家に帰ってくるなり、マスターはばふっとベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。どうしたんだ、まさか具合が悪いんじゃと慌てて駆け寄り、彼女を仰向けにぐるっと回して額に手を当てる。
熱はないし顔色も悪いわけじゃない。それなら一体どうしたのか。
「レンくんマスターは疲れました……」
「マスター?」
「ちくしょう客商売だとはわかってても納得いかねーぜ!」
がばっと起き上がった彼女は俺を抱きしめてわんわん泣き出す。あーこりゃまたお客さん相手にドジったな、と彼女の背中をさすってやりながら予想。たまにこうやって泣いて帰ってきては甘えてくる、俺よりずっと年上なのにね。
「あーんもうあんな店やめてやるううう!!」
「はいはい。ミルクティー飲む?」
「うっうっ、本気にしてないでしょ!」
「マスターが飲まないなら俺一人で飲むけど」
「………飲む」
「おっけ」
ひらひら手を振りキッチンへ。棚から茶葉を出して二杯分。ポットに入れて隠し味にカモミールを少々。お湯を注いで、蒸らす時間は5分間。ひっくり返した砂時計の砂がさらさらと落ちるのを眺める。
待ってる間にミルクと砂糖を用意していたら、キッチンの陰からちょこっとマスターが顔を覗かせた。不安そうに俺をじーっと見ている。
「マスター?どうしたの?」
「いつもごめんね、レン」
「?」
たたた、と小走りで俺のところに来たマスターは、ぎゅうっと強く抱きついた。どうしたんだ、なんなんだ一体、と混乱する俺の耳に届くのは弱々しい声。
「なんかいっつも、ごめんね。気、使わせちゃって」
「べ、別にいいよ。どしたの、いきなり」
「ううー」
またべそべそと泣き出すマスターに、少し驚きながらもさっきのように背中を撫でる。なんか鼻水も垂れてるようだから、ティッシュで拭いてやった。子供か。
「マスターは、うぐ、自分が、ぶえ、情けないです……」
「そんなことないよ。普段は割としっかり者だからこれぐらいがちょうどいいよ」
「うわあああんレンくんいい子だねぇーッ!!」
号泣したマスターは俺の頭をわっしわっし撫でた。はいはい、と流してやりながらふと見れば、もう落ちきった砂時計の砂。
彼女をゆっくりと引き離して、ちょっと待っててね、と笑う。鼻をすすって頷く彼女、大人しくリビングに戻っていった。
温めたカップに注ぐ紅茶とミルク。角砂糖の入った生成り色のシュガーポットをトレイに乗せて自分もリビングへ。マスターはソファーに丸くなって座っていた。
「ほらマスター。ミルクティーだよ」
「ん……あ、カモミール入れたね。いい匂いする」
「やっぱりわかる?」
「わかりますー」
レンはいい子だね、ありがとう、とさっきよりも幾分か元気が出たらしいマスターは、笑ってまた俺の頭を撫でた。
いい子、か。
「はあ、レンのミルクティーで元気出たし、さっさと風呂入って寝よ」
「……一緒に寝てあげよっか?」
「そこまでしてもらわなくて大丈夫だよー」
でも、ありがとうね、と彼女はミルクティーを飲み干してカップをキッチンに持っていった。俺洗っておくから、と声をかけると、はーいと返事をしてばたばた部屋に戻ってく。
別に気を使ってあんなことを言ったわけじゃなくて。
「どーやったら脱いい子ができるのか……」
零れた言葉はミルクティーに隠れたカモミールフレーバーのよう。
ぬるくなったそれを一気に飲んで、まずは男として見てもらおう、と気合いを入れた。
(ってなわけで俺も一緒にお風呂入るよ、マスター)
(ギャアアア!!前!!前隠してください!!)