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「まるで犬みたい」


私がそうつぶやくと、肩をびくつかせて丸い目で私を見つめてきた。そこまで驚かれるとは思わなかったから私も思わず固まると、「ごめん」と微かな謝罪が聞こえてきた。その言葉に「気にしてない」と言えば安心したように彼は微笑んだ。そのような仕草をする彼もまた犬のようだった、飼い主に忠実で飼い主の言動に一喜一憂するような、私がイメージする犬の典型的パターン。


私は彼の名前を今でも知らない。何故か聞いてはいけない気がしていた。今ではこの気持ちを無視して聞けばよかったかもしれない、と思っているけれど、それも後の祭り。知りたいと思わないわけじゃなかった。けれどきっと彼は聞かれてもはぐらかしただろう、まあこれも想像でしかないのだけれど。彼はいきなりやってきて、いつの間にか去っていった。そういうところはまるで猫のようだった。誰かに彼と私の関係を尋ねられれば、きっと答えるのにかなりの時間がかかり、明確な答えを出すことが出来ないだろう。それほどまで曖昧な関係を続けていたのはたった2週間程度だった。いつ死ぬか分からない私だけど、これからもそう忘れることはないだろうという彼との生活は特に何をするわけでもない、けれどまるで恋人のやるようなことはしてしまっていて、きっと誰にも言うことが出来ない。でも彼は私を傷付けるようなことは何もしなくて、私も何も後悔はしていない。



「犬、みたいか?」

「うん」

「どうして?」

「気付いていなかったの?いつも噛んでくるのに」


布団から少しだけ身体を出して彼に肩が見えるようにした。今はもう消えてしまった傷だけれど、彼が見たときはまだ新しい傷だった。少し眉根を寄せて嫌そうな顔をした彼を笑うと、彼は悲しそうな顔をして謝った。


「痛いか?」

「少しね」

「気付かなかった」

「じゃあ私にだけするの?」

「さあ、今までの女が言わなかっただけかもしれない」

「今までの女、なんて言うってことは随分たくさんの女と関係を持ってるんだね」

「今はお前だけだよ」

「プレイボーイの言葉」

「いや、実は大して関係を持ったことはないんだ」

「嘘、その容姿で?」

「ほら、みんなそういう風に思ってるから勝手なイメージをもたれるだけさ」

「じゃあどうして私とは簡単に寝たの?」


シリウスは黙り込んで布団をかぶってしまった。それが言いたくないサインだと、短い付き合いの中でも知ってはいたけれど、気になってしまった。彼のことを全部知ってしまいたい、とは言い切れなかった、それは今でもそうだ。でも知りたいと思うことは知りたかった。確かに彼が私に見せる表情は堅実と言っても良かったし紳士と言っても良かった。外を歩いても部屋にいるときでもエスコートはお手の物だった。出自を聞かなくても彼はきっと貴族か何かだったに違いない。でも決してそのことを話そうとはしないから私も聞こうとしなかった、それだけだ。彼が何者であるか、私が何者であるか、という疑問をお互いにぶつけあったことがなかった。


「ねえ」

「ん?」

「犬ってどうやって鳴くの」

「……は?」

「教えてよ」

「bowwowやwoofだろ」

「私の国ではわんって鳴くの」

「へぇ、oneって鳴くのか」

「数字のことじゃないよ」

「じゃあ吼えてるときはどうなるんだ?one one oneって1にならないじゃないか」

「馬鹿にしてるでしょ」

「してないさ」

「嘘、みんな馬鹿にする」

「さっきから何だよ」

「あなたが犬みたいだから」

「……それとこれとがどういう関係がある?」

「私が知ってる鳴き方で泣いてほしかったの」


私が彼に触れた時、私の手は思ったよりも冷たかった。だからなのか、彼は肩を少しびくつかせた。それがまるで小さなこどものようだった、私よりも随分大きかったはずなのに私を簡単に包みこめたはずなのに。最初に出会った時もそうだった。容姿では私よりも随分大人びて見えるとしても、きっと私よりも年下だったんだと思う。だって外国人は実年齢よりも大人びて見えるしアジア人は実年齢よりも子供ぽく見える。彼のことは何も知らない、それでも何かに怯えているように見えた。あの時よりも小さなころ、彼は泣き方を教えてもらわなかったんじゃないかと思うほど、負の感情を表すことが下手だったように思う。彼は器用なように見えて不器用だった。


「犬みたいじゃなくてもいい、動物みたいに、素直になった方がいいよ」


今思えば驕りくさったような言い方だろう。私が彼の何を知ってるんだ、とあの頃の私に言えるほど。でも知らないからこそ言えたのかもしれない。"知らぬが仏"と言う言葉があるように、知っては見過ごせなくて知らなくても良いことは世の中にもたくさんある。だから、知らなかったら何でも言える。あの時私は彼の身体に腕を回した。彼の肩が微かに震えているのにも気付いていた。けれど私は、何も言わなかった。いや、言えなかった。何も知らない私でも、彼の中には踏み込んではいけない境界線があることは知っていたから。




20110306