vsブスでぶよぶよの間男

学生時代、クラスメイトたちからいつかの誕生日プレゼントに渡されたもう擦り切れてしまったキーケースをポケットの中から引っ張り上げた。銀鼠色に鈍く光るそれを真っ黒の扉の錠穴に焦る気持ちをなんとか堪えながら挿し入れる。がちゃん、無事に錠が開いたことに安堵して、扉を開ければ誰もいないかのような真っ暗な闇が僕を迎え入れた。電気をつけずとも玄関に彼女の残穢の残った靴のかかとが上り框にぴったりついてることを確認し、室内にある慣れた呪力の気配が一つであることにホッと一息ついてから玄関から廊下にかけて電気をつけた。


「お邪魔しま〜す…」


靴を脱いで、綺麗に並んだ彼女の靴の横にそれを綺麗に並べた。なんとなく、泥棒のような小声と忍足で室内に踏み入れる。僕が家に侵入してきたことなんてわかってるはずなのに、反応がないことに苛立ち半分、焦り半分。僕たち、恋人だよね?恋人が家にやってきたら「いらっしゃい」って出迎えてくれてもいいと思わない?しかも一ヶ月ぶりだよ?「寂しかった」なんて抱擁付きでもお釣りが来たっておかしくない。
え?もしかして恋人じゃない?まさかそんな。会えばセックスするし、キスだってする。抱擁だってもちろん。「好きだよ」なんてこの僕が歯の浮くようなセリフだって言ってみせる。だが彼女からは「ありがとー」「ふーん」「へぇー」くらいしか返ってきたことがない。塩だ。塩味百%。甘味なんて感じたことない。甘いのは彼女のアソコとおっぱいのやわらかさくらい…話が逸れた。

相変わらずしんとした、なんの音もない彼女の家をぐるりと見回し、寝室に感じる呪力にスマホを確認すれば、二〇時半。絶対寝てない、と妙な確信を持ってゆっくりと寝室のドアを押し開いた。


「なまえちゃ〜ん……?悟くん帰ってきたよ〜?」


真っ暗の寝室に、廊下からの光が漏れ入って、スポットライトのようにベッドに横向きに寝入っているらしいなまえの背中を照らした。長い髪がベッドに流れて頸が見えているのがエロい。…そしてなぜか、懐かしい高専時代の鍛錬の時のジャージを着て眠っているなまえの姿に目を剥いた。…え?待って。いっつもジュラピケのふわもこの谷間見えまくり脚晒しまくりの萌え袖のかわいーの着てるじゃんなにそれ色気ゼロか?!論外!!なんで?!足首キュってしてるジャージ全然可愛くない!防御力高すぎる!!…ちょっとまって、もしかして僕が泊まるとわかってる時はあれきてたってこと…?いや待ってそれはそれで可愛すぎない?!甘味あるじゃん!うそ!?わかりにくすぎない?!

一人で脳内で興奮しながら、こちらに背を向けて規則的な呼吸を繰り返すなまえに近づいた。…どうやら本気で寝ているらしい。可愛い寝顔でも見てやろ〜と覗き込めば、なまえの顔があると思い込んでいた場所には、ぶっさいくな猫みたいな、狸みたいな、はたまた豚みたいななんともいえない表情を浮かべたぶさいくなやわらかそうなことだけが取り柄みたいな綿の塊がドヤ顔で占領していた。頭が真っ白になったところに真っ黒の双眸と目があう。な…んだそれ。嘘でしょ?ひと月前にそんなやついた?待って待ってそれよりなんでそんなブス抱っこしてんの?僕というグッドルッキングな彼氏がいて、なんでそんなブスだっこできんの?っていうか待って待って待って。おまえなになまえの谷間に挟まれてんの?は?無理。僕だってそんなとこに挟まれたことないよ?何を?ナニをに決まってるでしょ言わせんな。


「いや無理。無理無理無理。はやくどけってお前。そこ僕のポジションだから。誰にも明け渡すつもりないから。マジで退け。今すぐどかないと飛散させるよ?バーンするよ?」


僕の脅しに屈することなくふてぶてしさの塊のようなブスはただじいっと僕を見ていた。ただのぬいぐるみにこんなにキレてるなんて僕は馬鹿なんだろうか、なんて冷静なことを脳のほんの片隅で考えつつ、なまえの腹をまさぐる(ように見える)汚い手を引っ張ってなまえの体からぬいぐるみを抜き去ろうと力を入れた。


「ん…、や…、」
「ちょ、なまえ起きて。何お前浮気してんの?一ヶ月ぶりに会ったと思ったら浮気現場に遭遇した僕の気持ち考えて?ねえ聞いてる?早くこれ離せって本当。この綿の塊ぐっちゃぐちゃのスプラッタにされたくなかったら今すぐ離せ」
「……うるさい、」


眉をこれでもかと寄せて、目を開けることなくぎゅうと綿の塊をさらに抱き寄せたなまえに思わず悲鳴をあげる。ひいいいいいおまっお前いまそのブスとキスしてんの!わかってんの?!はあ?!待って待って待って!やだやだやだ!お前の可愛い唇は僕とキスするためにあるんでしょ?!


「なまえおねがい、僕が悪かった。なんでも言うこと聞くからこれ離して僕のこと抱きしめてお願い」
「………さとる、」
「うん。なまえの悟くんが帰ってきたよ。久しぶり。連絡できなくてごめんね。任務いくことも言えてなかったよねそういえば。それで怒ってるんでしょ?でも海外でさ、しかもWi-Fiも見つからなくってさ、情状酌量の余地はあると思うわけ。どう??」
「………おやすみ」


ブサイクな顔をついに胸に抱きこんだなまえはブスの頭頂部に唇を落として瞼も落とした。ついでにいえば体をブスの体に巻き付けてこれでもかというぐらい密着し始めた。いいいいやああああ待って待ってほんと待って!!信じらんない待って待って!なまえのアソコにブスの足が!!!待って!!!ほら見てよ絶対今こいつ「ぐへへ」って変態的な顔晒してるに決まってる!!!!すけべな顔してる!!!!無理だって!ヤられる!僕のなまえがブスの間男に犯される!!!!


