竹谷八左ヱ門は悩んでいた。
 それはもう、明日世界が終わるとしてもこれほど悩むかどうか、という悩み加減である。いや、もし世界が明日終わるのならば、竹谷ひとりの力ではどうにもできないだろうから、やはり今この瞬間の方が余程悩んでいるに違いない。
 何にしろ、竹谷八左ヱ門はひとり思い悩んでいた。うんうんと唸る姿は滑稽としか言えなかったが、いかんせん彼にはその事を気にする余裕がない。
 だって今日は朝から彼女の顔がまともに見られないのだ。近所の悪ガキどもしか訪れないこの廃れた伊賀崎爬虫類店で、唯一の癒しである一人娘の彼女の顔を。あろうことか、見られないなんて。
 竹谷八左ヱ門は悩んでいた。





 ことの始まりはそう、昨日尾浜家で行われた徹夜のゲーム大会である。まぁゲーム大会と銘打っているとはいえ、一晩中ゲームをやって時間を潰すことも出来ず、段々と悪ふざけも込んできたわけではあるが。
 カーレースやら格闘ものやら、至極豊かなバリエーションをもつ尾浜家のゲーム類も、飽きっぽい鉢屋をはじめとした4人の男子にどんどん飽きられていった。尤も、唯一久々知だけは、携帯ゲーム機を睨み付けてRPGのレベル上げに一晩中勤しんでいたが。
 いやとにかく、飽きはじめていたのである。とはいえ、一旦ゲーム大会という名目で集まった以上、途中で寝てしまうというのはどうにも据わりが悪い。そういった下らない意地だけは持ち合わせた連中なのである。
 そんなわけで。対戦ゲームには漏れなく、敗者に罰ゲームが課せられることになったのである。もちろん盛大に迷惑な、鉢屋のいたずら心によって。

 まあ結論から言えば、竹谷は負けた。どこかの先輩の不運が移ったのかと思われるほどの大敗であった。いっそ清々しい。
 その末に竹谷に課せられた罰ゲームは、「コンビニでコンドームを買ってくる」というものだった。馬鹿である。深夜のテンションとは往々にして、脱力するくらい馬鹿馬鹿しい。
 それくらいならまだ問題はなかったのだ。コンビニでコンドームを買う輩もそれはまぁ少数ながらいるだろうし、気になるなら二度とそのコンビニに行かなければいい話だ。それよりも、竹谷が問題視していたのは。
 白み始めたとはいえまだ暗い夜を煌々と照らすコンビニに入った途端。竹谷くん!と可愛らしい声が自分の名を呼んだことなのである。

「竹谷くんお買いもの?」
「……なまえ、さん」

 カウンターの向こうで微笑む彼女は愛らしかった。竹谷だって、今の自分の状況がなければデレデレと頬をゆるめた事だろう。しかし実際に彼が聞いたのは、緩みきった自身の声ではなく、サーッと下がっていく自分の血の音だった。
 バイト先の看板娘(しかも自分の想い人)がレジを預かるコンビニで、避妊具を買う自分。最低である。もし罰ゲームであると説明したところで、避妊具を購入するという事実が消えるわけもない。それどころか、女々しく言い訳をする男であると、彼女に認識されるかもしれないのだ。
 知り合いに避妊具の会計を頼む男か、ひたすら言い訳を連ねて避妊具を買っていく男か。レッテルとしてはどちらが軽いものか。
 ……悩んだ末に、竹谷は。




「で、言い訳もせず買ったんですか」
「……はい」
「他のコンビニに走るという選択肢はなかったんですか」
「……ちょっと、思い付かなかったです」
「買わないという選択肢は」
「……いやちょっと、俺もパニクってまして」

 そして翌日、竹谷は伊賀崎孫兵の前で縮こまっていた。伊賀崎爬虫類店に出勤するなり、なまえの年子の弟である孫兵に相談するあたり、今もパニックから抜け出せていない感がなくもない。

「ちょっと俄かには信じられない勢いで引いています。人の姉に何売らせてんですか」
「返す言葉もございません…」

 もはや気持ちは土下座である。身長差のせいで竹谷が孫兵を見下ろす形になってはいるが、心中では完全に逆である。繁華街の裏道によく落ちているゲル状の何かを見るような伊賀崎の目に、竹谷の心は折れそうだった。

「姉さんは明け方にバイトから帰ってきてまだ寝てますが、起きてきても変なことしないでくださいよ」
「変なことってなんだよ!しねぇよ!」
「あっあの、竹谷くん!」

 血相を変えた竹谷が孫兵を怒鳴り付けたとき、彼の背後から聞き慣れた声が響いた。

「っ、なまえさん…」

 真っ青な顔をした竹谷が恐る恐る振り返ると、そこには件のなまえが立っていた。今まで寝ていたとは思えないほどきちんとした身なりをしていて、これは確実に孫兵の姉だわ、と竹谷は場違いなことを考えた。

「あのね、竹谷くん。昨日、っていうか今朝早くのことなんだけど」
「ぅえっ!?えっ、はあ……」

 まさかなまえからその話題が降られるとは思っていなかった竹谷は、頓狂な声を上げる。顔を赤らめるなまえと青ざめる竹谷を見て、ただ孫兵だけが平素の顔色で死んだ目を竹谷に向けていた。

「あの、こういうこと言うのは差し出がましいかもしれないんだけどね、あの…彼女大切にしてね!!」

 もはや絶叫するように言って、なまえは走って奥に引っ込んでしまった。

「……彼女…?」
「避妊具買ったから彼女と使うんだと思われたんじゃないですか」

 孫兵の一言に、竹谷が泣き出しそうな顔を向ける。こっち見んなよと小声で悪態をついて、孫兵は店の奥を指差した。

「言い訳してきたらいいんじゃないですか。姉さんって思い込み激しい割には単純だから」
「……い、いいのか?」
「は?何がですか。いくらドン引きしてるからって、人の恋路を邪魔するような狭量な男じゃないですよ、僕は」

 とん、と孫兵が背中を叩くと、竹谷が店の奥にどたばたと上がっていく。店内に残された孫兵は、レジの奥に飾ってあるマムシのジュンコに笑いかけた。

「全く、2人とも世話が焼けるよねぇジュンコ」

 竹谷の歓声が店先にまで届くのに、あと何分あるだろうか。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -