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「わーかーしー」


俺はこの女がとてつもなく嫌いだ。


「ねえちょっと、聞いてんの」

「…なんですか」

「あ、聞いてくれるの!?ていうか聞きなさいよ、あんたの兄貴のことなんだから」

「知りません、俺に言わないでください」

「はあ?あんた身内でしょ、あいつと」

「だからなんですか。俺が兄貴のことを聞く必要がありますか」

「生意気ー。昔は可愛かったのになあ、若も」


我が物顔で俺の部屋に居座るこの女は俺の幼馴染で兄貴の彼女だ。仲のいい期間と喧嘩をする期間は大体五分五分で、喧嘩をすれば必ずと言っていいほど俺のところにやってきて愚痴る。素面のときはしおらしくてまだ可愛げがあるものの、今日は酔っているせいか性質が悪い。


「……はあ」

「なによ、冷たいわねー。どうやったらあんな優しいお父様からこんな冷たい息子が2人も産まれるのよー!」

「親父は俺たちを産んでません。大体俺たちがこんな態度をとるのもアンタに対してだけじゃないですか?」

「言ったわねえ、若のくせにぃ!」


幾つだ、こいつは。酔ったら理性がなくなるのかどうだか知らないけれど(何てったって俺はまだ中学生だ)、俺のベッドのスプリングを軋ませながら跳ねる女はどう見たって立派な社会人には見えない。どうやら今日はパーティーだったらしい、珍しく髪をアップにし、化粧もして、それなりに高そうなドレスを着ている。……氷帝じゃ珍しくないけどな。そんな色んなところが空いた服で男のベッドに座ったり跳ねたりするこの女の神経を疑う、いや、酔っているからだって分かっているけれど。

時の流れを感じさせる。振り向かずとも彼女の艶めかしさは分かっている。この女が少女だった頃、俺は一緒に風呂に入っていたりしたのだ。その事実は確かに過去に存在するのに今では儚げな夢なようだ。そんな過去よりも、隣の部屋からたまに聞こえてくるあの声の主である、というほうが納得できる。この女が俺の兄貴の下で啼くのだ。妙にすとんと胸のなかに落ちてくる事実。


「あんたの兄貴、酷いんだよ?大学のコンパだから迎えに行けないって!有り得なくない?私、彼女だよー!?」

「しょうがないでしょう、常にアンタのそばにいられるわけじゃない」

「………だって、」

「なんですか」

「……女の子の声、した」


どうやら鈍いわけではなさそうだ。確かに俺の兄貴はこの女だけを我が家につれてきているわけじゃない。むしろ他の女を連れてくる頻度の方が高いと言っても過言じゃない。街でその女と口づけを交わすのも見たことがあるくらいだ。浮気、と言っても良いのだろうか?当たり前に20年近く共に過ごしてきた女を愛していないわけじゃないだろう、だが、飽きたのかもしれない。刺激を求めたのかもしれない、他の女に。一時なのだろうか、この女のもとへ戻ってくる確証はない。


「……最近ね、」

「…………」

「いつもなの。もう、私のこと、……」

「…………」

「……ねえ、若?」

「なんですか」

「カノジョ、いる?」

「……いたらアンタを部屋にあげません」

「あは、それもそうだ。……若は、カノジョを大事にしそう」

「さあ、どうでしょうね」

「……私、あんたを好きになれば良かった」


スプリングが軋むのをやめた、途端に背中にぬくもりと柔らかさを感じる。この行為こそ、一時だ。けれど、この女は俺の理性を簡単に取り去ってしまう。畜生、と心にもない悪態を聞こえないように吐く。この女のこういうところが更に嫌いだ。けれど、こんなのは傷付かないための防衛壁でしかない。俺は、俺が、俺が一番嫌いなのは、


「……ねえ、忘れさせてよあいつのこと」


頭では分かっているつもりでも、この女に翻弄されている俺なんだよ。


兄貴の車の音がした。
その音を聞かせないように、全てから逃げるように、



俺はお前の耳を塞ぐ。
(せめて今だけでも俺がお前の全てであるように。)