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▼ とおまわりプロポーズ篇

豪華客船の上で、豪勢なフレンチを嗜みながら、美味しいねえと目を細めたあと、幸子は窓の外に目を遣る。真っ暗な闇の中に浮かび上がる無数の光の粒たちが踊るようにして輝いていた。幸子はそれを見て「わあー」と、のほほんとした歓声を上げる。もう少し待ってろ、とオレが言うと不思議そうに首を傾げる。今にわかる、と微笑んだ時にドン!と音が鳴る。へ、と間の抜けた驚き方をしている幸子がもう一度窓に目を遣ると、そこには夜空に咲いている光の花。

『わあ、きれい、すごい』

『…幸子、』

『ん?なに?』





「―――結婚しよう…。どうだ!素晴らしいだろう!!この月9顔負けのプロポーズ!!」

良い声で『結婚しよう』と囁くように言ったあと、オレは弾んだ声で自画自賛した。が。

「この肉まだ焼けてねーじゃん」

「すみませーん、生ひとつー」

「もうそろそろアップルパイ頼むか」

荒北、隼人、フク、誰一人として聞いてなかった。みんな好き勝手なことをしている。こめかみに血管が浮かび上がって「聞けよ!!」と拳を机に叩き付けた。荒北が心底面倒くさそうに細めた瞳をオレに向けた。

「お前の説明ポエム入っててわかりづれーんだヨ。夜空に咲くなんつったっけ、つまり花火だろ花火。わかりやすく言えよボケナス」

「つまり吉井さんにプロポーズしたいってことだろ」

「東堂が結婚か…。時が経つのははやいものだな…」

「まだ決まってねーヨ、福ちゃん。ま、アイツすっげーちょろいからいけんだろ」

「お前幸子のことなんだと思ってるんだ…?」

荒北のあまりの言いように若干鼻白みながら問いかけると、荒北は「ちょろいヤツ」と、あっさり言いのけた。反論できなかった。アイツは実際、ちょろい。とんでもなく。幸子が欲しがっていた文庫本が100円でブックオフに売られていたので買ってきたら、それだけで『えっ、ほんとに!?え…!ありがとう…!!』と心底嬉しそうに笑った。ちょろすぎんだろ…!と思ったがそれ以上に可愛くて可愛くて仕方ないという気持ちの方ではるかに大きかった。

100円の文庫本を買ってやったくらいであんなに喜ばれるんだ。なら、プロポーズしたら、多分もっと喜んでくれるに違いない。それなら、最高のプロポーズをしてやりたい。世界中の女が『そんなプロポーズされてみたい』と、うっとりするような、そんなプロポーズを。

「なんか改善策とかないか?もっとこういう言い方にした方がいいんじゃないか、とか。とりあえず花束をこっそり用意しようとは思うんだが」

「うーん。っつーか豪華客船か…コナンだったら間違いなく殺人事件が起きてんな」

「園子に豪華客船に招待されたオレ達は〜ってヤツだろ」

「…東堂、吉井をしっかりと守るんだぞ…!」

「豪華客船やめる」

そういった感じに、オレは酒を呑みながら昔ながらの友人たちに細かいところまで相談していった。

そうして、ふわふわとした夢の世界へ、いつのまにか誘われていた。


「あーあ、尽八潰れた」

「うっわ。送んのめんどくせーし、吉井呼ぼうぜ」

「それがいいな。めんどくせーし。…あ、吉井さん?オレだよオレ、荒北。そうそう最近声変わ…いてっ!」

「何しょうもねェ嘘ついてんだよ!オレが荒北だよ、は?マジで騙された?バッカじゃねえの?っつーかお前の男酔いつぶれてっから来い。一緒に住んでんだろォ」

「半同棲らしいぞ」

「福ちゃんよく知ってんネ…」

「時々一緒にケーキ食いに行くからな」

「仲いいなオイ。まァいいわ、そう×××にいっからよ」


遠くから、声が聞こえる。


「わ、みんなひさしぶり〜」

「よ、吉井さん」

「ごめんね、尽八が…わあー、すっごいすやすや寝てる。…よっと、お、重い」

「チッ、仕方ねェ。タクシーまで連れてってやる」

「わー、荒北くん、ごめんねえ。相変わらず優しいねえ」

「そーゆーこと簡単にホイホイ言うなボケナス!!」

荒北が照れを無理矢理怒りに変換させて怒鳴っていて、隼人がおかしそうに笑っていて、幸子が「え、えーと、ごめん…?」と少し狼狽えていた。褒めたのになんで怒られたんだろう…?と不思議に思っているのだろう。夢にしてはリアリティのある夢だな。どうせ夢なら、もっと奇想天外に満ち溢れたものでもいいのに。

