これは俺たちがまだ、咲良ちゃんちに行く前のはなし。まだ俺たちがただのソフトウェアで、臨也さんの家のパソコンの中でいろいろいじくられていたときのこと。
俺は、オリジナルの影響なのかなんなのか、臨也さんのことはあまり好きではなかった。だから彼に起動されるたびひどく気が重かった。俺と同じ時期に作られたみかてんが、そのたびに心配そうに俺を見るのも嫌だった。こいつはいろいろと気にしすぎるところがあるから、俺がしっかりしてやらないといけないのに。
そういえば、津軽さんのオリジナルは俺と同じく臨也さんのことが大嫌いなはずなのに、どういうわけか津軽さん自身はそうでもなさそうだった。臨也さんがそう作ったのだろうか。彼も津軽を気に入って、よく呼び出していた気がする。臨也さんってもしかして、
『ねえリンダ』
『ん?』
みかてんが俺のジャケットを引っ張った。サイズの合ってなさそうな大きなサングラスを一生懸命直しながら、彼は画面の向こう側を指す。
女の子が一人、俺たちを覗き込んでいた。見たことのない子だ。波江さんではない。俺たちを指差し、臨也さんに何か言っている。いつの間に来たんだろう。臨也さんは苦笑いしながら彼女と話していた。彼女かと思ったけれど、どうやら違うらしい。ああそっか。この子は臨也さんの【信者】だ。
楽しそうに笑う彼女は一生懸命俺たちに何か話しかけている。でも、こっちには何を言っているか聞こえないよ。画面一枚挟んだこの距離がもどかしい。ぺたりとそこに手をついて彼女を見上げる。
『リンダ?』
『……かわいい子だなー』
『…………』
また病気が出た、とみかてんはため息をつく。失礼な、病気などではない。かわいい女の子を愛でることの何が悪いっ。俺は波江さんも、臨也さんの妹たちも、罪歌の母のあの子も大好きだぞっ!
主張するとみかてんは、はいはいわかったわかってるよ、リンダは女の子が大好きなんだよねーなんて言ってどっかに行ってしまった。あいつは真面目だから、声の調整にでもいったんだろう。俺はそんなんしなくてもうたうまだからいーもんね。
ふん、と鼻を鳴らしまた彼女を見上げる。いつか、津軽さんみたいに外を歩き回れるようになったら声をかけてみたいな。名前を聞いて、人間とソフトウェアだから恋人にはなれないだろうけど、友達くらいにはなりたいな。君は俺を好いてくれるだろうか。笑いかけてくれるだろうか。
作り物の心臓がドキドキと音をたてている気がする。画面をなぞる細い指。彼女がそこにいる間、飽きることなく俺は彼女を見つめていた。時間が経つのも忘れて、戻ってきたみかてんに頭を小突かれても尚。
ずっと彼女を見つめていた。
「以上、俺の淡い一目惚れ初恋物語でした!」
「ふわぁ〜!リンダくん、そんなことがあったんだねぇ」
オレンジジュースを飲む俺の正面で、サイケが感心したような声をあげる。一番最初に作られたくせに、一番幼い性格の彼。最近やっと【恋愛】というものを学習したのか、今のマスターである咲良ちゃんとそういう仲になった、らしい。…………が、俺には二人の仲が以前と変わったようには見えない。最初からベタベタだったしな……
「ねぇねぇリンダくん、リンダくんはそのあとその子とは会ったの?」
「いんやー?その日以来彼女は臨也さんの部屋に来なかったし、俺とみかてんも外に出る間もなくここに来たからな」
「じゃあ今なら会えるんじゃないか?」
お茶をすすった津軽さんが言う。簡単に言ってくれるけれど、俺はあの子の名前も知らないし、どこにいるかもわからない。居場所を知る手がかりは臨也さんくらいしかないし、正直俺は臨也さんにはあまり会いたくない。
せめて名前だけでも知りたかったな、と思う。あの子は今どこで、何をしているのだろう。まだ臨也さんの信者をやっているのだろうか。
「ただいまー」
「あっ、咲良ちゃん帰ってきたあ!おかえりなさーい!」
玄関から聞こえた声に、立ち上がったサイケがパタパタと走っていく。幸せそうな顔、我が兄ながらかわいらしい。臨也さんとは違って。
「リンダー?あなたにお客さまよー」
「ん?」
咲良ちゃんがサイケをひっつけてリビングに来る。サイケに隠れて見えないけれど、どうやら女の子みたいだ。この前散歩に行ったとき、みかてんとナンパしたあの子かな?それともコンビニに行ったときに声をかけたバイトの子だろうか。
「なんかね、臨也さんに言われてここに来たみたい」
「臨也さん?」
「そ。ああ安心してね。ちゃんと人間の女の子だから」
どうぞ、と咲良ちゃんがその【お客さま】を促す。
瞬間、時間がほんのちょっと止まって。
それからあの時のドキドキが蘇ってきた。
俯いて拳を握る。きっと顔は真っ赤だ。どうしよ、熱、冷まさないと。どっかでエラー起こしちゃう
「あの、えっと……こんにちは、はじめまして……じゃない、のかな、あの時……パソコンの中にいたんだよね?」
信じられないけど、と彼女は手をさしのべる。信じられないのはこっちの方だよ、あの人は何を考えているんだ。
「あなたとお友達になりたくて……、えっと、私の名前は―――」
ちらりと視界の端に映る、マスターとサイケの姿。俺も少しは望みを持っていいのかなぁ。握った手はあたたかかった。
(お嬢さん、一目惚れしましたボクとお付き合いしてください!もちろん結婚を前提に!)