(ホラーっぽい)


少し前までなまえに与えた寝室であった部屋には、大きな水槽を作った。細かな硝子玉を敷いて、意味はないだろうが形ばかりの調度品も沈めた。言うなれば、部屋を水没させた形に近い。
ひらりひらりと、妹達の衣の裾のような鰭が舞うのを見るのが、最近の気に入りだ。


なまえが水を恋しがって、やがて鰭や鰓が出来て。地上にいられなくなってからから幾月経ったろうか。まるでフェニクスの迷宮生物のような美しい人外へと変容したなまえに、ジュダルも神官団も首を傾げるばかりだった。
姿かたちが変わるだけなら治らずともそれはそれで構わなかったが、体温まで魚のようになったなまえに素手で触れられなくなったことはいささか残念だった。水と変わらぬ冷たさになったなまえの肌に長く触れれば、その薄透明の肌が火傷で爛れるのだ。


ごぽりと。気泡が上がる音に、俺は歴史書に落としていた視線を上げた。
水槽の壁面に掌をあてて、なまえが微笑んでいる。その唇が小さく動くのを見とめて、俺は座っていた椅子から立ち上がる。
かつかつと沓の底を鳴らして、俺は水槽のへりへと続く階段を上る。

「紅炎様、」

鰭をくゆらせてぷかりと浮かんできたなまえが俺を見上げて笑う。夜色の髪が濡れて頬に貼り付き、さらに色の薄くなった肌から青い血管が透けている。まるで生きているものではないような印象に、俺はそっと片膝をついてその髪の一房を掬った。ひたり、と掌が濡れる感触。ぽたりと、髪に含まれた水が雫となって水面に落ちる。

「冷たい、ですか?」

そう、なまえが問うてくる。静かな目が俺を見つめて、ぱちりと一度だけ瞬いた。

「冷たいな」

俺はそう答えて、手の中の濡れた髪を弄んだ。なまえは水槽の縁に手をかけて、それを見遣る。
やがてするりと細い指が伸びて、俺の衣の裾を撫でた。水を吸った布地の色がじわりと濃くなるのを見ながら、しかしそんなことを咎めるほど情の沸かぬ相手ではない。

「…そう、ですか」

微笑むなまえの声が、少し悲しげに聞こえたのは気のせいだっただろうか。その思いはしかし、手の甲に添えられた冷たい感触にかき消される。

「……なまえ、熱いだろう」

なまえの掌が自分の手に添えられているのを見て、ふと眉を顰めた。接する水とそう変わらぬ体温のなまえにとって、俺の体温はあまりに高い。その事実を苦々しく思いながらも、なまえの手を払いのけない辺り、俺は呆れるほどなまえに甘い。

「手が爛れる、離せ」

目を細めての俺の言葉に、なまえは眉尻を下げて困ったような顔をした。
その指の間に、薄く水掻きのような膜が張り始めていることに気付いて、俺は内心舌打ちをする。止められぬ人外化は、一体何処まで続くのか。

「紅炎様、水の中はとても静かなんです」

静かに、なまえが言う。するすると、なまえの手が俺の腕に伸びた。両腕を俺の腕に絡めるように、なまえはそっとその冷たい体を俺に寄せる。長く俺に触れていた掌は、既に俺の体温を吸って温くなっていた。

「とてもつらいの。紅炎様に触れられないのは、悲しくて、寂しくて」

か細く囁くなまえの声が、俺の耳朶を緩く撫でる。

「好きなのに、触れないのは寂しいのです。紅炎様、紅炎さま」

やがてなまえの腕は、腕から肩を伝って首に絡んだ。俺を支えにして、なまえの体は腰までしか水面に浸かっていない。

「なまえ、」

俺が名を呼ぶと、なまえは至極嬉しそうに微笑んだ。とろりと、とろけるような微笑が、俺に向けられる。

「紅炎様、水の中に一人では、寂しいのです」





とぷん。







響いた水音は、大の大人が落ちたにしては小さすぎるものだった。その後に水しぶきが上がったのかどうかは、よく知らない。
なまえの腕に抱かれて沈む水の中は、言う通り、あまりに静かだった。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -