知らんけど






「青宗君! トイレットペーパー足りてる?」
「多分」
「多分じゃなくてー! あーもーいいや! 買っとこ! てかちゃんと管理しなってまじで! 私が来なかったらどうするつもりだったの!! 合鍵渡されててよかったよほんと!」
「ケツについた糞をシャワーで流してたに決まってんだろ。たまたま陽子が来たから頼んだだけだ」
「ふぅ〜〜ユニットバスでよかった〜〜ウォッシュレットじゃなくても一安心! じゃなくてーーー!」
「――陽子?」

 街をぶらついている時、ドラストに差し掛かったところで陽子のノリツッコミを受けていると、誰かが陽子を呼んだ。
 陽子の動きが一瞬にして止まる。固まったと表現してもいい。

「! やっぱり! 陽子じゃない〜〜! あんたこんなところで何しとんの〜〜!!」

 その声の持ち主――推定四十代後半のババアは陽子に嬉々として駆け寄ると、陽子の肩をバシバシ叩いた。

「痛い!! だから痛いってばそれ!!!」
「まぁ〜〜〜! アンタ何か弱い乙女ぶっとんのよ白々しい〜〜〜〜〜〜〜〜!! てか横の子彼氏!? 彼氏やんな!? どれどれ!!!」

 ババアと目がばちりと合う。陽子よりも目蓋の下がたるんでいて目尻に皺がいくつも刻まれていたが――似ていた。
 陽子によく似たババアは口に手を宛てがいながら、素っ頓狂な声を上げた。

「あら〜〜〜〜〜! シュッとしとるわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「お母さんもう黙ってて!!!」






 陽子の母親によって、強制的に陽子の家に行くことになった。陽子はオレを母親から遠ざけようと必死だったが「あんたそんなんするんやったら三歳の時に――、」と何か暴露されかけて泣く泣く受け入れざるを得なかったようだ。三歳の時に何があったのか気になるので尋ねようとしたら半狂乱となった陽子に止められた。

「イヌピーカレー好き?」
「普通」
「じゃあカレー作ったるわ〜! 娘の彼にカレーを作ったるわ〜〜〜!」
「………はぁあああぁ……マジでやめてって……」

 意気揚々と歩いている陽子の母親、陽子の母親をなんとなく眺め続けるオレ、重すぎる溜息を吐く陽子……という一行でマンションの廊下を歩いていく。

「イヌピーうちんち来たことある?」
「ある……っす」
「あら〜〜〜お持ち帰りされたんや〜〜〜〜!」
「おかあさーーーーーーん!!! 変な言い回しやめて!!!」
「実際そうやん。こんなシュッとしたシティボーイ連れ込むとかやるやん陽子〜〜〜。あ、どうぞ〜〜〜我が家ですぅ〜〜〜〜ローンあと二十年残ってます〜〜〜〜」

 うちはローンあと何年残ってたっけと思いながら、陽子んちに上がり込むと。

「っしゃーーーーー! ディープスカイ来たぁーーーーーーー!!!!」

 オッサンの歓声が轟き、そして陽子の顔色が更に悪化した。
 
「お父さん、競馬終わったんならスマブラしようよー!」
「ちょっと待って待って今勝利の喜びに見悶えてるから! あと三分したらやったるから! 知らんけど!」

 聞きなれた弟の声がスマブラをしようとせがんでいる。お父さん≠ニ呼んでいることからオッサンは陽子の父親だということがわかった。

「お父さんったらま〜〜た競馬聞いとるわ〜〜〜あれ陽子どしたん? なんで白目なん?」
「無理……」
「なにが無理やねんこんなシュッとした子捕まえといて〜〜。ただいまーー! お父さん陽子がシュッとしてるシティボーイ捕まえてきたで〜〜〜〜!」

