傑に置いて行かれた後輩

むわっと熱気があふれる夏真っ盛り。任務の後補助監督に別の任務がバッティングしてしまって私がいたところは歩けば電車に乗れる場所だったから、電車で帰ります、と言えば申し訳なさそうにしながらも助かった!とばかりにぺこぺことお辞儀しながら補助監督が別の任務地へ赴いて行った。私はとぼとぼと駅までの道筋をスマホアプリで確認しながら歩く。

やけに人通りが多いな、と思って周りを見れば浴衣を着た人が多い。どうやら近くで夏祭りでもやっているのかー、夏祭りがキーとなって厳重に厳重に閉じ込めてたはずの遠い過去の記憶が脳裏によぎって胸がズキっと痛んだ。もう十年以上も前のことなのに、本当についこの前のことのように思い出す、甘い記憶。幼かったけれど、私がたぶん人生でいちばん幸せだった頃の、記憶。



「なまえ、すきだよ」
「傑先輩、私も好きです」



優しく微笑まれて、熱を帯びた私の頬を撫でながら何度も何度もキスをしてくれた。人の記憶は一番最初に声を奪っていくっていうけどそんなの嘘だ。目を閉じれば未だに少し低くて甘い吐息混じりのあの声が蘇る。


バァン、という大きな音に思わず足を止めた。空を見上げれば闇の中に浮かんだ大きな花火が民家と民家の間から覗き見えた。色とりどりの花や、時には子供が好きなキャラクター、そして逆さま向いたハートマーク。


去年のクリスマス、彼は死んだ。
いや、もっと昔、11年前の夏の過ぎ去った秋の訪れ間近の日に、彼は私の元から、私たちの元から去っていった。私に何も言わずに。ひと月前に夏祭りで子供じみた愛を囁き合っていたのに。信じられなくて、認めたくなくて、別れの言葉なんて一言もなくて、それがどうしようもなく辛かった。
別れを告げることさえも億劫だったのだろうか。そんなこと気にしてられないほど切羽詰まっていたのだろうか。それとも、どうでもよかったんだろうか。
彼が死んでしまった今となっては本当に、彼の気持ちを知りようもない。


「酷い人だなあ」


結局彼がいなくなったこと、彼が死んだことを教えてくれたのは五条先輩で、未だにこれが彼ら二人の盛大なドッキリで私はただ捨てられただけで、彼は元気に生きてるんじゃないかなんて考えたこともあった。
でも、申し訳なさそうな先輩の表情はそれがドッキリでも嘘でもなんでもないことを告げていて、私は未だにどう受け止めていいのかもわからなくて十一年前から一歩も歩き出すことができていなかった。
私じゃ、彼の救いたれなかったこと。
私じゃ、彼の笑顔を作れなかったこと。
私じゃ、彼を幸せにできなかったこと。
そのことが私の胸の柔いところをいつもグサグサと致命傷のように突き刺してくる。
せめて、私を連れていってくれたらよかったのに。それか、殺してくれればよかったのに。どうして彼の幻影に雁字搦めになってまで生きなければいけないんだろう。
何度も考えた。私は彼に誘われたらついていっただろうか。




何度考えても、私は彼についていかなかった。
それがきっと答えなんだろう。
だから彼は私に何も言わずに私の前から姿を消したんだろう。



「傑からの最期の伝言、聞く?」
もうアラサーになったにも関わらず子供のように首を振る私に呆れた表情を浮かべた先輩は、聞きたくないと言ってる私に無理矢理言い聞かせた。
「私のことは、忘れろ。だってさ」
なんで好きになっちゃったんだろうね。なんで、出会っちゃったんだろうね。なんで、忘れられないんだろうね。



「嫌になっちゃう」


忘れないよ、傑先輩。好きだよ。ごめんね。