そこから更に、オレの意識は深い深いところに沈んでいく。


「おらよ!」

「ゴミ袋をゴミ捨て場に投げるような押し込み方だな、流石靖友」

「流石って何が流石だヨ」

「重かったもんねえ。だいじょうぶ、尽八怪我してないし。ありがとう、ここまで運んでくれて。今日久々にみんなに会えて嬉しかった」

「吉井さんも今度一緒に呑もうぜ」

「うん!」

「お前すぐに潰れそうだな」

「わかってねえなあ、靖友。吉井さん、強いぜ?」

「ああ」

「え、マジかよ」

「へへへ…。じゃあね、ほんとに今度みんなでお酒呑もうね…わっ」

「ヒュウッ、熱い熱い」

「うっわウッザ!」

深く沈められた意識の中で、甘い匂いがした。それを手繰り寄せるようにして抱きしめる。柔らかくて甘い匂い。抱きしめているのに、抱き締められているような感覚を覚える。

「あ、あはは、え、っと、ごめん。それじゃあ」



「よっと、…重い…。…電気電気…。尽八、もうちょっとでベッドだからね」

深く沈められていた意識が少し浅いところへ持っていかれた。ああ、まだ夢の中か。そっと横を見て、視線を下にずらすと、幸子が額に汗を滲ませながら、オレの腕を肩に回して運んでいた。オレの視線に気付き、受け止めた後、「あ、起きた?」と柔らかく微笑む。首を傾けた時に、また甘い匂いが鼻孔をくすぐった。もっと嗅ぎたくて幸子を抱きしめて、首筋に顔を埋める。「わ、びっくりした」と驚いた後、くすぐったそうに笑う幸子の声。

顔を上げると、幸子が「だいじょうぶ?気持ち悪いとかない?」と優しい調子で問い掛けてくる。オレは首を振ったあと、幸子にしだれかかった。オレの重みに耐えられない幸子が「わ、わー」と声をあげながらずるずると腰を下ろしていき、最後にぺたりと座り込んだ。オレはそれでも幸子にしがみついたまま。

「…あったけえ…」

「わたし子供体温だからねえ」

腕に力を入れてぎゅーっと抱きしめる。苦しい〜、と楽しげに笑う声が鼓膜を気持ちよく震わせる。力を弱めて、幸子の顔をじいっと穴が開くほど見つめる。「どうしたの?」と目を細めた幸子に問いかけられた。

…出会ってから、ずっと、色々助けられてきたな、この笑顔に。

世間が定義する「すごい女」から幸子は程遠い。幸子ができることはたいていの人間ができることで、幸子が思いつく言葉もたいていの人間が思いつく言葉。争いごとを好まない性質で、おおらかな心を持っているが、未だに自分を蔑ろにしてオレによく思われようと必死になるという愚かなこともする。二年前、他人の口車にのせられて変な壺を買わされそうになっていた時は夜通し幸子が泣くほどの説教をした。

人から見たら、呑気で、騙されやすくて頭の螺子が緩い、どこにでもいる女だろう。

でも、オレにとっては。

「…結婚したい」

幸子の笑顔が固まった。

「すきだ、結婚したい。ずっといっしょにいたい」

オレにとっては、唯一の女なんだ。
どんなに情けない弱音を吐いても、醜態を晒しても、時に醜い嫉妬を見せても、決してオレから離れていかなかった。オレの話をいつでも楽しげに聞いてくれて、一緒に笑ってくれて、一緒に悲しんでくれて、一緒に喜んでくれて。

いつだって、傍にいてくれた。


「お前がいないと、オレ、無理だ」

そう言ってから、オレは再び幸子の肩口に顔を埋めた。幸子の背中に腕を回して、縋り付くようにして抱きしめる。幸子の豊かな胸が体に押し付けられた。気持ち良くて、目を閉じる。

それにしても、匂いと言い、柔らかさといい、夢とは思えないほどリアリティあるな。

…っていうか…。

…おい…。

…これって…!!

