※『薔薇の欠片』番外編です。本編から先に読んで頂けることをおすすめします。 彼女を知ったのは、獲物の女と街を歩いているときだった。 やっぱりその日太陽は雲に隠れていて、いかにも雨が降り出してきそうな天気だった。 「ねえ、玲。香水買ってあげよっか?」 「香水?」 「そ。それで、おそろいにするの。素敵じゃないかしら」 全然素敵じゃない、と心の中で呟きながら僕は微笑んだ。 「いいんじゃない?」 そう俺が返事をすると、女は「やった」と嬉しそうに俺の腕を引き近くの香水店に入った。 店の中は人がちらほらといるだけで、色々な香りが混ざっている。 人間よりも犬とまではいかないが、嗅覚がいい僕は思わずその香りに酔ってしまいそうになる。 「今日は人が少ないのね。ラッキーだわ」 なんて言いながら、女は店内を物色し始める。 香水になんて全然興味のない僕は、ただぶらぶらと店内をまわるだけだった。 決して広くはない店内。 店内にいるわずかな貴婦人は、自分に合う香水を優雅な仕草で楽しんでいた。 その中で、ひとり。不自然な動きをする少女。 棚の上にある香水を取ろうと必死になって背伸びをしているが、それでも指先が触れるか触れないくらいで手がとどく気配はない。 僕はそれとなく彼女の横に立ち、ひょいとその香水を取った。 いきなり現れた僕に驚いたのか、彼女はびくりと肩を震わせた。 「どうぞ」 「え、あ……ありがとうございます」 少し警戒しながらも、おずおずと香水を受け取り、そそくさと店の店員のところへ向かう少女。 あんな少女が、香水店にいるなんて珍しいと思いながら見つめていると、 「あら、あの人、憂お嬢様じゃない」 店内で色々物色していた女が、いつの間にか俺の隣に来ていてそう言った。 「憂?」 「知らなかった? あのお嬢様、この街では一番のご令嬢よ。確か、お父様が石炭を扱う企業の代表で」 「……ふーん」 「それに、今度ご婚約されるらしいわ。顔も頭も良い、高藤様と」 そこまであの少女の内情が、この女によってさらけ出されている。 でも、その話を聞いて興味を持った。 少女が店を出て行くのを横目で見ると僕は言った。 「……ごめん、用事思い出した」 「は? え、待って……香水……っ」 慌てる女をよそに僕は少女の後をこっそりとつけた。 少女は歩くのが遅くてうっかり追いついてしまいそうになるほどだった。 彼女が向かっている先は大きなお屋敷の近くの岬だった。 きっとその大きなお屋敷は彼女の家なのだろう。 木の陰に隠れてそっと彼女を観察する。 岬にぽつりと置かれているベンチに座った彼女の周りに白い色の小鳥たちが集まってくる。 「遅くなっちゃってごめんね」 そう顔をほころばせて微笑む彼女。 彼女は自分の持っていたバッグからパンを取り出すと細かくちぎる。 その彼女の掌に小鳥たちは集まりパンをついばんでいく。 そんな彼女は微笑んで。 さっきまで曇っていた空なはずなのに、雲の隙間から光が差し込んできた。 その光はまるで、彼女を照らしているようだった。 ただ、光に弱い吸血鬼の僕は光から逃れようと木陰に体を隠す。 「……私ね、婚約するらしいの」 突然聞こえた彼女の声。 僕は顔だけのぞかせその様子を見ると、彼女は微笑みの中に悲しみを浮かべていた。 「高藤さんは、すごく素敵な人。素敵な人、なのにね……」 自分に言い聞かせるように呟く彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。 『顔も頭も良い、高藤さまと』 香水店での女の言葉が甦る。 顔も頭も良い、か……。 「私、すごく幸せなのにね……」 その言葉が僕の頭の中でこびりついた。 *** その夜、僕は彼女の家に向かった。 意外と入り込むのには簡単で、すぐに彼女の部屋を見つけられた。 窓越しに見える彼女はもうすやすやと眠っていた。 そっと窓に手をかけると、あっさりと開いた。 鍵も掛けないなんて、無防備なお嬢様だと思った。 今日は月がハッキリと覗いていて、その月光が彼女の寝顔を照らした。 僕は窓を超え部屋の中に入りベッドのそばまで寄り、彼女の頬にそっと触れてみた。 「ん……」 その瞬間、もぞもぞと動く彼女。 そのことに少し驚いた僕はさっと手を引っ込める。 だけど彼女は起きる気配もなく、また静かになった。 街一番のご令嬢に、無理矢理婚約をさせられる少女。 獲物としては、すごく魅力的だった。 「ウイ、か……」 僕は彼女の前髪を手でかき分け、そっと唇をよせた。 彼女はそのとき、少しだけ幸せそうに微笑んだ。 「面白そうじゃないか」 今思えば、これが全ての始まり。 こんなちっぽけなことで、僕らを取り巻く世界が変わってしまうなんて。 こんなちっぽけな始まりで、僕らは一生懸命な恋をすることになるなんて。 このときの僕らはわかる予知もなくて。 君の虹彩に捧ぐ僕の醜態 (これが偶然なのか運命なのか、僕にはわからない) ∵あとがき 『薔薇の欠片』の玲さん目線です^^ はて、こんなんで良かったのやら。 玲さん目線にすると、全てが切ない感じになる気がするので今回は玲さんで。 久しぶりに書いたら、なんやらめちゃくちゃなことになった気がするのは気のせいです。多分…← さら さん、リクエストありがとうございました◎ ∵10/08/01 天樹 title::hakusei home::ルシファーの焔 |