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「あいたっ」

包丁で指を切ってしまった。

ぴりりと指に走った痛みに思わず左手に持っていた大根が手から零れ落ちる。

包丁をまな板の上に置いて患部を見れば、そこからぷっくり丸く血が滲んでいた。

どん臭いなぁと自分に呆れながら水道水で傷口を洗い流してから絆創膏を探しにキッチンを出る。確かリビングにある棚の引き出しに仕舞って置いたはず。

今もじわじわと滲む血が誤って零れ落ちないように気を付けながらリビングへと向かうと「どうかしたのか」と声を掛けられた。


「ちょっと指を切っちゃって」

「大丈夫なのか」

「少しだけだから平気」

リビングでテレビを見ていた彼が私を心配そうに見ている。指はぴりぴり痛むけど心配されると何だか嬉しくて、私は思わず口元に笑みを浮かべてしまった。


「絆創膏は?俺が張ってやる」

「ふふっ、有難う。絆創膏はそこの棚の、そう、そこの引き出し」

「・・・俺の家なのに、お前の方が詳しいな」

「ふふっ、焦ちゃんよりは詳しいかもね」

ソファに座って待っていた私の隣に腰かけた焦ちゃんが丁寧な手付きで私の指に絆創膏を巻く。

切ってしまったのが左手の薬指のあたり。

焦ちゃんに絆創膏を巻いて貰って初めて気付いたけれど、これだとまるで・・・


「指輪みたいね、焦ちゃん」

思ったことをそのまま口に出し私が笑いながら絆創膏が巻かれた方の手をひらひら揺らすと、彼は小さく息をのんだ。

その様子に、私は内心「しまった」と思う。


私と焦ちゃんが付き合い始めてからもう随分経つ。プロのヒーローになって一人暮らしを始めた焦ちゃんの家にご飯を作りに来はじめて、今じゃもう殆ど同棲状態。

周囲の友達の中にはちらほら結婚し始めた子も出てきて、そのうちの一人に私たちは何時結婚するのかと尋ねられたことがある。

でも私達の間で結婚の話は禁句。私達というか、焦ちゃんの前では。



焦ちゃんは自分がちゃんとした夫に、いずれは父親になれるのかをとても悩んでいる。

何時か私を悲しませるようなことになるんじゃないかって不安になって、それでなかなか結婚に踏み出せないのだと・・・以前珍しくお酒に酔った焦ちゃんが泣きながら教えてくれた。

そんな彼の前で指輪みたいだなんて、我ながら無神経。

焦ちゃんは真面目に考えてくれているがゆえに悩んでいるんだから、そういうことは言わないように気を付けてたのに。


「・・・さてと、お料理の続きしなくちゃ」

ぱっとソファから立ち上がってキッチンに戻ろうとすると、焦ちゃんに手首を掴まれて止められる。

なぁに?と見下ろせば、不安そうな顔で私を見上げる彼の姿。

そんなに不安がらなくたって良いのに。でもそんなところが可愛いのかもしれない。


「名前、俺・・・」

「うん」

「・・・・・・」

私の手首を掴んだまま俯いてしまう焦ちゃん。他の事なら割とずばずば言えるのに。

私はそんな焦ちゃんの頭に掴まれていない方の手を載せて、そっと撫でる。


「焦ちゃん、そろそろお料理の続きしなくっちゃ。大根乾いちゃう」

「・・・そうだな、悪い引き留めて」

「ううん、平気」

無理に話さなくても良いよと助け舟を出せば、焦ちゃんは何処かほっとしたような顔で頷いた。やっぱりまだ悩んでるみたい。


手首から焦ちゃんの手が離れ、私はキッチンへと戻る。

包丁と大根を握って再び調理を再開すれば、私の目には何度も何度も薬指の絆創膏が映る。これが本物の指輪だったら、なんて一瞬考えてしまう。

焦ちゃんがもし結婚しようと言ってくれれば、私はきっと笑顔で頷く。でも焦ちゃんに少しでも不安があるなら、その言葉は口にして欲しくはない。

でも、焦ちゃんはそれを口に出来ないことを悩んでる。言おうとはしてくれてる。


「・・・あら」

その時私は閃いた。もしかすると、これで全て解決するかもしれない。

そうと決まればと、私はキッチンのテーブルの上に置いておいた自身の携帯を手に取った。






結婚前の恋人たち






「焦ちゃん、私が焦ちゃんを幸せにするから、結婚しよう」

焦ちゃんが私を幸せに出来るか悩んでるなら、その悩みが不要だって思えるぐらいに私が焦ちゃんを幸せにしてあげれば良い。


次の日そう言って指輪を差し出せば、焦ちゃんはしばらくぽかんとした後、その目にじわじわ涙を溜めながらこくんっと頷いてくれた。



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