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▼ 世界が終わるのはこんな日だ(東卍マイキー)

 ふとした言葉に天国に昇るように舞い上がったり、かと思えば地獄に叩きつけられたり。ひとつひとつの行動がいちいち気になって仕方がない。
 恋愛って本当に、コスパが悪い。


「ここー?」

 振り向いたマイキー君に「うん。ここ」と頷くと、マイキー君はバイクを停車してくれた。マイキー君のバイクはもう見慣れたけど、塾の近くで見ると変な感じだ。素人目に見てもかっこいいバイクは中学生がまばらに散らばった空間では妙に浮いてて、合成のように感じる。

 何故、マイキー君に塾まで送ってもらったかというとわたしの自転車がパンクしてしまったからだ。受験勉強の合間に空き教室でクラリネットを吹いてリラックスを図るわたしの近くでマイキー君が寝たり曲のリクエストをしたり(最近のお気に入りはボーボボのオープニング)じいっと聴いたりすることはもうすっかり日常の一部となっている。
 あと、時々、キスするのも。
 ………いかんいかん。これから塾だというのに雑念が頭に過って、しっしっと追い払う。

 スパッツを履いているとは言えスカートが捲れないように降りた後「ありがと」と告げるとマイキー君は「どいたまー」とだらりと答えた。

「いつ終わんの?」
「九時半」
「うわエグ。んじゃ終わったらここな」
「え」

 ぱちくりと瞬いてからマイキー君の言わんとしたいことを理解する。帰りも送ろうとしてくれているんだ。「い、いいよいいよ」と慌てて顔の前で手を振る。

「帰りはお兄ちゃんに迎えに来てもらうから」
「ヤダ。駄目。無理」
「いやなんで無理なの」

 訳の分からん理屈をこね始めたマイキー君に眉を寄せると、妙な視線を感じた。さりげなく視線の先を辿っていくと、塾生達がわたし達をこっそりと窺うようにちらちら視線を送っている。「あれマイキーじゃね?」「うっわ本物だ……!」と他校生が興奮している様子が伝わり、居心地が悪くなる。マイキー君も聞こえていない訳ではないだろうに「兄貴に連絡すんなよー。兄貴ひとりで帰るの可哀想だろ」と帰りも送る事を勝手に決定していた。

 ……まあ、わたしだって。マイキー君と一緒に過ごす時間は少しでも多い方がいい。迷惑かける事に気が引けて断ろうと思ったけどマイキー君が送りたいと言ってくれるのならばお言葉に甘えて乗っかりたい。

「……じゃあ、」

 と頷こうとした時だった。

「ねえあれマイキー君じゃない!?」
「わ、ほんとだ! かっこいい〜!」

 きゃぴきゃぴした声が耳に飛び込んできた。
 ひそひそとマイキー君を噂する声の中でその声はとりわけ大きく、マイキー君もピクリと反応していた。きゃぴきゃぴした声の持ち主の女子たちは「わっ」とびくついた後オロオロしている。マイキー君はじぃーっと見つめてからニコッと笑みを浮かべ、女の子たちにひらひらと手を振った。

 ………。

 女子たちがきゃ〜っと色めき立つのと対照的に、わたしの心はモヤモヤが増殖していった。なんか、すっごい、面白くない。胸の中で何かがぶすぶすぶすと煮えたぎっていく。

「菜摘菜摘」

 面白くない気持ちのままマイキー君を見ると、マイキー君はニコニコと笑ったままだった。

「オレ、かっこいいって」

 それわたしにわざわざ言わなくてよくない?
 ムスッと黙ってから「そうだね」と固い声で答えると。

「きゃ〜だってさ」
 
 女子達を『可愛いな』と思っている事が伝わる声で、マイキー君はそう言った。

 ――プツッ。

「帰り、来なくていい」

 ぶっきらぼうに言うと、わたしはヘルメットを乱暴に脱いでマイキー君に押し付けた。「えーやだ」と駄々をこねるような口調のマイキー君を無視し、塾の中へ入る。「ベンキョーがんばれー」という声に一切答えることなく、振り向くことなく、入ってやった。