カッと目が見開いた。頭皮から噴出した冷や汗がえりあしを伝い、背中にまで流れていく。幸子を離して、自分の頬を叩いた。バッチーンと気持ちよい音が空気を切り裂き、幸子が「…へ!?」と目を大きく見開かせた。

じんじんと痺れを訴えかけてくる頬が、夢じゃないということを証明していた。

サーッと血の気が引いていくのがわかった。

嘘だろ…!!

「ち、違う、幸子、これは違うんだ!!」

幸子の肩を力強く掴んだ。へ、と幸子の唇から小さな声が漏れる。ぱちぱち、と目をしばたかせていた。

「オレ、こんなんじゃなくて、もっとちゃんとしたのするつもりだったんだ!だから今のは…!」

冷や汗がだらだらと際限なく流れていく。タイムマシーンが欲しい。なんでこうなるんだ、と焦燥感を交えた深い絶望がオレを襲う。なんだ今のプロポーズは。すきだ、結婚したい、って。高校生じゃねえんだよ。交際を申し込んだ高校生の頃から何一つ進歩していなくて、情けなくて仕方ない。いや高校生の頃より劣化している。お前がいないとオレ無理って。頼りがいが全く感じられない。二十代半ばを超えた男が言う台詞ではない。

こんな男と一生を伴にしたいって、そんなこと思う奴、

「…いや」

弱弱しいけど、きっぱりと、拒絶を孕んだ声が幸子の口から真っ直ぐに投げ出された。幸子は意思の強い瞳で口調と同じように、真っ直ぐオレを見据えていた。いつも穏やかな雰囲気を放っている幸子が、凛としている。そのギャップは唾を呑むぐらい、綺麗だった。見惚れているオレに、幸子は言葉を続ける。

「こんなん、じゃないよ。全然。わたし、」

幸子は顔を俯けた。膝の上で丸めた手が小刻みに震えている。すう、と小さく息を吸う音が聞こえてから、幸子は顔を再び上げた。

「嬉しくて、嬉しすぎて、もう、訳わかんない」

幸子の瞳にうっすらと張られた水膜が、細められた瞬間頬を伝って転がり落ちた。

「いや。忘れてほしいんだろうけど、忘れない。いや。絶対、いや、やだ」

幸子は、ふるふると首を振って、もう一度力強くきっぱりと拒絶する。

酔い潰れた男に、頼りがいどころか縋り付くようなプロポーズをされて、泣くほど喜ぶ。だからお前はちょろいと馬鹿にされるんだ。変な壺を買わされかけるんだ。だから、だから。

胸が愛おしさで溢れて苦しくなって、どうしようもなくなって、腕を掴んで、引っ張って、胸の中に閉じ込める。

だから、好きなんだよ。

「…本当は、一か月後に言うつもりだったんだ」

「そうだったの?」

「夜景を楽しみながらフレンチ食って、花火が打ち上げられた後言うつもりだったんだ」

「わ、わあ、す、すごいね…!月9だ…!」

「こんなんで喜ぶとか、だから、変な壺買わされそうになるんだ。どんだけお手軽なんだ」

抱き締めながらぶつぶつ小言を漏らしていく。幸子は「あ、あはは」と笑って誤魔化してから「そうだねえ」とのんびりと同意した。

「こんなお手軽な人間、尽八以外に管理しきれないね」

腕の力を緩めて、幸子の顔を見る。目尻にまだ涙が浮かんでいた。へへへ、と照れ臭そうに笑いながら、幸子は言った。

「わたしも尽八いないと無理。プロポーズしてくれて、ほんとに、ありがとう。だいすき」

豪華な食事も、綺麗な夜景も、宝石が輝く指輪も、何一つないのに。それでも礼を述べて、あんなダサいプロポーズを受け入れてくれたどころか、礼を述べる。

オレが誰よりも幸せにしてやるからな、と格好良く言うつもりだったのに。

「…断らないでくれてありがとう…」

安心感から力が抜けきって、再び幸子に雪崩れかかるように抱き着くことしかできなかった。





fin.


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