真昼の闇

「何だい? この退廃した空気は」
 シキの口からは思わず気を抜いて疲れ切った声が出る。
 かつて病院の待合室であったガラス張りの空間に置かれている、大きめのソファに彼は目をやっていた。
 四肢を伸びきらせた二つの影がそこに貼り付いている。光政となちるだ。
「夜更かしするなと言ったのに、きみは馬鹿なの?」
 シキは整えられた金色の毛束を摘まむ。髪を引っ張られた光政はくすぐったそうにその大きな目を細くする。
「仕方ねーじゃん? なちるに課題見してもらってたんだし」
「へぇ……」
 冷たい相槌に青ざめる光政に、シキは器用にも声のトーンを上げてにっこりと笑いかけた。
「なちるの睡眠時間まで奪うとは最低だね。罰として今夜は第二手術室の掃除を課そうか――」
「オール連続とか俺死んじゃう!」
 既に死にそうな顔で抗議しようとしている恋人を放置し、シキの制服が汚れているのを見たなちるはおもむろに口を開く。
「シキ、なにそれ……血?」
 依然として体勢を変えずソファにうつ伏せたままのなちるが指差す。ちょうど彼女の目の高さに、シキの太腿があった。なちるが指摘した白っぽいスラックスの右脚部分は赤黒く汚れている。続いてそれを確認した光政はぎょっとした。
「あんた鼻血でも出したのか?」
「きみ、どこまで勘が悪いんだい?」
「ほんと馬鹿ね。鼻血だと思ったならわざわざ目をつけないわよ」
 呆れを含めて光政をじろりと一瞥し、なちるはすぐに真剣な顔つきになってシキの方を見上げた。
「シキ、アンタ、戦ったの?」
 いや真っ昼間からじゃさすがにあいつらも出てこねーだろ、と笑ってやる準備をしていた光政だが、なちるの問いに対する答えは肯定であった。
「……帰り際にね。ちゃんと土に還しといたけど」
 台詞の後半を愉快そうに口にし、左の手を右の二の腕のあたりにやった。
「医療班の僕が戦うのは久々だし まして不意討ちじゃ無傷の対応も難しくてね。だってまさか、この時間帯から出てくるだなんて考えやしないだろう?」
「だよなぁ」
 簡易治療具を携帯している彼のことだから心配はしていなかったが、念のために光政は尋ねる。
「傷は」
「もちろん処置済みだよ」
 シキは左手をずらした。
 あまりに丁寧なせいもあって気付きづらかったが、右の二の腕あたりに手当ての跡がある。学校指定の半袖カラーシャツは既に洗ってしまったのか汚れは見当たらない。
「しかし参ったね。ズボンも汚していたとは……」
 今から手洗いして落ちるだろうか、と呟くシキ。
「とにかく僕は、渡良瀬先輩がバイトから帰ったら今回のこと伝えないと。光政たちも何か変わったことがあったらすぐに彼に伝えて」
「わかったわ。先輩にはメールで伝えとく?」
 気を効かせるなちるだがシキは断った。
「いや、直接言うよ。緊急の知らせでもないし、バイト中じゃメールの確認もできないだろうから、同じことだ」
 それから再び二人きりになった空間。
 睡眠不足で目が冴えてしまっている光政とは対照的に、なちるは早くも寝息を立てていた。
 シキにマジでパシられるんなら、俺も今のうちに寝とかないとなあ。
 しかし目を閉じてみれば必要以上に瞼が緊張し眠れそうにない。
 光政はシキの良心に懸け、仰向けに寝そべり天井の穴を数える作業に徹した。

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