 全く集中できない。
 ヒロキがちょうど窓を壊しましたを英訳にしたらどうなるかと塾の先生がホワイトボードを使って説明しているが耳から耳へ流れていく。ヒロキが窓を壊そうがドアを壊そうがどうだっていい。
 苛々する。苛々する。苛々する。シャーペンの延々とノックをする手が止まらず、シャー芯を出し切ってはもう一回入れ直して出し切っては入れ直してをかれこれ三十回は繰り返していた。

 手なんか振っちゃって。満更でもなさそうにしちゃって。わたしがいるのに。

『きゃ〜だってさ』

 ブチィッとまたしても何かが切れ、ノートのページを掴んで破り捨てた。隣の男子がぎょっとしてこちらを見たけどもうどうだっていい。自分は馬鹿みたいにヤキモチ妬くくせに、右京さん(相棒)にまで妬くくせに、なになになにあのバカアホチビチビチビ。

 わたしはずっと、ヤキモチを妬く子のことを冷めた目で見ていた。彼氏が他の女子と喋るのが嫌! と喚く友達を宥めながら『この世には男子と女子しかいないんだから喋らざるを得ないでしょ……』と内心呆れていた。
 だけど今は、少し、いや結構わかる。他の女子と喋らないでまでは思わないけど、他の女子に手を振ったり笑いかけないでほしい。
 なんか、無性にムカついて、他の事が手に着かなくなるから。

 もうすぐ受験だと言うのに全く講習が身に入らない。小さく息を吐いて、わたしは嘆いた。

 好きな男子が他の女子に手を振って笑いかけただけでこんなに思考をかき乱されるなんて。恋愛って本当にコスパが悪い。





 真っ黒な絵具に浸かるように暗い真冬の空の中、金色がチカチカと瞬いていた。

 ……来なくていいって言ったのに。

 ガードレールの向こう側で、マイキー君はバイクに跨っていた。塾生たちの視線を集めているというのにも関わらず、相変わらず堂々としていた。猫のようなふたつの大きな瞳は人だかりを物ともせずにじいっとわたしを見据えている。
 小さく息を吐いてからわたしはマイキー君のに近寄る。近づいたら甘い小麦粉の匂いが鼻孔をくすぐった。よく見たらハンドルにビニール袋がぶら下がっている。たい焼きかどら焼きか、マイキー君の好物が中には入っているのだろう。

「なんでいんの」
「送るって言ったじゃん」

 詰問するように問いかけたのに、マイキー君は臆することなく飄々と答えた。わたしの苛立ちを全く意に介していない事が腹立たしくて眉間に皺が寄るのを感じた。「いいって」と更に声を尖らせる。

「お兄ちゃん呼ぶから。マイキー君帰って」
「ヤダ」

 ぬけぬけと言い切られた事により、わたしの苛立ちは最高潮に達した。鼻を鳴らしてから「ああ、そっか」と厭味ったらしく皮肉を尖らせる。

「ここにいたらきゃあきゃあ言われるもんね。素直で可愛い女の子たちに」

 真っ黒な瞳がぱちくりと瞬いたのを見届けると、わたしの胸の中に虚脱感が流れ込んだ。
 そして、何故か、鼻の奥がつんと尖った。

 嫌味を言ったのはわたしなのに。
 傷つけたのはわたしなのに。
 何故かわたしが、泣きそうになっている。

「今のごめん。忘れて」

 早口で言うとわたしは踵を返した。唇を噛みながら肩ひじを張って歩いていく。そうしないと泣いてしまいそうだった。

 最悪最低。何今の。嫌らしい声だった。妙にカン高い、神経を逆なでするような声だった。今日の自分の振る舞いを思い出す度に自分への嫌悪感が猛スピードで募っていった。ヤキモチを妬くにしてももっと可愛いやり方があるはずだ。『もー!』と頬を膨らませるとか、そんな感じの。リカちゃんだったらそうする。わたしがリカちゃん以外の子と遊ぶ事が続いていた時『わたしも菜摘ちゃんと遊びたい!』と頬を膨らまされた。そう、あんな風にヤキモチを妬けばいいのに、嫌らしい、みっともない、嫌な嫌な嫌な奴……!

