鬼道と春奈

トントントンと調子よく書類の端を机で整える。ふぅー、と一区切りついて兄さんは口を開いた。

「今度の休み、どこかに出掛けないか?」

うっすらと笑っている口から、そんな言葉が飛び出すなんて思いもしなかったから眼鏡を落としてしまった。

「本気で言っているの?」

私がそう問いかけると兄さんは、ああ、と短く言ってまた書類に目を通し始めたから私は呆れた。
また勝手になんでもかんでも決めてしまうんだから。でも、兄さんの頼みときたら断れないのがこの私だ。もうブラコンはやめたつもりだったのだけど心の底ではまだ兄さんの存在が大きい。

「ねえ兄さん。私達、噂されてるみたいなんだけど、知ってる?」
「......知らないが、別に知りたいとも思わないな」
「あら、そうなの?」

私はプライベート以外で「兄さん」と呼ぶことはまずなく、コーチだとか監督だとか呼んでいるから私達のことを兄妹だと知っている先生はあまりいないのよね。私が兄さんとよく話しているから、私達のことを「恋人」だと思っている人が結構いる。でも、あまり気にならないしそれほどの仲に見えるほど仲が良いってことだから私は嬉しい。だからちょっとくるくるの髪の毛をいじって少し笑って誤魔化しているようにしている。そうすれば勘違いをして本当にそう思ってくれるはずだから。

「鬼道監督」
「...急にどうしたんだ」

兄さんの言いたいことは分かる。分かっている。プライベートはそんな呼び方をしなくてもいいじゃないかって言いたいんでしょう?
兄さんは驚いていて、あとそれと何か思い悩んでいるようだった。

「私、鬼道監督と一緒にお出掛けをしたいです」
「春奈...?俺はお前の言っていることがよく分からない」
「...鬼道監督、私、兄妹としてじゃなくて、監督と顧問という関係がいいんです」

兄さんは私の言っていることの意味が分かったのか持っていた書類をバサバサと音をたえてて床に落とした。
私が書類を拾うときちらりと兄さんを見た。サングラス越しだったけれど兄の怒っている表情が分かった。

「......春奈。俺たちから兄妹という関係がなくなればあとは何が残る?小さい頃の一緒に写っていた写真は無いし、育ってきた家庭は違う。...何も、残らないんだ」
「そうですね、監督。でも......そのほうが良いです。...兄妹という関係がないほうが私は良いです」
「お前は、どうしてそう思えるんだ...?」

私はサングラスで見えない目を見つめた。兄さんもまた私を見ていただろう。
決心したはずのなに、言葉がのどにつまって出てこない。自分自身でそれを止めろと言っているようで私は気持ちがぐるぐるして気持ち悪くなった。自分がその境界線を越えちゃダメだと分かっている。でも、もうこの気持ちは抑えられない。
言葉を発して伝えようとするけれどもパクパクと口が動くだけで音が出てこない。そしてぐにゃりと視界が歪み始めた。

「春奈」

倒れそうになった私を兄さんが支えてくれた。兄さんは私をぎゅっとした。

「春奈...もう分かったから...それ以上言うな......」

私の口から言わないと。そうしないと絶対後悔してしまう。不思議なことにさっきまで出てこなかった声が今は出てくる。
兄さんに抱かれたまま一呼吸ついた。

「.....す...きです......」

声が出てきたと思ったら、今度は涙が嵐のように訪れてきた。止まらない、どうしても止まらない。
ずっと兄さんが好きだった。いつからだったかは正確には覚えていないけど、長年もの間兄さんを男として好きだった。でも、それは自分に流れている兄と同じ血がそれを許さなかった。その繋がりが憎かった。自分と兄さんはずっと一緒にくらしていないんだから兄妹ではないんだと言い聞かせても許してもらえなかった。兄妹じゃなかったら、どんなに良かったものか。

「春奈...」
「...私、監督がほしい......。ほしいんです...」
「............最後に聞くぞ。兄妹としての繋がりが無くなってしまっても、後悔しないか」

私はためらいもなく大きく何度も頷いた。頷くたびに兄さんの私を抱き締める力が強くなる。

「俺もお前が欲しかった...。春奈...いや、音無...」

音無、と言われてどきりと心臓が跳び跳ねた。これでようやく本当の音無春奈になれた気がした。私は初めから音無家に産まれたことになり音無春奈として新たに生まれ変わった。サングラスの先の見知らぬ目を探して私は鬼道監督と再びつぶやいた。




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