人間に与えられる壁って、大体は乗り越えられるものだと思うの。努力すれば箒に乗れるようになったり、呪文が使えるようになったり。我慢すればかけられた魔法だって解けたり、罰則が終わったり。でも、反対にかみさまでも乗り越えさせてくれない、自分たちではどうしようもない壁が立ちはだかるの。
「おい」
「シリウスだ、卒業おめでとう」
「……ああ」
「暗いなぁ、嬉しくないの?」
ふるふると首を振るシリウスはまるで子犬みたいで、頭に乗っている卒業の証の帽子とか、私よりも随分高い身長とか、大きな手とか、そんな風なことにはどう見たって似つかわしくない。思わず苦笑する、シリウスはそれに気付いたみたいで眉を顰めたけど、何も言われなかった。前は、そんなこと、なかったのに、ね。
「嬉しいんでしょ?だったらもっと、嬉しい!オレ、ハッピー!とか、テンションが高くったって良いんじゃない?」
「……どんなテンションだよ」
「あはは、私もわからない」
シリウスの身長は私よりも随分高い、はずなのに、私はシリウスの頭上にいて、私たちには差を確かめる術はない。身長だけじゃなくて、全部。ただ、初めて会ったあの日から、シリウスはどれだけ変わったんだろう?普通の人たちが出来たこと、私たちには出来なかった。こんなんになるんだったら、声なんてかけなければ良かったな。想定外。
「おめでとう」
「…………」
「明日からいなくなっちゃうんだね、寂しいなぁ」
「……本気か?」
「何で疑うの?」
「社交辞令みたいだから」
「そんなこと、」
「ないって言えるのか?」
「………ね、シリウスは大きくなったよね」
「は?」
「歳をとるってそういうことなんだよ、身体が大きくなる。大人になっていくの」
「何、言ってるんだよ?」
「だから、それに見合うだけ、心も大人にならなくちゃ」
「…………」
「シリウスはすごい子。いい子。今は最悪な世の中だけど、シリウスはそれを打破出来るくらい、すごい人なの。私にはわかるから」
「……そんな人間じゃない、俺は」
「自分のことって案外わからないよ」
シリウスは唇を噛み締めた。それが7年前から変わらない癖なのにどこか大人びて見える、やっぱりこのままじゃいけないんだ。シリウスは、このままじゃ駄目になる。シリウスの眼前まで降りて微笑む。シリウスを突き放すのは私じゃなきゃ駄目。
「過去にして」
「……え?」
「私のことは忘れて。ホグワーツに私なんかいなかったの」
「そんな、」
シリウスに手を伸ばす、触れられない。頬を撫でたい、撫でられない、シリウスの温かさを知りたい、もう忘れてしまった人の温かさを知ることは永遠に知る由もない。
「ばいばい、シリウス」
「……待て、待てよ!」
「やだよ」
「せめて名前、名前だけでも!」
「やだってば。本当に、ばいばい」
心臓なんてもう無い、もう無いのに握り潰されたみたいに胸が痛い。……痛い?痛いって何だっけ。切り裂かれたみたいに、ずきずきする、誰か助けて。人間はこんなときにどうやってこのずきずきをなくすの?姿を見せないように振り返ってシリウスを見る、目から水が流れてる、初めて会ったときと同じみたいに。あれは、何だっけ?私も人間だったときはあんなものを流したのかな?……流れたら良いのに。もし流れたら、もし心臓があったら、もし人の温かさを知っていたら、もしシリウスに触れられたら、きっとこんなに苦しくならなかった。
なにがいけなかったのかな?
(きっと、それはまず出会った時点で間違いだったんだ)
20101117