揺れる乙女髪


いつも一瞬の出来事で、あの人は私を知らないだろう。
艷やかな緑色の髪を揺らしながら細くて真っ白な自転車を漕いで、颯爽と私の横を過ぎていく。
私はその後ろ姿しか知らない。
でもその後ろ姿は、とても綺麗で見惚れてしまう。
女の人だろうか、男の人だろうか。
綺麗な髪と、モデルのようなスタイルが印象的だった。

その自転車がロードというものだというのは、だいぶあとになってから知った。
そのロードについて調べたくて、たまたま手に取った月刊サイクルタイムという自転車の雑誌に載っていたんだ。
私の知らないところで、自転車のインターハイというのが行われていたらしい。
それの優勝チームの1人として仲間の人と手を挙げて写っていた。
私の高校の隣にある総北高校に通う3年生の巻島裕介くん、というらしい。
そしてあの後ろ姿は男性だ、ということ。

その雑誌から情報を得たとしても、何かが変わるわけじゃない。
私が一方的に知っているだけなのは変わらないからだ。



3年の夏休みも半分がすぎた頃、私は市立図書館にいた。
もちろん勉強するために。
行きたい大学がある。
その目標のために。

「ーーッ!?」

慌てて落としそうになった教材を持ち直す。

びっくり、そこにいたのだ。
巻島裕介くん。
彼も3年生だから受験勉強とかしてるんだろうか。
その日、自転車に乗ってる姿以外の彼を初めて見た。

うわ…やっぱり美人な男の子だ。

私があまりにもジロジロ見るからか、巻島くんがその視線に気づいて顔をあげる。
どうしたらいいかわからなくて、一礼して離れた。

「…なんショ…?」

もちろん巻島くんの声は私には聞こえなかった。


その数日後、再び市立図書館に行った私は巻島くんを視界に捕らえた。
開いたノートを斜めにしたままシャーペンで文字を書き進めていた。

そんな姿を横目に、私は自分の勉強に必要な本を探す。
大量の本の中から良さそうな本を見つけて手を伸ばすと、先にその本を取るために伸びてきた腕があった。

「あ…」

「あ?」

「わっ」

「あー…アンタ…」

よくわからない会話を繰り広げているが、驚かずにはいられない。
隣には巻島くんが本を持ちながら立っていたのだから。
自分の手を当てた緑色の髪の間から目がこちらを見ていた。

「…悪ぃな。もしかしてこれ取ろうとしてたショ?」

巻島くんが本を私に差し出してくる。

「あっ、いや、大丈夫。巻島くん先にどうぞ」

私は慌てて身振り手振りで返す。
巻島くんには伝わらないかもしれないけど、私は今パニック中です。

「そういや、オレのこと知ってるっショ?この間も…」

「あっいや、自転車の雑誌で見て…。でも…前から毎朝自転車で走っていくの見てたから…」

ああ、もう私何言ってるんだろう。
ストーカーかとか思われてるんじゃないだろうか。
気味悪がられてるかも。
そもそも私はなんでそんなことを気にしてるんだろうか。

巻島くんがどんな反応をするのか気になりながら、自分の服の裾をシワになりそうなくらい握りしめる。

「クハッ」

巻島くんは自分の前髪をくしゃりと上げた。

「先に借りてく」

巻島くんはそのまま本を持って行ってしまった。

あっという間の時間だったけど、私はすごい経験をしたんじゃないだろうか。
まさかあの巻島くんと話せる日が来るなんて、後ろ姿をただ見ていた日々からは考えられない。
夢心地のようなぽーっとした状態で、すとんとイスに腰掛けた。


あまり勉強に見が入らずに1時間程経った頃、私の頭にポンと何かが乗った。
振り返ると、巻島くんが私の頭に本を乗せながら立っている。

「巻島くん…」

「悪ぃな、先使わせてもらって。アンタも使うショ?」

「あ、ありがとう」

私は頭の上の本を受け取った。



▼▼▼

閉館の時間になったので荷物をまとめて外に出る。
すると外のガラス戸に鞄を担いだ巻島くんが寄りかかっていた。
無視して行くのもどうかと思って、お疲れ様とだけ声をかけた。

「あー、アンタ、待つっショ」

巻島くんがガラス戸から背中を起こした。

「あ、はい…」

「アンタ名前は」

「あ、えと…苗字名前です」

「クハッ苗字さん、またな」

長い腕を横にビシッと伸ばして巻島くんは帰っていく。
夕日の中を歩きながら揺れる髪が緑色と混じって照らされていた。



▼▼▼

それから毎回ではなかったが、図書館で会ったときには帰りがけに巻島くんと話す機会が多くなった。

でもそんな時間は長くは続かなくて、夏休み最終日。
もう図書館で会うことはないかもしれないけど、今度は今まで見ていた自転車の後ろ姿に声をかけようと思っていた矢先。

「オレ、来月から海外行くんショ。大学もそっち」

「…え?」

一瞬頭がついていかなかった。
来月?海外?

