たとえば、この俺がわざわざ自ら現地に出向き、わざわざこの手で仕事を片付け、わざわざご丁寧に報告書を書いてやったとしよう。面倒とはいえ仕事だ、仕方がない。この書類を提出してしまえば今回の俺の仕事は終りだ、何日かぶりにゆっくり休むことができる。
きっちり細部まで、一つの書き漏らしもなく埋めた書類片手に、俺は執務室の扉を開けた。
そういう日に限って、ここのドンは女を連れて逃亡を謀る。
「〜〜〜〜〜っ……」
ぐしゃり、と手の中で書類が潰れた。さっきすれ違った獄寺が俺と目を合わせなかったのはこういうことか。なめやがってあの馬鹿生徒。
腹立つから部屋中蜂の巣にしてやろうか、と懐に手を伸ばす。すると、見計らったかのように部屋の扉がノックされた。
「あいつならいねぇぞ」
「え?」
ガチャ、と扉を開け顔を出したのは、案の定俺の同僚だった。確か彼女も任を与えられ数日前から屋敷を離れていたはずだ。
黒いでかい目をきょとんとさせながら、室内をきょろきょろ見回す。そして小さい声で「いない……」と呟いた(だからそう言ったじゃないか)。
「また逃げたのかあ」
「女連れてな」
「ははは」
ムカつく、帰ってきたら蜂の巣にしてやる、そう言う俺に彼女は、まあまあと苦笑いしてみせた。
ぐしゃぐしゃになってしまった報告書を丁寧に伸ばし、彼女が持っていた書類を上に重ねる。更にその上に『今度逃げたらブッ殺す』と書いた紙を置いて、俺とゆめこは執務室を後にした。あの紙を目にしたドンは、きっと青くなって謝りに来ることだろう。逃亡癖は治らないとは思うが。
さて、思えばここのところ仕事や何やらで彼女とゆっくりする暇がなかった。ゆめこも同じことを考えていたのか、先程からちらちらとこちらを見ては目が合えばはにかんでくる。その様子に、えもいわれぬ何かを感じてしまうあたり、俺も末期なのだろうか。まさか自分がこんな感情を抱く日が訪れるとは思わなかった。
「…………」
「……へへへ」
「わかった喜べ俺が特別にエスプレッソを淹れてやる」
「やったー!」
両手をあげて素直に喜んだ彼女は、じゃあ自分はお茶菓子を用意すると軽い足取りで駆けていった。ボスの恋人が仕事が終わったらと、用意してくれていたそうだ。ボスと違って気の使える女である。
自分の立場を大いに利用してボンゴレからふんだくった金で買ったエスプレッソマシーン、香ばしい豆の香りに口笛を吹きながら椅子をひいた。燦々と降る太陽の光が眩しいテラスは、ファミリーにとってお気に入りのスポットだ。眼下には彼女が丹精込めて育てた白いバラの木が広がる。
頬杖をつきながら茶菓子の到着を待っていると、鼻歌と一緒にテラスの扉が開いた。ゆめこがうれしそうに笑いながらクッキーの並ぶ白いプレートをテーブルに置く。
「マーブルチョコチップクッキーだよー」
「ほぉ」
「エスプレッソまだ?まだ?」
「今淹れる」
カップに注いだそれをゆめこに渡して、二人で束の間のコーヒータイム。頭の中では、帰ってきた奴らにどう説教とペナルティを与えようか考えている。
「10代目も、ちゃんと仕事してくれたら一緒にお茶できたのにね」
「そうだな」
「……リボーンさんや」
「あん?」
「誰にお電話してるんだい?」
「雲雀。……ああ、俺だ。ちょっとツナ捕まえてこい。報酬?わかった今日中に振り込んどいてやるよ」
きちくー、と彼女はあまりいい顔をしなかったが、構うものか仕事から帰ってきてお疲れの部下をほっぽり逃亡しやがるあいつが悪い。ゆめこの口元の食べかすを拭ってやりながらニヤリと笑った。
せいぜい今のうちに、幸せを噛み締めておくといい。
「…………うっ」
「綱吉さん?」
「お、悪寒が……」
title by ゆう様