大谷は、夜空の好きな男だ。殊に流星を好むと聞いた。あれは石田の言であったか、それとも竹中の言であったか。
 しかし、大谷本人が私にそれを言ったことは一度としてない。ただ昔から、晴れた夜は朱色の羽織りを肩に掛けて、ベランダからじぃっと空を眺めていることが多かったように思う。今思うならばあれは、流れる星々を探していたものだろうか。
 仕事のため、嫌々ながらも都心に越してからの大谷は、プラネタリウムにいる事が多くなった。開館から閉館までを天井を見上げながら過ごしている日も珍しくない。スタッフに苦笑を交えていつもどうも、と声を掛けられる位には、彼はプラネタリウムの常連である。
 わけを問えば、本物を見るにはどうにも地上が五月蝿過ぎるのだと言う。
 いつだったか、外は地上が眩し過ぎるから室内用のプラネタリウムが欲しい、と言い出したときには、私も石田も辟易したものだった。その執着はもはや病的ですらあった。
 大谷はしばしば天を見たがる男だ。だからだろうか、私や石田には理解が及ばないところがいくつもあった。
 石田は前だけを、私は主に後ろを見ていた。




 その日、大学の講義を終えた私は、真っ直ぐにプラネタリウムに足を向けた。平生のように大学の図書館に向かわなかったのは、単なる気まぐれとしか言いようがない。
 人で溢れた都心の高層ビルに誂えられたそこに、今日も大谷がいるという確証はなかった。しかし、ふと気付けば私はそう安くもない料金を支払い、地味な車椅子の上に居て真っ直ぐな姿勢で天井を仰ぐ大谷の隣に腰掛けた後だった。
 私は大谷と静かに作りものの夜空を眺めるよりは、長曽我部と水族館に行ったり毛利と植物園を訪れたりする方が好きだ。じっとちかちかするだけの光を見ていることの一体何が面白いのかと、そう思う。だから、今日の私はきっとどうかしているのだろう。そう結論づけて、私はこてんと体を横たえた。
 大谷がこちらを見遣る気配がしたが、本当に私の方を見たのか否か。私の視界には、天井に在る無数の光の点でいっぱいになっていた。強い光と弱い光、そのどちらでもない光が黒の上にちりばめられて、存外と本物の夜空を見ている気分にはなれるものだ。
 目を細めて見れば牛乳を零したようにも見える光の帯、あれが天の川だろうか。ならば牽牛織女はどこにあるものなのだろう。私には星空の見方などとんとわからないのだった。
 そういえば大谷は昔から物覚えのやたらといい奴で、季節どころか月によって刻々と変わる星の位置をいつも正確に把握していたように記憶している。私と石田が名前しか知らぬ星を、彼はすぐに見つけ出したものだった。
 今も、それは変わらぬだろうか。淡い、微か過ぎる期待を込めて、私は大谷がいるであろう方向に手を伸べた。彼の方を見ることは出来ない。私にはちかちかと瞬く光を視界に入れるのが精一杯だった。
 空を掻いていた指が、幾重にも巻かれた包帯のおかげで太くなった指に掠われる。そのまま私の手は大谷の膝の上に招かれたようで、指先に柔らかな毛織物が触れた。吐き出した息は、情けなく震えていた。
 牽牛も織女も、私には見つけることが出来ない。私はまだ、後ろばかりを見ている。


 

 閉館のアナウンスに導かれてプラネタリウムを出た。ばきばきと鳴り出しそうな身体を叱咤して、大谷の車椅子を押しながら歩を進める。外はもう随分と暗くなっていた。どれだけの時間、ああして作りものの天を眺めていたものだろうか。
 エレベーターに乗り込む時、窓から見える地上の明るさに驚いた。もはや濃紺に染まった空とのコントラストは目が覚めるほどはっきりとしたものであったが、幻想的とはとても言い難い雑多な街であった。
 
「ぬしが此処に来るとは珍しいこともあるものよ。如何したなまえ」
 
 不意に向けられた大谷の問いに、首を傾げながら別に、とだけ答えた。自分でもよくわかっていないのだ、他人に理解させよというのは無理がある。
 そうかそうか、と。深くは追求せずに静かに頷く大谷の、その白い包帯に覆われたうなじを見つめた。髪の生え際から、赤黒い皮膚が少しだけ覗いている。建物内に設置されたスピーカーから流れる音楽に微かに頭を揺らす彼、常よりも幾分か機嫌が良いようだった。
 
「なれば早に帰るか。帰って誰もおらぬとなれば三成も心配しようて」
「……」
「如何した?」
「………大谷、」
 
 ん、と振り向いて私を仰ぐ大谷の、その睫毛など少しも無い瞼を見つめた。大谷も何か、私の様子がおかしいことに気付いたのだろう、私に柔らかい眼差しを向けている。そう、大谷は昔から色んなことに聡い男であった。
 
「…織り姫と彦星は、どこにあるんだろう」
 
 我知らず、車椅子を押す手に力が篭った。大通りに向かうに連れて、段々と擦れ違う人が多くなる。大谷は、ぱちりと緩やかな瞬きを一つして、夜空を見上げた。
 
「…やれすまぬ、すまぬなァ。今日は地上が五月蝿いゆえ、われには見えぬ」
 
 ひひ、ひ。大谷が笑う。私は、私は知っているのだ、とうに。大谷の目が、もう星の光など感じ得ないないことを、ずっと前から。
 
 私はまだ、後ろだけを見ている。あの、私と石田と大谷が並んで星を見ていられた、あの頃の面影だけを、世界の中で探しているのだ。




20110220
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