Act1-24


「ぅんんんんまああああい」

パスタを巻いたフォークを口に突っ込みながら両手をバンザイさせて涙を流すなまえの姿が東京都立呪術高等専門学校の食堂にあった。なまえが昨年半壊させた後改修されたおかげで、ピカピカになった食堂。「一緒に名前を言ってはいけないあいつらも駆逐されたみたい。ありがとうね。なまえちゃん。」とは本来怒っていいはずの当時戦場と化した現場に居合わせたほわほわした寮母さんの言。


「よかったな」
「そんなに美味しいのか。私も食べてみたいな」
「え〜〜一口だけだよ?仕方ないなあ。硝子は?」
「じゃ、私も」
「はい、どーぞ
「「うま」」
「ふふん、やっぱり俺ってなんでもできるな?」
「へー、ほんとに五条って料理できるんだ。給食のおばちゃんかってくらいの量作ったね」
「そ、寮母さんに聞いたら器具好きに使っていーって言うから助かったわ」



フォークにパスタを巻きつけながらもぐもぐと食べ進めるなまえをニコニコと見つめる五条。今日は例の約束の履行開始日だった。もうすっかり夏は過ぎ去って秋がやって来ていた。夜になると肌寒く感じる頃合だ。交流会の後すぐ、五条に長期の任務が入ったりなまえも各所を転々としていたりしたせいでなかなかまとまった休みが取れなかった。任務もようやく落ち着きを見せたところでなまえは待ってましたと五条を捕まえたのだ。
凄まじい勢いで幸せそうな顔をしながら食べるなまえに「うまい?」と頬杖ついた五条が尋ねれば「おいしーよ五条のつくるご飯が一番好き」と予想だにしないカウンターが返ってきて五条は撃沈した。


「…私たちは何を見せられてるのかな」
「知らねーとっととくっつけよ馬鹿じゃないの」
「なまえの問題だろ」
「五条の恋愛偏差値が低すぎるんだろ」
「なまえよりはましだろう」
「お前らッ、俺をいじめて楽しい?!」
「「とても楽しい」」


俺だって頑張ってるだろ、と泣き真似をしてみせた五条によしよしと頭を撫でてやる夏油。「傑〜〜」なんていいながら夏油に抱きついた五条。大男二人の抱擁など暑苦しい以外の何者でもない、とばかりに家入はゴミを見るような目で二人のやりとりを見ていた。


「そういえば二人、特級になるんだって?」


ペロリと最後の一口まで食べ切ったなまえが食器を片付けて流し場まで持っていきながら今朝方担任の夜蛾から聞かされた話を二人に持ちかけた。
なんとこの度、五条と夏油には特級術師への昇級が確定された。一級術師でさえ凡人には到達のできない域だ。特級術師などおいそれと簡単に輩出されるものではない。現在一人しか存在しない特級術師になんと同級生のうちの二人が大抜擢されたとあってはなまえにとってビッグニュース以外の何物でもなかった。



「こんなクズ二人が特級なんてね」
「ま、当然だよな。俺たち最強だから」
「………そうだね」


茶化すような家入とヘラヘラと浮かれている五条はさておき、もっと喜ばしげにしてもいいはずの夏油の翳りある表情になまえは違和感を覚えた。


「?夏油、どうしたの」
「……ん?何がだい?」



そう言ってこちらに視線を向けた夏油は、いつも通り柔らかく優しい眼差しでなまえを見やった。さっきのは見間違いだろうか、まあ、ボーッとすることだってあるかと「なんでもない」と言いながら手に持った食器をシンクに溜まった水に漬けるべく水に滑り込ませればガチャガチャと小気味の良い音が鳴った。
ついでだし、寮母さんはいつも自分のせいでお皿洗い大変そうだし洗ってしまうかとスポンジに洗剤をつけたなまえは先ほど突っ込んだ皿を引っ張り上げた。夏油は「気をつけなよ」と少し心配そうにこちらを見ている。思ったよりトマトソースが白い皿に付着していて、なかなか綺麗にならない。優しくできるだけ力を込めないように洗っていたなまえだったが、少し力を込めた瞬間に皿がパリーンと粉砕された。「わ、やば」粉々になった皿が水の張ったシンクの中にバラバラと落ちていく。不用意に水に手を突っ込もうとしたなまえにそれは危ないと夏油は思わず手を延ばしたが、なまえの手を制したのは五条の節張った大きな手だった。


「おい、危ねーだろ!手切るぞ!」
「わ、え?いや、私頑丈だからこれくらいじゃ切らないよ」
「いーって、俺がやるよお前がやったらまた割るだろ」


手に怪我がないか掴んだなまえの手をぐるりと一周見やるも泡がついているだけで問題がなさそうだと判断した五条は水洗金具を引っ張り上げて泡を洗い流し、シッシと洗い場から追い出した。
口を尖らせて不満そうにはしていたものの、譲る気のない五条に「ありがとう」と言ってなまえは大人しく引き下がった。一連の流れを全て見ていた夏油は悟もなかなかやるじゃないか、なんてことを考えながら不自然に浮いた自分の右手をだらりと下ろし眉を下げて二人を見つめていた。




