新しい日常に
「あー、やっと仕事終わった…」
疲れた体を近くのベンチに座って休ませる。
広いテニスコートの片隅にいる彼女、赤原彩月はつい3ヶ月前の夏休み明け直後、親の転勤で突然東京に飛ばされてきたばかりだった。
それだけでも充分不安だというのに、転校先がまさかの氷帝学園。そこそこいい会社に勤めているとは思ってはいたが、まさかこんな学校に入れるほどだとは考えてもいなかったので驚いた。
驚愕したのはそれだけではない。
彩月が通っていた学校は立海大附属中学校。中学テニス界では"王者立海"という異名を持つ有名校だ。
彼女は元立海テニス部マネージャーであり、部員と仲良く過ごしていた。特にレギュラー陣とはお互いにチームメイトとして、さらに親友として信頼出来るほどの仲だった。
それなのに今では敵チームのマネージャーになっている、という事に一番驚いている。
「はぁ……立海、楽しかったな……」
彩月は立海が大好きだった。
今からまた通えるのならもう一度転校したい!と思えるくらいで、ここ氷帝も嫌いではないが未だに立海には及ばないと思っている。
「おい。何ぼーっとしてやがる」
「あ……すみません跡部さん」
「突っ立っている時間があったんだ。仕事はきちんと終わらせてあるんだろうな、アーン?」
彼は跡部景吾。跡部財閥の御曹司……つまりはお金持ちの坊ちゃん。家柄のせいか単に性格なのかは分からないが、とにかく自信家でプライドが高い。
そしてやたら彩月に突っかかってくる傾向があるので、彼女から見れば苦手な部類に入りそうな人らしい。
「樺地、確認しろ」
「ウス…………綺麗…です」
「なら良い。お前、なかなかやるじゃねえか」
「そんな事ないですよ?」
「俺様が褒めてやるなんて滅多にねーんだ、素直に喜んでおけ」
上から目線な会話ばかりしてくる彼の言動だけは、未だに慣れない。
それでも氷帝にだって素敵な人は沢山いて、いつも俺様な跡部さんだって、実は優しかったり正義感の強い一面だってある事が分かったから不満はなかった。個性的だけど、彼らの近くにいるのは心地がいいとさえ思う。
……"個性的なのがいい"
ふと、それはまさに立海メンバーを指しているようだなと思い、それから少しだけ切ない気持ちになった。
転校して氷帝テニス部に入っている私はもう彼らの敵だ。チームメイトには戻れない、という事を改めて思い出させられた。
「……寂しいな」
そう、ぽつりと呟く。
独り言を話すのを怪訝そうに見る跡部に何でもないです、と声をかけて、仕事を再開した。
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