「だから、サヨナラだ」

いつもより眉が下がっているような気がしたが、巻島くんの表情は何を考えながら私に言ってるのかわからなかった。
それほど私たちの関係は浅く短い。

「そ…うなんだ。海外でも頑張って」

私には気が利いた言葉なんか出てこなくて。
ありきたりな送り言葉。

「…っショ」

こんなことなら見ているだけの方がよかった。
今更気づいた感情に戸惑うばかり。

「泣いてんじゃねェって」

自分でも気付かずうちに生ぬるい水分が頬を伝っていたらしい。
巻島くんがオドオドしながらため息をついて、遠慮がちに頭をぽんと撫でた。
髪が長くて身体も細めだけど、掌が大きくてやっぱり男の人なんだと思う。

「海外って…どこに行くの?」

「ン、ああ、イギリスショ」

「イギリス…」

私は乱暴に自分の服の袖で涙を拭った。

「私、大学2年になったら留学しようと思って、るの。そしたら…絶対イギリス行くから」

「…クハッ、先行って待ってるショ」

巻島くんの手がするりと私の髪をすり抜けていく。
歩みを進める巻島くんに、私はずっとどうしても言いたいことがあった。

「あの、巻島くん!」

巻島くんが私の声に振り返ってくれる。

「インターハイ、優勝おめでとう!」

巻島くんは不器用な笑顔で自分の髪に指を通しながら去っていく。
その動きに合わせて初秋の風が吹き、さらに巻島くんの髪は舞った。



▼▼▼

月が変わって9月。
学校が始まっても巻島くんを見ることはなかった。
イギリスに行くと聞いていたけど日にちまでは聞いてなかった私は、もちろん見送りなんて行けずに明後日の方向に想いを馳せているだけだ。
けれども新たな目標が見つかった私は、ただひたすらに勉強し大学に合格した。

そしてその大学も、望んだとうとう2回生。
この秋に留学を考えている。
行き先はもちろんイギリス。
それが実現したときには泣きそうなほど喜んだ。

やっと会えるかもしれない、巻島くんに。
2年越しの再会を夢見た。



そういうわけで私はイギリスの地にいるわけだが、現実というのは夢よりも厳しい。
巻島くんに会える気がしない。
時間があるときに、自転車乗りがよくいるというところに足を運んでみるが会えた試しがない。
時間、場所、タイミングが合わないと到底会えるはずもない。
そんな運命的な再会をせざるを得ない状況で、少しずつ諦めを感じ始めていた頃だ。

私を追い抜いた自転車はあの頃と同じ真っ白で、緑色の髪が左右に揺れていた。
間違いない。
いた。

「巻島くん!」

一瞬で通り過ぎてしまう自転車に、めいいっぱい息を吸い込んで叫んだ。
それが巻島くんに届いたようで、ペダルを踏んでいた足が止まる。

「…クッハ!」

巻島くんが足を地につけると、私はそこまで駆け出した。

「よかった、会えた!」

「なんっつー顔してんショ。でもま、よく来たな、名前」

巻島くんが頭に置く手は変わらず優しくて、堪えていた感動が込み上げてくる。

巻島くんの指が涙を拭ってくれて、私の髪を梳く。

「髪、伸びたっショ」

伸ばしたんだよ。
私が巻島くんに会えるように、一種のジンクスとして。

「巻島くんみたいな綺麗な髪じゃないけど…」

「…いや、オレよりきれいショ」

巻島くんが私の髪をひと束手に取って、それに軽く口付ける。
その流れるような一連の動きに見惚れしまった。

好きという気持ちが溢れ出す。
それを伝えようと口を開くと、巻島くんの方が先に喋り始めた。

「あれから2年も経ってんだ。会いにこねぇと思ってたしイギリスっつっても広い。会える保証なんてどこにもねェ。…だから、名前がオレに会えたら言おうと思ってたことがあるんショ」

「私、に?」

「……好き、ショ」

巻島くんは少しだけ頬を染め、私の肩に腕をまわして抱き寄せた。
少しぎこちない愛情表現が巻島くんらしい。
私は巻島くんの腕の中、ジャージを握りしめた。



End



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