「あ、そうだ」
「ん?どーしたの硝子」
「アンタら今晩任務入ってる?」
「私はなーい」
「今日は傑とFFする予定だったけど」
「だいぶ前に買ってた花火やっとこ。このままおいてたらシケる。邪魔だし」
「花火?ああ、そういや買ったね、雨降ってできなくなったんだ」



硝子の一言で数ヶ月前の記憶が蘇った。みんなで買い出しに出かけた時に見つけた袋入りの花火のコーナーを見て、五条が「こーゆーのやったことない」とポツリこぼしたのに私が同調した。びっくりした夏油と硝子が今夜やろうよ、と乗り気になったのに生憎夕方から雨が降り出してその日は流れたんだった。



「たしかに、もう少し経つと夜もなかなか寒くなってくるね」
「やるやるー!すっかり忘れてた!」
「晩飯食べてから集合でいい?」
「じゃ、なまえ晩飯まで実験付き合って」
「はいはーい、暗器とってくるわ。みんなあとでねー!」



ぶんぶん、と大きく手を振ってなまえがその場を後にし、それぞれが目的のため離席していけば、がやがやと喧しかった食堂はまたがらんどうと静寂に包まれた。





___________






うとうと、夢か現実か。微睡の中でふわふわした感覚。ぼんやりした輪郭にサーモンピンクの三つ編み頭が浮かび上がる。長いこと、みてなかったような気がして思わず声をかけてしまった。


『神威』
『何、部下が名前で呼んでるんだよ、寝ぼけてんの?』
『え?あ、うん…?』
『ま、いいけどネ
…行きたいところができたなら好きに生きなよ』


急に、何。春雨以外に居場所なんてない。…あぁ、そっか、団長になってから名前で呼ぶのはやめたっけ。
行きたいところなんて、別にないよ。そう声に出すつもりだったのに、声にならない。…あれ?そういえば私、さっきまでどこにいたっけ。

『なまえ、そろそろ起きる時間みたいだよ』
『ーえ?』




急に意識が引き戻される感覚。頭がぼうっとする、瞼が持ち上がらない。「なまえそろそろ起きろよ、風邪ひくぞ」聴き慣れたテノール、あれ、さっきまで聞いてた、あの人はもう少し高い声じゃなかったっけ?

「かむ、い…?」
「ー、誰だよ」


ひやり、冷たい声。あ、違う。団長じゃない。最近よく聞く、落ち着く声。

「ごじょ…」
「なあ、カムイってだれ?」


気だるく目を開ければ輝く蒼が私を見下ろす。あの人の眼より澄み切った、水面みたいなそれ。いつもみたいにからかいや苛立ち、ころころと変わる表情なんて全部抜け落ちて、それは私をじっと見つめている。



「なまえおきた?」
「さすがに夜は寒くなってきたね。なまえほんとに風邪ひくよ」


硝子と夏油の声が遠くに聞こえる。おきたよ、そう声をかけたいのに目の前の五条は「まだねてる」とだけ告げた。なんで?もう意識ははっきりしてた。身体は固いベンチに寝そべり頭は五条の太ももの上に乗っている。ベンチよりはマシだろうけど、結構ずっしりしてて骨張っててちょっと硬い。目の前には驚くほど無表情な五条の顔。顔に触れそうで触れないさらさらの五条の髪の向こうに、あの男から受けたという額の傷が見えて、心臓がズクリと嫌な音を立てた気がする。


昼間に約束した通り、花火をやろうとグラウンドの中でも職員寮から目につかないところにみんなでやって来てひとしきり遊んで、硝子が煙草を買いに行くというから夏油がついていった。派手な花火はなくなっていて、みんな一度だけやったきり誰もやりたがらなかった線香花火だけが残ってた。ベンチに座る五条にやる?と聞かれてこくりと頷いて五条の左隣に腰掛けた。


渡されるがまま火をつけて、私は左手に、五条は右手で線香花火を持って2人でじっと動かずに火が弾ける音だけを聞いていれば、だんだん眠たくなってきて。
それに気づいたのか線香花火を持っていなかった方の腕でぐいと肩を引き寄せられた。ぽとり、動いた衝撃で線香花火は下に落ちていく。五条の線香花火にももう灯はついていない。「眠たいなら寝れば」私の頭はもう肌寒いと言うのにまだ半袖を着て剥き出しになった硬い二の腕に少し沈んでいく。そこから感じられる体温と、冷たい気温があべこべで、なぜかさらに眠気に誘われた私はそこで意識を失ってしまったようだ。膝枕されたつもりはない。

