私は帰宅中路地の道端に佇んでいた。雨も、吹き付ける風も、地面に吸い付いているかのように動かなくなってしまった足も、どうでもよかった。このアスファルトに染み込んで消えてしまう雨のように、私も消えてしまえればいいのに、と思った。

先程、学校を出る前にある男の人に呼び止められた。それはずっと好きだった原田先生だった。長身のすらっとした身なりに綺麗な笑顔。何より優しくて話せば話すほど好きという気持ちは強くなっていって苦しいほどだった。話をしていたらその気持ちが溢れてきて、我慢できなくなって、だから告白をした。返事は一言、すまない、という言葉だけだった。私はその場から駆け出して学校を飛び出していた。


長い間雨に曝されていた身体は冷えきって、髪も乱れていた。掻き分けるようにどけると、その隙間から人が近付いてくるのがわかった。今は誰にも会いたくなどなかった。同時に思考が疲れきってしまって何も考えていなかった。ただ、そのまま立ち尽くしていた。近付いてくるにつれて、視界が悪くなっていた私にもようやくその人の姿が見えてきた。髪、服装、顔。そして、その場にいたことを物凄く後悔した。
私にも近付いてきていたのは、先程私がフられたばかりの、原田先生だった。神様は、私の何が気に入らなかったのだろう。でなければ、神様なんていないでほしい。今更まだこんな仕打ちをする神様を許せそうもなかったから。
原田先生は私の前まで来ると立ち止まった。表情は読み取れなかったけれど、楽しいお話が始まるわけではないのは、確かだった。


「こんなところで、何してるんだ?」


風邪ひいちまうだろ、と溜息をついた。


「先生に、関係ないよ」


その途端原田先生の顔は少し引き攣ったような気がした。一瞬黙ってしまったのを見て、私は原田先生から離れるように歩き出そうとした。しかし一拍おいて腕を捕まれてしまう。


「っ、‥なんか用ですか?」

「‥その、さっきの事なんだが‥‥」

「何?これで成績下げられちゃ困るから慰めとこうって?」

「な、そういうわけじゃ‥」

「じゃあ何なんですか?先生、それ逆に傷を広げてるってわかる?」


あぁ、先生はモテるからそんな気持ちわかんないか。なんて自嘲じみた笑みを浮かべたら、原田先生は驚いたように目を見開いた。こんなこと女の人に言われたの初めて?態度が違くて幻滅しちゃった?でも今の私には取り繕おうとか、そんな気持ちは一切残っていなかった。追い掛けてきたのかたまたま帰り道だったのかは知らないけれど、ここに現れて私に話し掛けたことに頭にきていた。放っておいて欲しかった。


「先生にわかりやすいように言ってあげるよ」

「‥‥‥みょうじ、」

「振っておいて優しくしないでください。同情されるのよりも質悪いよ?だから、もう私に話し掛けないでください。」

「‥‥‥‥わかった」


今度こそ、原田先生は立ち去ってしまうのだとわかった。せめてここで少し我慢してこれからも話せるくらいの位置にいればいいのに、私にはそれが出来なかった。でも、もうどうでもよかった。
ぼんやりと先生の背中を眺めながら、やっぱり私への思いなんかそんなものだったんだということを実感していた。胸の奥がずきずきと痛んで眉を潜めた。目からは涙が雨と混じり合うように溢れていた。息苦しくて、もうこのまま死んでしまうのかと思った。
気がついたら、地面に膝をついていた。全身から力が抜けて気怠かった。どうせ全身濡れて鉛のように冷えきって動かなくなっていたから、このまま少しここで休憩していこうと思った。しかし、その考えをいつまでも考えていることは出来なかった。何故なら、何かによって身体を引き上げられたからだ。
私は面倒臭そうに身体を支えている人を見た。そして息を飲んだ。その人は、先程別れたはずの原田先生だった。


「‥‥なに?」

「振るとか振られるとか、そんなのの前に、俺はお前の教師なんだよ。お前がこの学校にいる限りはな」

「心配していただかなくても、これから家に帰るところですけど」

「なぁ、みょうじ」

「今度は何ですか?」

「頼むから、話を聞いてくれないか?」

「‥‥‥」

「なぁ、」

「‥‥‥しようって?」

「何だ?」

「話をするだけして自分だけすっきりしようって?なら、いいですよ、聞きますから早く話してください」


原田先生はとても悲しそうな顔をしていた。でも、私の方が何倍も辛い想いしてるんだよ?それをわかっているの?


