触れられぬ温もりを心底悔やんだ。
「…寝るなら着替えて」

そう言って投げ渡されたのは、綺麗に折りたたまれた黒地の衣服だった。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。些か不思議でならない骸は少しだけ警戒心を強めに露わにしながら、その衣服を胸に抱いたまま雲雀との距離を図る。

「…どういうつもりですか?」
「どうって?」
「君に優しくされる覚えも、されるつもりも、僕には無いんですけど」

多分、きっと。これからもずっと、そう。
だけど、どうしてこの腕を振り払えなかったのか。どうしてあの時、殺さずに生かしてしまったのか。
その答えに、僕はずっと辿り着きたかった。






最初に姿を見せたのは、紛れもなく骸の方からだった。
だからと言って彼と何かをしたかった訳ではなく、ただ雲雀が悠々と空を飛ぶ姿を見てみたかっただけなのだが、どういう訳かあっさりと彼に見つかってしまった。
僕は校門の側から、彼の居る応接室をただぼんやりと、遠くから眺めていただけ。それ以上踏み入るつもりもなかったし、ほんの一瞬でいいから姿が見たかっただけに 過ぎない。
それだけだったはずなのに、伏せた目蓋を開いたら彼が窓際に立っていた。柱に手をついて、まるで此方の同行を探っているようにも窺え、このままでは先手を打たれ る。そうひやりと汗が吹き出る感覚に襲われた。
それでも彼は僕と同じく、動くことをしなかった。視界から姿が消えない事に安堵してみたり、ましてやこの場から消えることなど僕の能力では容易い事なのに、あの瞳が 僕を捉えて離さない。動けない。
彼のあの揺るぎない真っ直ぐな瞳に、僕は魅入られてしまっていた。

一瞬でも出逢えば殺したいと武器を振るってくる彼のプライドを始めに刺激したのは僕だったし、そうなるように仕向けたのも自分だ。
こうして時折会いに来るが、言葉も拳も交わすことはしない。雲雀に姿を確認された途端、フッと眠る本体へと戻る。
そんな日々を繰り返し、からかい甲斐のある玩具と遊んであげていたのだが、これではまるで自分が玩具に執着しているだけではないだろうか。そんなふとした事実が頭を過ぎり、骸は苦笑する。


今宵も一目の逢瀬。偽りの視界に雲雀を捕える事が出来て、骸は今日も満足だった。
さて戻ろう。ほんの一瞬、彼が瞬きをするその僅かな隙を使って瞳を閉じる。


「Arriveder……、」




そして。
再び意識を上げた時、僕は冷たい水に抱かれて眠りに就いているはずだった。
憑依した体から精神体のみを切り離そうとしたのだが、集中を途切れさせる程の殺気と冷えた手がすぐ真後ろに迫っていたのだ。
待ちなよ。そんな言葉の代わりに腕を捕まれていた。それはまるで一瞬の出来事だった。

「…クフフ、余程僕に殺されたいようですね、雲雀恭弥」
「殺されるのは君の方だよ」
「残念ですが今の僕にはそんな余力はありません、時機が来るまで諦めて下さい」
「安心しなよ、今日は殺し合いじゃない」
「君が殺し合い以外に何かをするとは思いもしてませんでしたねぇ…」
「僕だって人間だよ。まぁ、君とは根本的な性能が違うけどね」
「…それで、君は一体何をしたいと?」
「付いてくれば分かるよ」
「………は?ちょっ、ちょっと待って下さい、雲雀くん…ッ!」


そうして今、雲雀に連れられて骸がやってきた場所は、彼の家らしきところ。だだっ広い敷地に門を構える日本屋敷のその奥へと連れられてきた。
雲雀の愛する学校から程遠くない位置にあるせいか、初夏の暑さに呻る前に涼しい室内へと避難出来た事には感謝するが、まずはこの状況説明を求めたいところである。

通された部屋は外観とはかけ離れた洋間。家具類は少なく、物も然程置いていない。
ここが彼の部屋なのだろう。殺風景で、生活感がまるでない部屋。寂しい所だ。
そして辺りを見渡していた僕に投げ渡されたのが、一組のパジャマ。彼の物なのか、ほんのりと香る。それに僕は心地よさを感じていた。どうしてかなんて、理由はわからないけれど。

