それは掌から溢れて空を舞った。

僕は今、軍人様の家でお世話になっている。
幼き頃に両親を亡くした僕によくしてくれた兄様を、皆が“戦鬼”と恐れているけれど、彼はとても優しいお方だ。どうして知らないのだろうと、僕は逆に不思議で仕方がない。
勉学も疎らなこんな僕に、漢字の書き方を教えてくれた。かけ算は専ら彼に教えて貰った。
働くことを選んで学校に行かなかった僕は、そこで学べなかったことや世間のことを彼から習ったと言ってもいい。軍隊について、この国について。勿論勉学も。先生とも言える彼の説明は寸分の狂いもなく、何よりも理に適っていた。

巷で流れる戦争開戦の噂が町の経済を圧迫していたことは大人達だけの秘密だった。
僕はそれに気付いていたけれど、黙っていた。だって、気付かない方がおかしい。僕の年になれば、それなりの情報を耳にするようになるのは至って明白なのに、大人達は揃って口を噤む。
そして、なるべく情報源を隠すようになっていった。ラジヲもその一つだ。
骸は歌謡曲が好きだった。歌うことも、聴くことも。その楽しみさえも奪われた僕には、兄様と慕っていた恭弥君とのお話をしている時間が何よりも楽しく、心休まる唯一のひと時だった。

大人達がしていたように知らない振りをすることで、僕にも余裕があるんだと、彼に見せたかっただけかもしれない。
恭弥君はいつだって冷静で、僕の我侭にも何一つ文句を言わずに叶えてくれた。どんな質問にも必ず答えをくれる。そんな彼の優しさに、僕は惚れていたんだと思う。


その唯一すらも、もうすぐ奪われると言うのに。
僕は彼から学ぶことを止めなかったし、彼もそうしてくれた。
例えば僕が正解を一つ出す毎に、彼は決まって髪をぐしゃぐしゃと撫でてくれる。良く出来たね、と。優しい微笑みと共に。
それがとても嬉しかった。恭弥君に褒められることはお金を稼ぐことよりも何倍もの威力がある。胸の辺りが温まるような、きゅうっと、なるような。まさに元気の源。
だから僕には解からなかったのだ。こんなにも優しい彼を、皆が戦鬼と呼ぶ理由が。




「…これが、恭弥君の武器…」




突然だった。彼が武器を見せると言ったのは。
今まで頑なに見せようとしなかった(と思う)彼の自慢だと言う日本刀を特別に見せてくれたのだ。
部屋の床の間に飾られた長刀。黒い鞘は漆塗りなのか艶があり、金の鍔がより映える作りになっている。刀など扱わぬ素人の目から見ても、飾られているだけでは勿体無いようにさえ感じてしまう程の一品だ。

きっとこれを構えた恭弥君はさぞかし格好良いんだろうな。
と、僕は悠長にそんな事を思っていた。

「持ってみる?」
「いいんですか?…ッ、」

そう言って渡されたそれは想像以上にずっしりと重たく、骸は少しよろめく。
それにくすくすと笑われ、少しだけ照れ臭くなった。

「わっ、笑わないで下さい…!」
「ごめん、君はこんなモノ今まで持ったことなんてなかったよね」

窘めるように頭を撫でられ、恭弥がもう一度刀を手中に収め直す。

「いいかい、骸…」

静かに声色を落とし、刀を構えた恭弥君は今までに見たことがない顔をしていた。まるで別人のようで、ただ怖かった。
答えは聞かずとも解かっていたけれど、どうしてその服を着ているのか、どうして笑ってくれないのか、どうして。どうして、戦いを望むのか。
僕はあなたの声で答えを知りたかった。


とうに見慣れた着物姿は目の前にはなく、その詰め襟姿はまさしく軍のそれ。
現実が、決まっていた未来が、こうして歯車を鳴らして動き出していた。僕が恭弥君に引き取られたあの日から既に戦争が起きることは周知の事実。
でもそれを回避することなど僕一人の力ではどうにもならないし、この戦の勝敗だって今はわからない。けれど逆らうことも出来ず、黙って頷くことしか出来ない己の無力さに、ただただ涙が溢れるばかりで。胸が苦しい。

でも僕は嬉しい気持ちにもなったのだ。
どこか遠い存在でしかなかった恭弥君が一気に近い存在になったような気がしたから。漸く雲雀恭弥と言う男の真髄に触れているような、そんな気がしたことは、ここだけの秘密。
だから僕は頷いた。
これが、戦鬼が、本当の恭弥君なのだと、自分を納得させるように。





「…行くんですね」
「うん、」
「………、」

それ以上、僕は何も言えなかった。
行かないでとお願いすることも、行ってらっしゃいと見送ることも、何も。
非力だ、だから何も変えられない。何も護れない。力も金も無いから大事なものを全て奪われる。


『僕を置いて行かないで』

最初で最後の骸のお願いは、それを口にすることも、万が一伝えていたとしてもその答えは一つで、解りきっていたけれど。
言えなかったことに後悔は出来ない。涙も流してはいけなかったのに、止め方が解らなかった。
恭弥君に託された家を、守り続けてくれたこの命に代えてでも守ってみせる。恭弥君が帰ってくる場所を、二人で住むこの場所を。永遠に。
僕にはそれしか出来ないのだから。





「…戦争が、始まった…」


部屋で、禁止されたラジヲを聞いていた。
大好きだった歌謡曲も今はもう流れない。聞こえてくるのはお国の為に戦う英雄達の戦果ばかり、広く感じる部屋にザァザァと電波の悪い音質で響いてる。
一人の食事にも慣れた。広い部屋の掃除には少し苦労をするけれど、そんなことは言ってられない。文句も不満も固く口を閉ざして仕舞いこみ、僕は今日も空を見上げる。
この青空の下、どこかに兄様もいるのだろう。今頃、どこかの戦場の上で戦っているのかな。


『どうか死なないで』


喉を焼く熱い想いを抱いても罪になるだろうか。
骸が何年も抱き隠し続けた想いは、もう喉の先まで来ている。否、もう溢れてしまっているこの想いを、いつか打ち明けられたらどれだけ幸せなことだろう。
でもきっとそれは言えないまま、胸の中で燻り続けると思う。
だってきっと恭弥君はこの想いに気付いてた。
だけどそれを言わなかったのも、僕に言わせなかったのも、お国に決められた未来に、一滴の涙も残さないため。僕が笑っていられるため。


初めてのキスが涙の味だったことは今でもはっきりと覚えてる。

行ってらっしゃいとは、あの日の僕は言えなかったけれど、再び恭弥君に会えたら、その時は精一杯の笑顔で“おかえりなさい”と伝えたい。
だから、だから僕はずっと、この空を見て笑顔の練習をしていた。
いつかその日が訪れるますようにと。小さな手に、一握の祈りを込めて。





掌から溢れたそれが空を舞った。







某診断で25雲雀×15骸で和服が出たんです。それで、和服=昭和=戦前(軍人)パロになって…15骸と言うか…イメージ的にはそれよりも少し幼い感じです。
もっと軍の話があったんですがややこしくなったんで消しちゃいました。一応、裏設定を箇条書きで。
骸の両親は非国民で惨殺。孤児収容所行きになった骸は、ずっと復讐で頭が一杯。両親を殺されてもまだ強い眼をしていた骸を気に入った恭弥が、軍人養成の為に引き取った。恭弥が軍人であることは知らされていないです。なんとなく気付いていたかもしれませんが。
そんなような話でした。(11.4.4)


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