学校帰り、紫陽花の花が咲いているのを見つけた。小雨の中でぼんやりと咲いてる青い花。
人んちの庭に咲いてるそれを、一番大きく咲いてた花を、バキッと折って走り出した。
「おかえりなさい、レン。雨、大丈夫だった?」
その人は今日も笑顔で迎えてくれた。ストライプのエプロンをかけて、掃除機を担いでいる。
ああ、また俺の部屋勝手に掃除したのかな。別にいいけど。やましいものなんて何もないし。
「……姉ちゃんが折り畳み傘、持たせてくれたから」
「そう」
役に立ってよかった、そう言った姉ちゃんは、俺の手に握られている紫陽花の花にようやく気づいたらしかった。どうしたの?と聞かれて、学校でもらった、なんて嘘をつく。じゃあ花瓶に挿しておこうか、姉ちゃんは俺の手から紫陽花を取った。
一瞬触れた手に、息がつまりそうになるくらい緊張した。ちょん、と少しだけ指先が触れただけなのに恐ろしいくらい熱を持っている。
「レン?どうかした?具合悪い?」
「な、なんでもない」
「そう?……でもなんか顔色悪いよ、やっぱり風邪でもひいたんじゃない?」
額に手を添えられる瞬間、びくっと震えて後ろに下がってしまった。姉ちゃんが驚いて、心配そうな顔をしている。
驚いたのは、こっちの方。いきなりあんなことされるなんて思ってなかった。姉ちゃんの体温の低い手が、俺によけられてしまった手が行き場をなくして宙をさまよう。
「だ、大丈夫だから。ちょっと疲れたから、部屋で寝てる」
いたたまれなくなってその場を逃げ出した。急いで階段を上がって部屋に駆け込む。
バタン、と閉じた扉に体重を預けて、ズルズルとその場に座り込んだ。
「なんなんだよ、もう……」
きれいに片付けられた部屋。机には白いチューリップ。昨日俺が学校からくすねてきたやつ。
姉ちゃんにあげたつもりが、やっぱりなぜか俺の部屋に飾られてる。きっとあの紫陽花も明日には俺の部屋に飾られるんだろう。
小さい頃からそうだった。姉ちゃんが大好きで、姉ちゃんに喜んでほしくて、学校帰りに花を摘んで彼女に渡しても。飾られるのは俺の部屋か玄関か。姉ちゃん自身が受け取ってくれたことなんか一度もなかった。
道端に咲いたたんぽぽも、花壇に咲いたチューリップも、街路樹の下に咲く雛菊も、全部、ぜんぶ。
「……ばっかみてー……」
ぐす、鼻をすすって膝に顔をうずめた。
どれくらいそうしてたんだろう。辺りは薄暗くなっていた。雨の音はさっきよりもひどくなっている。
姉ちゃん、どうしたかな。気になって部屋を出てみた。
階段を音もなく下りて、居間を覗いてみる。テーブルには冷めたお茶とチョコレート。姉ちゃんはソファーで寝ていた。
姉ちゃんの顔を見た途端に、ぐう、とお腹がなった。こんなシリアスな場面でも、人間の体は正直だ。ため息をついて、ご飯を作ってもらう為に姉ちゃんを起こすことにした。
「姉ちゃん、起きて。起きてよ」
肩を揺さぶる。だけど姉ちゃんは全然起きなくて、瞼はしっかり閉じられたまま。
そんな姉ちゃんを見てたら思いついた、きっと最悪の起こし方。おとぎ話では許されても現実では良しとされない。姉弟ならば尚更。
ぎしり、と軋むソファー。姉ちゃんの寝顔を見下ろす。親指で唇をなぞって、そのまま躊躇うことなく自分のそれと重ねた。
甘いなあ
舌先で味わっていると、微かな声がそこから漏れた。顔を上げると、寝起きのぼうっとした目が俺を見ている。
「………」
「おはよ」
「レン?」
「お腹、空いた」
「……ああ、そうだね、今、ご飯作るね」
俺を押し退けて、姉ちゃんは慌ててソファーを下りた。その後ろ姿を見つめてぐっと手を握りしめる。
いつになったら、気づいてもらえるんだろう。毎日渡す花の意味も、こっそりと送るキスの意味も。
だけどはっきりと言葉に出せない俺は、
この関係を壊せない俺は、
どうしようもない臆病者。