない間に別の恋人を作ってしまうかもしれない。
不安が不安を呼び、辛くて泣きたくなる。いもしないであろう相手に嫉妬して、嫉妬で狂ってしまいそうになる。
「カイトさん、そんなに悲しそうな顔しないで。味は普通だと思いますけど、温かいものを食べればきっと落ち着くはずです」
名前の優しさが好き。けれどその優しさが別の誰かのものになってしまわないかと不安になる。
「本当にどうしちゃったんですか?僕が出来ることなら何だってするので、頼ってください」
ぼろっと目から涙が零れた。元々溢れてしまいそうだったものが、名前の無償の優しさで溢れてしまったのだ。
泣き出したカイトは自分の醜態に慌て、カイト以上に慌てたのが名前だった。
「カイトさん!?そんなに嫌なことがあったんですか!?」
「あ、ごめ、これは違う・・・」
「違うことなんてないです!ほら、こっちに来てください」
名前に手を引かれ、ソファへと逆戻り。カイトが小さく「オムレツ・・・」と言えば「冷めたら後で温めなおすので」ときっぱり名前が返事をする。
ソファに座りながら情けなくぼろぼろと泣いてしまうカイトの身体がぎゅっと抱きしめられる。つい先程カイトがくっつけば恥ずかしがった癖に、カイトを安心させるためならそれが出来る。まったく、ヘタレなのだか男前なのだかわからない男だなとカイトの頭の中の冷静な部分がそう思った。
「カイトさん、教えてください。何が貴方を泣かせたんですか?僕はカイトさんの力になれますか?」
「ん・・・トマト」
「トマトが食べたかったんですか?後で一緒に買いに行きましょうね」
「テーブルクロス、変わってた」
「じゃぁ、それも一緒に買いに行きましょう。実はトイレのスリッパとか、お風呂マットとかも変わっちゃってるので、それも買いに行きましょう」
ぐずぐずとカイトが鼻を啜れば、更に強く抱きしめられた。
「名前が・・・」
「僕?僕が何かをしてしまいましたか?」
「名前が、誰かに取られるかもしれない。俺が留守の間に」
流石の名前も呆れていることだろう。何故泣いているのかと問えばトマトだのテーブルクロスだの、挙句の果てには居もしない浮気相手への嫉妬。
「・・・カイトさんが思ってくれる程、僕を狙う人なんていませんよ。カイトさんぐらいです、僕を愛してくれるの」
ぽんぽんと一定のリズムで背中を叩かれる。
「なかなか会えないし、電話もたまにしかできませんけど、僕はカイトさんを愛してます。愛する人がいるのに浮気なんてしませんよ」
「次会えるのは、また一年後、下手するともっと会えないかもしれない」
「それは正直寂しいですけど、それでも最終的にカイトさんが僕のところに来てくれるなら、頑張って待ちますから」
温かな体温と一定のリズムで叩かれる背中。加えて名前の優しい声にカイトの目から流れる涙の量は少しずつ減っていく。
「・・・名前は俺のこと好きか」
「好きなんて生ぬるいぐらい、愛してます。不安にさせてごめんなさい、これからはもっと、僕がカイトさんを愛してるっていうのがわかるような態度を取ります」
態度はもう十分だとは思う。名前の一挙一動は常にカイトへの愛に満ち溢れているのだから。けれど、それがもっと愛にあふれるのなら、別にそれも悪くはないなと思ってしまう。名前の愛はいくら与えられても心地がいい。
「もう泣かないで、カイトさん。僕にはカイトさんだけですよ」
「・・・じゃぁ、今夜はそれを『最もわかりやすい態度』で示してくれ。もちろん、ベッドで」
「ひぇっ!?そ、そういうことを突然言わないでください。・・・そ、その、がんばり、ます?」
先程までのはっきりとした口調がウソのように、名前はしどろもどろになりながらもそう返事をした。
原因はトマトとテーブルクロス
「こんなに泣いてしまって、明日腫れてないといいですけど・・・」
「何を言ってるんだ。絶対に腫れるぞ」
だってお前がベッドの上で散々泣かせてくれるんだろう?と本調子に戻ったカイトが冗談っぽく言えば、名前は真っ赤になった顔を両手で覆った。
お相手:カイト(女の子じゃない方で…)
シチュエーション:年下ヘタレ攻め(22〜23才くらい…?)でお願いします。カイト嫉妬で泣かせてほしいです…
普段カッコイイ人が不安で泣くの、いいと思います。
恋人がヘタレなせいで自然と積極的になって悪戯に色気を振りまくカイトさん・・・
えっちなお姉さん♂が好きです。