「あの…どうして僕を連れてきたんですか?」

どう考えても結論に至らない謎。元より雲雀の行動理由には以前から疑問が多かったけれど、いざ目の当たりにしてみれば、それは「不思議」でしかない。玩具で遊ぶには十分過ぎる程に良い存在だが、その逆になるのは御免だ。
当の雲雀はと言えば、これと言った説明をする気配は勿論なく、既に就寝の用意は万全で。見るに慣れないパジャマ姿の雲雀君に少しのときめきを胸に抱きつつ、その感情を打ち消すように骸は胸のパジャマを握り締めた。

やはりどう考えてもこの事態は違和感でしか無い。
こんな事になるのだったらさっさと戻ってしまえば良かった。
此処までのこのこと付いてきてしまった非は認めるから、真面目な返答を下さい、と願う。

「暇つぶし…かな」

多少の期待は儚く散っていく。否、期待などしたところで返ってくる事は無いのだろうけれど。それでも、この行動に至った理由に繋がる何かはきっとあるはずだし、そう思うと雲雀の口から真実を聞きたいと思うのが筋だろう。
とは言え、その期待は数秒前に呆気なく散った訳だが。

「君の遊び道具になるつもりはありませんからね」
「するつもりもないよ」
「じゃあ何故…」

ベッドに横たわり、既に就寝体勢の雲雀に骸が詰め寄る。
妙に引き下がれなくなってしまったというか、気になって戻れないというか。遊ばれているだけでは気が済まないというか。
向けられた背、見せる隙に付け入ろうと思えば容易だ。その首根を捕まえて、屈服させる事も。
あの時、彼のプライドを一度崩してから、敵対心を抱かれている事には違いない筈なのに、何故こうも彼はそれを覆す行動ばかりするのだろうか。気分屋にも程があるし、これではこちらの調子が狂う一方だ。


「…今日くらいあたたかい所で寝るのも悪くないんじゃない?…って思っただけだよ」


溜息混じりに呟かれたそれ。追って欠伸も混じり、本心なのか冗談なのかは隠されたけれど、そんな言葉が彼の口から出ることなどどうすれば想像出来る?
僕には出来ない。気分屋に付き合わされているだけ、と言う解釈は到底出来そうにない。自惚れでも何でもいい。ぽかぽかと胸が温まるような、そんな感情が燻りだす。

「雲雀くん…」

まるで火がついたみたいだった。
チリチリと痛み、そして雲雀の方へと手を伸ばしたい衝動に駆られて、我に返る。骸はハッと息を呑んだ。
どうかしてる。これ以上に距離を詰めようだなんて。

「まだ話すことあるの?僕、眠いんだよね」

言って、ごしごしと目蓋を擦る様はまるで猫そのもの。見て解かるうとうと具合も年相応に見えないパジャマ姿も相まって、何だか胸の辺りがきゅうっと痛みが付きまとう。
これが俗に言う「  の病」だと言うのなら、もう僕は治らない、様な気がした。


「あの…、君も分かっているように僕は有幻覚…幻…ですよ?」
「……君のそれが嘘でも、気持ちは少しくらい温かくなるでしょ?身体は冷たくたってさ」
「…ッ、」
「解かったなら早く寝なよ。…おやすみ」


向けられている背中が、やけに寂しく感じるのはどうしてだろう。それを目の前にして、何故か僕は抱き締めたいと思っていた。


「…おやすみなさい…雲雀くん…――」


もし、彼の気分屋的思いつき行動が許されるのならば、僕の彼を抱き締めるという衝動的行動も許されるのではないだろうか。
そんな事を俄かに思いつつ、骸は火照る頬を隠すようにベッドに顔を伏せる。
そして、雲雀が与えてくれたつかの間の休息の時間に、骸はどこか安堵したように瞳を閉じた。幻覚の腕で彼を抱き締めながら。






触れられぬ温もりを心底悔やんだ。






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