「だめ!なまえ正気になって?なまえのこと気持ちよくできるのも優しく頭撫でてあげられるのも抱きしめてあげられるのもあっためてあげられんのも全部僕だよ?そのぶよぶよな綿の塊に何ができるの?今すぐ離してすぐに僕のこと抱きしめて!」
「………………、やだ」



ぐす、なまえが抱きしめる綿の塊からそんな鼻の啜る音が聞こえた。……え?ちょ、うそ、泣いてるの?ちょ、待て待て待て。泣いてるなら余計やめてくれよ。なんでそんなブスに慰められてんの?ていうか何があったの。なんで泣いてんの?肩がブルブル震え始めたなまえからはぐすぐすと本格的な啜り泣きする声が聞こえてきて、思わずなまえが背中を丸めるベッドの上に乗り掛かって、肩の動きに合わせて揺れる髪を梳いてやる。強い力で抱き込まれたブスはおそらく顔が潰れてもっとブスになっているだろうけれど、どんなブスであろうが泣いているなまえを慰めているのがこのブスなのかと思うと嫉妬で頭がおかしくなりそうだった。髪をゆっくり梳いていれば少しずつ体が弛緩し始めたなまえの脇腹から差し込んだ手でゆっくりゆっくりブス…ぬいぐるみを剥がしにかかる。さっきまでよりはるかに抵抗が緩んだそれは引き抜くのに時間はかからなかった。


「なまえ」
「…ひっ、ふっ、」
「なに、なんで泣いてるの。なんかあった?クソジジイたちになんか言われた?」

…ふりふり、小さく首を振る。どうやら違うらしい。

「怪我したとか?嫌な任務あった?」

ふりふりふり、強く首を振った。うん、こんなことでこいつが泣かないことくらいわかっていたけど、思い当たることがなさすぎてこんなことくらいしから思い付かなかった。

「……僕が、なんかした?」

…………エッ……………うっそ、首振らないじゃん。絶句。何。え、なに、まじで。僕がなんか…泣かした?え?いや、エッ…なんもして、ないけど………任務行ってただけだけど……。


「……連絡しなかったから?」
「……そ、だけど、ちがう、」


そうだけど違う、とは??すみませんなまえさん明確な解答をお願いします。


「…知ってると思うけど、なまえ。僕はハッキリ言葉にしてもらわないとお前が何思ってんのかちゃんとわかってやれない」
「、のに、」
「?、うん、なあに、」


極力、声に優しい音が乗るように努めた。まるで子どもをあやすように。小さい声で、単語を一つ一つ紡ぐなまえの言葉を紡ぎ合わせて僕の心臓がきゅうと縮こまった気がした。そして、今日の日付を思い出して、『その日』がとっくに過ぎてしまっていることに今更気づいた。そしてぐすぐす泣いているなまえの泣く理由のあまりの可愛さにバーンと体が弾け飛びそうな衝撃を受けた。…誰だよこいつのこと塩味百%なんて言ったやつ馬鹿なの?ニヤケが止まらない。確実にこんな顔を見られたらふざけてんの?なんて言って余計拗ねられる。でも顔がにやけるのを止められない。なんとか全力でムカつくことを思い出して顔を強張らせる。なまえの可愛さと老いぼれ爺さん達の顔が交互に脳裏を掠めて情報が完結しない。頭の中がカオスだった。


「ごめん、なまえ」
「悟の、誕生日は、私にお祝いしてほしい、って、自分で、いったのに」
「ごめん、全然、ホント、すっかり忘れてた」
「私が、私の誕生日に、任務入れてたら、怒ったくせに、」
「…うん、ありがとう、なまえ。すき、すきだよ。だいすき、…愛してる」
「………なんでこんな可愛くない服きてるときにかえってくんのお〜?!」
「可愛いよ、どんな服着ててもオマエは可愛い」


涙に濡れた頬にキスを落とせば、しょっぱい味がしたけれどどうしてか無性に甘く感じられた。…どうやらいつも塩ななまえの珍しい甘々な態度に味覚中枢がバグってしまったらしい。


「……さっきなんでもお願い聞くからって言ったよね?」
「ん?うん、お願い聞いたら抱きしめてくれる?」
「………私に、悟のことお祝いさせてくれるなら、いいよ」


濡れた瞳でそう懇願する恋人の可愛さたるや、上手く表現できない衝撃に今度こそ何かで撃ち抜かれた気がした。別に好きも愛してるも言われたことがない。いつも愛を伝えるのはこちらからだけだけどこんなの、愛以外に何があるって言うんだ。
防御力の高すぎる肌見せゼロのジャージに手をかければ、それは見掛け倒しのようにあっという間に防御力が0になった。


何も隔たりのない温かさに触れ合いながらぎゅうと強く抱きしめあって、「悟、お誕生日おめでとう」と微笑まれれば、心の中までじんわりとした温かさに侵食されるみたいだった。


「来年はちゃんとそばにいるから、一日中お祝いしてね」
「……今度約束破ったらほんとに知らないから」


ジロリ、ベッドの下に落ちたブスでデブの間男の視線がやけに気になった。こいつ、虎視眈々とこのポジション狙ってやがる。今度浮気しやがったら絶対八つ裂きにしてやるからな。