いつのまにか夏油も硝子も帰ってきてたのか、私の体には硝子のきてた上着がかけられていた。


「カムイって、誰」



三度目の問いだった。寝ていたせいかすこし渇いた喉で微かな声を絞り出す。


「春雨の、団長」
「名前で呼ぶほどの仲?」
「…え?いや、私を拾ってくれた、人」
「…あぁ、つまり前の世界の俺?」
「…ん?え?そ、そうなる…?」
「ふぅん」


ようやく顔が離れていった。広がった視界には宇宙ほどではないが煌めく星がまるで降り注いでくるみたいにきらきらと輝いている。星たちに照らされて、明かりの少ないくらい夜のグラウンドに、五条の白い髪だけが発光しているように見えた。明かりもあまりない。反射するものなんて遥か上空の星の輝きくらいなのに、なんで五条の髪はきらきらしてるんだろう。五条はさっきまで私をじっと見つめていた眼を硝子と夏油がいるところに向けている。目が合わなくなった。五条の機嫌が急に悪くなることは、よくある。けど、今までに感じたことのない気配に少しヒヤリとした。怒っている、のだろうか。


「重かった?」
「べつに。寝心地悪そうだったからのせてやっただけ」
「……おこってる?」
「何に?」
「え?」
「お前は俺が何に怒ってると思うワケ?」
「わか、んない…」
「…そこまでいくとヒデー女だな、お前」
「なにが…」
「俺の言いたいこと、本当はわかってんだろ?」


ハッと嘲笑するような声とともに漏れた言葉に、返す言葉が見つからない。でも何か言おうとしてはくはくと口を動かしていると、起きたなら、降りれば?と五条はこちらを一瞥することなくそう宣う。
なんでこんなにぞわぞわするんだろう。降りろって言われたんだから、起き上がらなくちゃと思うのに石にされたみたいに体が硬くなって動けなかった。


「五条、」
「なんだよ」


何か言おうと思って名前を呼んだわけではなかったが、未だ不機嫌そうなその返答にどうすればいいかわからなくて涼しいはずなのにじとりと手に汗をかいてしまう。なんでこんなに動揺してるんだろう。やだ、冷たくされたくない。いつもみたいに私を見て目を合わせて笑ってほしい。
サァ、と吹いた強い風に思わず目を細める。風と一緒に凪いだ五条の髪の向こうに、一等輝く月が見えた。あ、月が反射してたんだ、


「つきが、きれい」
「はあ?急に何言ってんだ」
「五条の髪がひかってる」
「……お前の髪だって光ってるだろ」


そう言ってこっちを向いた瞳に何故か胸が安堵した。
だらりとベンチの下にまで垂れている私の髪を梳くように掬い上げ毛先で頸元をくすぐられる。あまりの珍行動にすぐに反応できず息が詰まった。


「っは、何その顔、おもしれー」
「っ、そりゃ、くすぐったいよ」


うまく息が吸えなくて変なところで詰まってしまった。特に気にした様子なく相変わらず毛先でくすぐり続けてくる五条にじとりとした視線を送る。「やめっ、くすぐったい…っ」思わず五条の腕を掴めばぱっと囚われた毛先が解放されて再びハラリとベンチの下まで流れていく。


「その顔、ヤメロ」
「は?」


掴んでいた腕とは違う方の手で突然顔を抑え出した五条。暗くてよく見えなかったが、大きな手の隙間から覗く彼の顔が紅く染まっていて、心臓がドクリ、変な音を立てた。そこからバクバクバク、異常なスピードで鳴り出す心臓に慌てて飛び上がった。



「うお!急に起きあがんなよ!びびった」
「……膝、ありがと」



これ以上近くにいたらおかしくなってしまうんじゃないだろうかというくらい鳴り始めた心臓に慌てて五条から距離を取るようにタバコを吸っている硝子のいるところまで駆け出す。様子を見に来たのかこちらに来た夏油と途中すれ違ったけど顔を見られたくなくて俯いて全力疾走した。



「お、起きた?」
「硝子、上着、ありがと」
「おー、寒いからそろそろ剥ぎ取るか迷ってたわ…って、なまえ、どうした?」  
「………や、なんでも、ない」
「……ふーん、ま。いいけど」


さっきまで五条といたベンチに視線をやり、ニヤニヤ笑いながらタバコをふかす硝子に何故か恥ずかしくて死にそうになったが、どうしても振り返って五条を見ることができなかった。なにこれ。なにこれ、なにこれ。



「ハハッ。アオハルかよ」



言葉の意味はわからなかったけど、きっとそれは私のこの状態異常のことを指してるんだろうな、と思うとさらに居た堪れなくなった。


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