丸く切り取られた空を見上げている。湿った穴の底ではそれが唯一の娯楽であって、私は限られた空を流れていく雲を何とはなしに眺めながら、長い長い時間を潰していた。
 どうして私がこのような事態に陥っているのかと言えば、まぁ穴と言えば大体お分かりであろう、忍術学園が誇る天才トラパー、綾部喜八郎のおかげである。くのいち教室が午後休みだからと昼休みに学園内をぶらぶらしていたところ、見事に奴の掘った蛸壺に落ちてしまったのである。出ようにも鉤縄などは持っていなかったし、苦無を使おうにも土の壁には絶妙な傾斜がかかっていてそれも難しい。そうこうしているうちに始業の鐘も鳴ってしまって、授業中の校舎裏になど誰も来ようはずがなかった。というわけで、私はこうして無為に時間を潰している訳なのである。授業が終わればきっと誰かが通りかかることもあるだろうから、機を見て声を掛ければいい。
 それにしても、何もしていない時間がこんなにも苦痛だとはついぞ思いもしなかった。あんまり暇だったので、私は雲を眺める作業を中断してひとりしりとりを始めた。しりとり、りんご、ごみ、みず、ずぼし。ふふん、ひとりで無限の時間を潰せる女の称号を与えてくれてもいいのよ。なんだが妙に得意な気持ちになりながら、りから始まる言葉を考えていると、ふいに空が欠けた。
 それは別に世界の終わりを示す比喩的表現とかでは全くなく、単に穴の縁から誰かが私のいる穴の中を覗いただけの話である。逆光になっているので顔の造作なんかはよくわからないが、穴の中にいる私を見つけたそのひとはしゃがみこんだようだった。

「どうしたんだい、君。なぜこんなところに?」

 私がぽかんと影を見上げていると、男のひとの声が降ってきた。なぜって落ちたからここにいるに決まってんじゃねぇかちったぁ頭働かせろすかぽんたん、と暴言を吐くよりも先に、私の目の前に縄が降りてきた。見上げると、影がそれを穴の中に垂らしていることが分かる。私がぼんやりと縄を掴むと、しっかり捕まっていなさい、と声が降ってきた。ほとんど同時に、私の身体は上に引き上げられる。
 うわぁ、と感嘆の声を上げている間に、私の身体は無事地上へと戻ってきた。吃驚して顔を上げると、大丈夫?と声がかかる。
 もう影ではなくなったその人は、私に向かって綺麗に微笑んだ。





「山田利吉さん」
「そう!山田先生の息子さんなんだってさ!」
「それは知ってるけど」

 そりゃもう随分と興味なさげに踏み鋤で地面を割った喜八郎に、私は滔々と語ってやった。木陰に座る私の隣では、滝夜叉丸がこれまた興味なさげに戦輪を磨いている。こいつら、もっと私の話に乗ってくれても良くないか。興味が無いことが丸わかりすぎていっそ爽やかだ。

「良かった良かった。なまえくらいの優秀なくのたまが引っ掛かってくれたなら、私もタコ江ちゃんを掘った甲斐があったってものだよ」
「タコ江ちゃん?」
「あの蛸壺の名前。穴の中盤から外にかけての壁の傾斜が上手く出来た」

 間延びしたような声で自慢げに言う喜八郎を些か憎らしく感じながらも、私は溜め息を吐くに留めてやった。まぁ喜八郎のタコ江ちゃんとやらが無ければ私は利吉さんと出会えていなかったのだ、感謝してやっても良いだろう。

「それで、利吉さんに助けてもらったから何だと言うのだ。まさかお前が利吉さんに惚れたとかそんな馬鹿な話はあるまい?」
「小指折るぞ滝夜叉丸」

 ふふんと笑って失礼きわまりない発言をした滝夜叉丸を睨むと、理解できないという目で見られた。なんだその目。イラッとするぞ。

「そんなまさか…なまえが恋だと…?」

 呆然と呟く滝夜叉丸に中指を立てて見せると、私は喜八郎の方に向き直った。するとあろうことか、喜八郎までも私を信じがたいものを見るような目で見ている。あれ?こいつら私の友達だよね?何か泣きそう。

「なまえどうしたの?頭でも打ったの?」
「何と嘆かわしい…自分に一片の魅力もないことに気付かないとは…」

 口々に心配されたり嘆かれたりしたが、何故かちっとも嬉しくない。何だこいつら、私をイラつかせる天才か。そうなのか。普段から嫌みなくらい勉強が出来る奴等だとは思っていたが、こんなところにも才能の片鱗を見せるとは。とりあえずそのお綺麗な顔ボコボコにしてやろうか。

「お前らの考えてることは大体分かったよ、失礼な奴らめ!綺麗になって見返してやるんだからな!後で吠え面かくなよ!」

 私は立ち上がるとそう言い残して、その場から走り去った。言い返す言葉が見付からなかったとか、そんなことは全くない。全然ない。
 全速力で走り去った私は、残された2人が悩ましげに溜め息を吐いたことには気づかなかった。


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