エリオハプト王国外交長官ナルメス・ティティには姉がいる。姉というのは弟に対して案外あけっぴろげなもので、まあお互い三十を越した歳では今更そんなこともないが、若い頃は恋愛相談などをされた記憶もある。しかしそんなナルメスにも、今日執務室を訪れた相談者には頭を抱えた。

「王が、私の胸とか、ふっ…太股とか触って来るんです…!」

王宮魔導師なまえ。当代エリオハプト王アールマカン・アメン・ラー陛下の健康管理と医療ケアの一切を取り仕切る、王の側近中の側近。
ナルメスの終業時間を狙ってこの執務室を訪れた彼女は、来客用にと設えられた椅子に遠慮がちに座っている。もっと深く腰掛けては、と言っても、彼女はとんでもないと言うように赤い顔をぶんぶんと左右に振る。

「王も少し世俗に疎いお方だからね…やめてほしいと頼んでみては?」
「そ、そう申し上げたんです、けど。王、王は、我が我のものに触れて何が悪い、とおっしゃって…」

返答を聞いて、ナルメスは思わず大きなため息をついた。王ももう少し女性の扱いが達者になっても良いような年齢だが、彼の興味は幼少のみぎりより完全に政にのみ傾けられている。いわば子供が意中の相手を執拗に構いに行くのに近い。
なまえは若いながらレーム帝国の元司祭であり、マグノシュタット学院への留学経験もある才媛であるが、その性状は大変に内気である。王宮の侍女たちにも「あの子ちょっと変よね」と噂され、宴などではぽつねんと壁の花を決め込もうとしては王に呼ばれて傍に無言で侍っているという王宮ぼっちぶり。彼女がどもらずにまともに話せるのは王の蛇だけ…というのは王宮でも有名な話だった。
そんな彼女ではあるが、実はアールマカン王の寵愛――と言うよりは偏愛――を一身に受けているのであった。ナルメスも何故このような社会不適合者に…と思ったことも一度ならずあったのだが、王とは言え個人の好みに文句も言えまい。最近では構えば小動物のようにちょこちょこと反応するのが面白いのだろうかなどと考察するくらいのものである。

「君もそれで引き下がってしまうから悪いんじゃないか?王も子供ではないのだし、きっと強く拒否すれば…」
「しっ、して、みたのですが」
「…ですが?」
「あの、お、思いの外、ししししょんぼりとされてしまって…か、可哀想になって、それで、あの」

――つい、抱きしめてしまったのだという。

「子供か」
「へっ…?」
「いいや、何でもない」

思わず口をついて出た突っ込みは、なまえには聞こえなかったものらしい。何にしろ、それで王のセクハラ――本人にしてみればスキンシップのつもりなのだろうが――が止むわけがない。言ってみればこれは子供の恋愛なのだ。王もなまえもいい歳なのだが、それ相応の恋愛経験が備わっていないことと、何より本人たちが素養として恋愛に向いていないことが原因なのだろう。

「嫌なら少しくらい可哀想でも仏心など出さないことだよ。年頃の女性には言いにくいことだが、妊娠でもしてしまったら事だ」

王宮内の派閥争いをおさめたアールマカン王が玉座に着いて長いが、それでも再燃の火種が完全になくなったわけではないのだ。王弟が王位継承を厭うて国外に退避している今、王の対抗馬を擁立することは難しいが、御子が出来たとなればそれはまた難しい問題になる。ゆくゆくは後継者問題について考えなければならないが、それは今ではない。

「にんっ、し…」

ぼうっ、と音がしそうなくらい勢いよく顔を赤らめた彼女は、その顔を両手で覆って俯く。
やはり年頃の娘には良くない話題だったろうかとナルメスが反省しかけた時、彼はなまえがぽそぽそと小さな声で何事かを呟いているのに気が付く。
耳をそばだててみれば、「そんな、私が王の子供をなんて…王…お、おおおお王とわた、わたしがそんなっ…!??」などという声が聞こえる。……どうやら、いらぬ心配だったらしい。
つまりは、犬も食わない何とやら、なのである。ナルメスの腕に巻き付いた小さな蛇がちろりと下を翻らせた。

「じゃあ、もう少し君が王に構って差し上げればいいんじゃないか?」

ナルメスがため息とともに言うと、なまえが俯けていた顔をがばっと上げて彼を見る。その目には既に涙の膜が張って、今にもこぼれそうだ。
ナルメスはそれを気にしないことにして話を進める。なまえが恥ずかしさで涙目になるのはままあることなのだ。

「王は君に見てほしくてそんなことをなさるんだろう。なら、君がもっと積極的になればいいだけの話だ」

君も王のことは憎からず想っているわけであるようだし。
そう言葉を締めくくって、ナルメスはなまえに笑いかける。なまえは真っ赤な顔で身を乗り出すようにしてナルメスを見つめたまま、ただひたすら固まっていた。
脳内の恐慌を必死に処理しているらしい彼女に、ナルメスはつい吹き出しそうになる。他のことに気を配るような余裕のないなまえには聞こえていないであろう、外交長官執務室に向かってくる高貴な御仁の足音と、大蛇がそれに従って這いずる音に耳を傾けながら。

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