痛いよ、頭がいたいんだよ四郎兵衛。

 そう言ってなまえ先輩はぼくに縋りつくようにして泣く。天気が悪い日はいつもそうだ。めそめそ、めそめそ。ぼくの肩が冷たいのは、ざあざあ降りの雨のせいではなく、なまえ先輩の涙で濡れているからなのである。雨の日のなまえ先輩はとても泣きむし。
 いつもは気丈でまじめで、くのたま教室一の優等生であるのに。おかしなものだ。
 そして泣きむしの日のなまえ先輩は必ずぼくなんかのところに来て泣くのだから、とっても不思議だ。

「左近を呼びましょうか」
「……いい。四郎兵衛でいい」

 なまえ先輩はそう言って、またぼくの肩口で涙をこぼす。いたいよ、いたいよ。その声があんまり憐れっぽくって可哀想だから、ぼくはいつも心配になってしまうというのに。
 もしかしたらなまえ先輩は、2年生の左近に泣いているのを見られるのが嫌なのかもしれない。先輩は立派な5年生だから、恥ずかしいのだろうか。ぼくだって、1年生に泣き顔を見られるのは恥ずかしいもの。

「善法寺先輩でもいいですよ」
「っ、四郎兵衛がいいの!!」

 気を利かせたつもりのぼくの言葉は、顔をぐしゃぐしゃにした先輩に怒鳴られて終わってしまった。何かいけなかったのかなぁ。首を傾げたけれど、先輩は何も言わずに黙り込んでしまった。
なまえ先輩はいらいらしたように床を引っ掻いて、ぼくから離れてしまった。四つん這いで部屋の隅っこに移動して、なまえ先輩は膝を抱える。そうしてまためそめそと泣きはじめる。

「痛い、あたまが割れそう。四郎兵衛のばか」
「な、泣かないでくださいよぅ」

 なまえ先輩があんまりに泣き止んでくれないので、ついぼくも拗ねたような口になってしまう。ぼくも膝を擦って先輩に寄り添うと、桃色の頭巾をした先輩の頭を撫でた。柔らかい。僕の頭巾は泥の汚れが何度もついて、何度も何度も洗っているからざらざらとした手触りがとれない。なまえ先輩の装束はいつだって柔らかくて、母さまの出してくる手拭いみたい。
 そういえば、なまえ先輩の手はふわふわで温かい。ぼくのようにがさがさして胼胝だらけではないのだ。なまえ先輩も忍術学園の生徒なのに、不思議。

「ふしぎです」
「……何が、」

ずび。なまえ先輩が鼻を啜りながら顔を上げた。いつもはおすまし顔の先輩の目尻が、少し赤い。

「なまえ先輩は柔らかくて、ぼくの手はがさがさなんです」
「……剣胼胝のある艶忍なんか、使い物にならないだろうに」

 無力な娘に化けなきゃならないんだから。泣きはらした先輩の声が、また潤む。ぼくは慌てて先輩の頭を撫でた。なまえ先輩がそっとぼくの手に頬を擦りつけた。涙で濡れた頬っぺたが、ひたりとぼくの掌に吸いつく。

「…あたまが痛いの」
「はい」
「だからね、優しくしてよ。このくらいで良いから」

 このくらい、の所で、先輩は親指と人差し指の間をほんの少しだけ開けて示した。……豆が一粒きりしか入らないような、小さな隙間を開けて。

「それきりでいいんですか」
「これきりでいいの。だって、沢山優しくされたら溺れてしまうでしょう」

 溺れてしまってはいけないよ。先輩が言う。はらりと、なまえ先輩の目から涙が一筋こぼれた。先輩は、もしかしたらぼくが思っているより臆病なのだろうか。

「溺れたって、助けてあげます」

 ぼくがそう言って先輩の手を取ると、先輩はきょとんとしてぼくを見た。ぱちくりと先輩が瞬いた拍子に、また涙がこぼれた。はらり。花弁みたいだ。

「だってぼく、体育委員ですから。先輩が溺れたって助けます、ぼく」

 だから、だから。
 その先をどう続けたらいいかわからなくなってしまって、ぼくは結局ぱくぱくと口を開け閉めしたあとで俯いてしまった。だから。何が言いたかったんだろう、ぼくは。
 困ってしまってこっそり眉毛を八の字にしていると、なまえ先輩がふっと笑ったのが分かった。ぼくが慌てて顔を上げると、先輩はすんと鼻を鳴らしてぼくの頬を両手で挟んだ。

「ありがとう。じゃあ、約束だよ。私が溺れていたら、助けてね。きっとだよ」
「はい。絶対、助けます」

 そうして先輩はくしゃりと。笑うように、泣くように、目を細めた。ぽとりと、見上げるぼくの頬に、先輩の涙が落ちた。

「泣かないでください、なまえ先輩。助けますから」
「…違うよ、四郎兵衛。これは頭が痛いから、勝手に涙が出るの」

 ばかだね、四郎兵衛。四郎兵衛は、ばかだ。
 泣きながら先輩が言う。なまえ先輩が涙で濡らしたぼくの肩は、まだ冷たかった。



  2012.01.1477
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