log2/はやし
真っ暗な部屋にカタカタとキーボードを叩く音だけが響く。
光源といえばパソコンからの光と、あとは壁が一面ガラス張りの窓から入る街のネオンのみだ。
波江は定時でとっくに退勤し、その後にやってきた人物はといえば「外に出てくる」と言って出て行ったきり帰って来ない。
と言っても1時間経つか経たないか、だが。
(まぁ、そのまま戻って来なくてもいいけど)
そんな事を思っていると真っ暗だった部屋がパッと明るくなり、臨也は今まで睨んでいたパソコン画面から顔を上げる。
そこには自分とほぼ同じ顔のパーツをしたスーツ姿の男が照明のスイッチに手をかけながら立っていた。
「いつ帰ってきた訳?全然音しなかったんだけど」
いつの間に会社員から忍者に転職でもしたのかと軽口を叩いてやる。
「臨也の事だからそのままだろうと思ってね。脅かしてやろうと頑張ったのさ。」
スーツ姿の男は何事も無かったように臨也の言葉を流した。確かに部屋を出ていく前に明りは点けておけとは言われたがもう子どもではないのだから、とそのままにしていてコレだ。
臨也は若干、苦虫を噛んだように顔を歪める。
スーツ姿の男、折原慧也は臨也の1歳違いの実兄である。所謂、年子というやつだ。
名前の由来は旧約聖書に登場する最大の預言者エリヤからだ。その1年後に生まれた臨也も預言者の流れを汲んでイザヤと名付けられた訳だ。
兄弟であるので顔の作りや艶やかな黒髪なんかはよく似ていた。
身長は臨也よりも高く、臨也は受け取るべき栄養を慧也に全て持っていかれたと思っていた時期もあった。
そんな訳で臨也の諸々の外見的なコンプレックスを刺激しているのである。
故に臨也は兄である慧也に苦手意識を持っているのだった。
慧也はソファのあるテーブルまで歩いて行きながらスーツを脱くと、脱いだスーツはソファの背にかける。
途中、脱ぐ際に持ち直したコンビニ袋をテーブルに置いた。
「そのスーツでコンビニ行ってたのかよ…それブラックラベルなんじゃないの」
外に出てくると言って行った場所がコンビニとはさぞや浮いただろう。
「コンビニに服装の規制はないだろ?コンビニエンスの名が泣くじゃないか」
慧也はネクタイを緩め、コンビニ袋の中を漁るとビールの缶を取り出し
テーブルに置くと再び手を入れもう1缶。今度は臨也に向けて「飲むか」と缶を持ってジェスチャーを送った。
それを受けて臨也はしばし間を開けて「飲む」と答える。
慧也は自分の飲む缶のプルトップを開けると、臨也の仕事用のデスクに向かって移動する。パソコンの画面に何も起ちあがっていない事をもう1度確認し(慧也が帰ってきた時点で全てのウィンドウを閉じた)臨也は持ってこられたビールを受け取った。
慧也は臨也にビールを手渡すと、そのまま臨也の仕事用のデスクに浅く腰かけてビールを口にした。
カシュッとプルトップを開けると臨也もビールを飲み始める。
暫く2人の間で沈黙が流れたが、慧也はマンション下であった事をふと思い出す。
「そういえばさっき、金髪のバーテン服がいたけど喧嘩でもした訳?」
「ブッ…!何、シズちゃんに会ったの?喧嘩ってなんだよ」
「いや、お前に間違えられて殴られそうになったからさ。へぇ、シズちゃんって言うんだ。可愛いじゃない」
「可愛い」の言葉に臨也が顔を引き攣らせるのを慧也は見た。
「可愛いって兄貴大丈夫?あいつはただの化物だよ化物、単細胞だし配慮に欠けるしそれに…」
尚も言い募る臨也に慧也は腰かけていたデスクからスクッと立ち上がり
「そうかな、可愛いと思うけど。それに大人しいかんじだったし」と言いながらスーツをかけてるソファまで移動する。
「眠いからもう寝るよ」
そう言うとスーツを手に取りゲストルームに引っ込んでいった。
残された臨也はビールの缶を握りしめたままデスクに突っ伏す。
(シズちゃんが可愛いなんてとっくの昔に知ってるよ)