「‥‥‥とりあえず、車とってきたから、乗ってくれ」

「‥‥‥‥」

「このままじゃ、本当に風邪ひいちまう」


黙っていたら、不安そうな顔をされて、なんだか面倒臭くなってしまった。早く話を聞いてこんなこと早くやめてしまいたい。そう思ってこくりと頷いたあと、原田先生についていった。
少し歩いたところに、原田先生のものらしい車が見えた。先生はドアをあけてくれて、私はそこに乗り込んだ。


「一応タオルとかは敷いてあるけど、髪とかは自分で噴けよ」

「‥‥‥」

「‥‥なぁ、頼むから」


私はタオルに手を伸ばした。くしゃくしゃと適当に拭いたあと、先生に渡されたココアの缶を握りしめるようにして飲んだ。
そのまま、少し時間が経った。原田先生は何かを考えているような、視点の定まらない目でどこかを見ていた。私は持っていた缶にくしゃりと力を入れた。


「‥‥最後まで、聞いてほしいんだが」

「そのために来たんでしょ?」

「そういう、自虐的な態度を取るなよ」

「言ったでしょ?原田先生には関係ない」


原田先生は黙ってしまったあと、溜息をついた。そこには色々なものが込められているかのように重さが感じられた。


「お前を傷つけちまったのは‥‥悪かったと思ってる」

「だからそういう‥」

「みょうじは、お前に優しくして話しかけることをするな、と言ったけどな‥‥‥これは、お前のためじゃない、俺の勝手な我が儘なんだよ」

「意味わからないんだけど」

「‥さっきも言ったよな?俺はお前がこの学校にいる限り、何があってもお前の教師なんだよ‥!」

「‥だから、なんだっていうの?」

「みょうじの告白は受けることが出来ないんだよ、どうあがいてもな」

「‥‥何言ってるの?どっちみち私の事なんか受け入れられないくせに」

「そんな事ねぇよ」

「‥っだから、そういう気を持たせるような発言をしないでって言ってるでしょ?」

「みょうじは、俺のことを好きでいてくれたんだよな?」

「別にもう、原田先生の事なんか‥‥‥」

「告って、俺が返事するまで、好きでいてくれたんだろ?」

「何言ってるの‥‥わけわかんないよ‥」

「勝手な我が儘だって、わかってんだよ‥‥だが、もう、お前の泣きそうな顔は見たくねぇんだ」

「原田先生が原因じゃん」

「あぁ、そうだな。だから、俺が悪いことを踏まえて、1つだけ言わせてくれ」

「なにを‥‥?」

「みょうじが卒業するまで、待っててほしい」

「‥‥な、にそれ‥‥どういう、意味?」

「俺もみょうじの事が好きなんだよ。どうしてもこのまま放っておけなかったんだよ‥!」

「え‥‥先生何言ってるの?そういう冗談、」

「冗談なんかじゃねぇ!」

「‥っ」

「いや、悪い‥‥俺にはやっぱり教師として断る以外の術を思い付かなかったんだよ。‥だから、俺から云わせてくれ」

「‥‥‥先生は、酷いよ」

「‥あぁ」

「やっと、解放されると思ったのに、こんな‥‥」


最後まで言い終えることはなかった。堰を切ったように溢れてきた涙が喉に支えて唇を引き結んだ。それを見て私の頭乗せられた原田先生の手で更に涙が溢れ、口からは呻き声が漏れた。

「好きだよ」



もう愛することに恐怖を感じてただ静かに息を潜める蝶の如く凍てついた心を焦がすように

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