 わたしは可愛くない。顔以上に性格が可愛くない。
 素直にかっこいいとはしゃげられるようなあの子達の方が、そりゃあ。

 俯きながら皮が捲らんばかりに下唇を噛んでいたその時だった。
 ひょいっと体が宙に浮いた。

「よっと」

 聞きなれた飄々とした声がしたから聞こえる。そして、いつもは少し高い位置にあるハーフアップを何故か見下ろしていた。

 喉の奥に滞っていた熱い塊が急速に引っ込み、代わりに別の熱が全身を支配していく。
 マイキー君は俵を担ぐように、わたしを肩に乗せていた。

「ちょ……!」
「れっつごー」

 塾生全員の視線を感じ、更に体温が上がっていく。ウソウソウソ無理無理無理……! 恥ずかしすぎて声も出ない。酸素を求める魚のように口をパクパクしている間に、わたしは元の位置に戻された。マイキー君がバイクを停めている場所に下ろされた。

「な、ななななに、むぐっ」

 突然何かを突っ込まれ、抗議しようとしていた口が止まる。口内に餡子の味が広がった。気付いたらわたしはたい焼きを咥えさせられていた。

「美味い?」

 じいっとわたしの目を見据えながら、マイキー君は首を傾げて問いかける。わたしはたい焼きを手で掴んで咥えていた部分を噛んでから「お、美味しい、けど」としどろもどろに答える。マイキー君って相変わらず支離滅裂な行動に出るな……。
 だけど、次の行動は更にわたしを面食らわせた。

「ごめん」

 マイキー君がペコリと頭を下げて、謝ったのだから。

 目を白黒させている間にマイキー君は頭を上げる。だけど、淡々と謝罪の言葉を紡いでいった。

「菜摘が妬いてんのが嬉しくて、つい。ごめん、やり過ぎた」

 静かな声だった。あまり感情は籠っていない。だけど、深く後悔していることが伝わってきた。
 真っ黒な瞳の奥が、ゆらゆらと、よるべなく揺らいでいたから。

「怒ってる?」

 マイキー君はわたしより数センチ高いから目線は上からなのに、何故か下から覗き込まれるような錯覚に陥った。小さな子が恐る恐る機嫌を窺うような言い方に、胸の奥がぎゅうっと絞られて、暖かくなる。

 怒ってないと言外に伝える為に首を振ってから俯いた。「わたしもごめん」と小さな声で謝る。

「……わたしには出来ないことしてるあの子達が羨ましくて、やな態度取った。……ごめん」

 鼻を啜ってから、言葉を続ける。

「マイキー君に可愛いって思われてるのが、羨ましかった」

 マイキー君はわたしの言葉に何も返さない。代わりに、何故かわたしの頭に無理矢理ヘルメットを被せた。「え」と顔を上げると強制的に体を持ち上げられ、後ろに乗せられる。マイキー君は運転座席に座ると、前を向いたまま言った。

「菜摘、家族の誰かに帰るのちょっと遅くなるつっといて」
「え、な、なんで? どこ行くの?」

 いつものことだけどマイキー君の意図が掴めずに問いかける。当たり前だと言わんばかりに、マイキー君はさらりと告げた。
 
「人がいないトコ。オマエ、人前ですんの嫌がるじゃん」

 それって。
 マイキー君が何をわたしにしようとしているのかわかった瞬間、身体が燃え上がるように熱くなった。

 マイキー君が振り向いた。顔を真っ赤にしているであろうわたしに悪戯っぽく笑いかけてから「エッロ〜〜〜」と囃し立てる。

「な、なんでそうなんの!」
「だってなんかエロい事想像してるし」
「だ、だって、そんなん、今の言い方……!」
「可愛い」

 胸の奥をくすぐるような声で、マイキー君は言った。
 可愛い、と言った。
 それは心臓に熱を灯し、甘ったるい熱を広げて、わたしの全てを支配する。

 ヴォンヴォンをバイクを吹かせてから、マイキー君はわたしの腕を自分の腰に巻きつけさせた。固まっているわたしを見つめる瞳から胸焼けするほどとろけるような熱い眼差しを受ける。大きな瞳が、ゆるやかに細められた。

「菜摘、すっげぇ可愛い」


 恋愛ってコスパが悪い。
 たった一言で我を忘れるくらいに怒ったり、ヒステリー起こしたり、自己嫌悪したり。
 
 かと思えば。
 たった一言に。くちびるを合わせるだけの行為に。どれだけのお金を積まれたとしても得難い価値を感じてしまうのだから。

 コスパが悪いのやら、良いのやら。きっと答えは生涯見つからない。






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