 さっきからやたらシュッとしたシュッとした連呼されているが、意味が全くわからない。

「シュッとしてるってなんだ」
「え〜〜っとシュッとしてるってのはこう……」
「お!! ほんまや!!! シュッとしてる!!!」

 陽子が説明しようとした瞬間、普通のオッサンが現れて、オレをシュッとしてる≠ニ表現した。

「イヌピーだー! イヌピーイヌピー! わーーー!」

 続いて陽子の弟も現れて、オレに突進してきた。頭を掴んでタックルを阻止する。弟はそれが楽しいらしくキャキャキャと猿のようにはしゃいだ。

「どうもはじめまして〜、陽子の父です〜〜」
「乾です」
「ああ〜だからイヌピーなんか! シュッとしとるな〜〜!」
 
 娘の父親は娘の男に厳しいと聞いていたが、陽子の父親は違った。朗らかな雰囲気を纏い、ずっとにこにこと笑っている。よく見たら口元が少し陽子に似ていた。だからか、接していると心が春みたいに暖かくなっていく。

「イヌピー競馬とかパチンコとか興味ない?」 
「パチンコなら時々行きます」
「お父さんイヌピーとパチンコ行くの!? オレもいきたーーい!」
「…………もう……やだ…………………………」

 暖かい気持ちになりながら頷く。その隣で陽子は何故か地を這うような声でなにか呟いていた。







「イヌピー、小盛り? 中盛り? 大盛り?」
「中盛りで」
「な〜〜〜〜〜にを言うとんねん!! 男の子はちょーーーとぽっちゃりしとるんが丁度ええの!!! イヌピー痩せすぎや!!! 大盛り大盛り!!!」

 陽子の母親は訊いてきた癖に問答無用でカレーと米を大盛りに注いできた。デブになんのは嫌だが断るのも面倒で食べる事にする。

「陽子は?」
「いい自分でやる」
「あんたが注いだら小盛りにするやろ!! 女の子はねぇちょーーーっとぽっちゃりしとるんが丁度ええの!! 知らんけど」 
「あーーーうっさい!! 絶対小盛りにするから!!」
「あらちょっと〜〜〜何すんの〜〜〜〜! ほんまもうこの子は〜〜〜!! 親の顔が見てみたい!!!」
「イヌピーすまんねぇ、うちの女達うるさくて。てか陽子単体でもうるさいやろ。あの子ようべらべら喋るからなぁ」
「別にいいです。楽しいんで」
「おおー、流石シティボーイや! 器がでっかい!」
「シティボーイってなんすか」
「え、イヌピー東京生まれちゃうん?」
「そうっすけど」
「ほらシティボーイやん。てかイヌピーってどこ高いってんの?」
「高校行ってないんで」

 陽子の父親がぱちくりと瞬いた。高校行ってないと告げると、大抵の人間は陽子の父親のような反応を取る。

「お父さん、あのね、今青宗君バイクの整備士やってて、」
「お父さん、イヌピーはすごいんだよ!! 昔、黒龍って暴走族入ってたんだ!!」

 陽子がオレと陽子の父親の会話に入ろうとした時、弟がハイテンションで割り込んで来た。陽子の目がぎょっと見開かれる。

「ぶらっくどらごん……?」
「ちょっ、あの、お父さ、」
「バスケ部に超怖い石田先輩って人いるんだけどさ、イヌピーがオレの友達なの知ってから超優しくなったもん! 超怖い石田先輩をビビらせるくらいの超怖い暴走族なんだよ黒龍ってのは! イヌピー昔は鉄パイプを振り回して、「あーーーーこんなところにでっかい蚊がぁーーーーーーー!!!!」

 陽子が弟の頬を張り倒した。弟は「ぶべらっ」と奇声を上げ、気絶する。べらべらまくし立てていた弟が突然気絶した事で、しいんと静寂が降り立った。

「お、お父さんあのね! その、深い訳があって! 青宗君いろいろあって!!」
「関係ねえよ」

 取り繕おうと必死な陽子を遮った。一瞬、喉元に空気の塊が出来る。けどすぐに呑み込んで、一気に言い放った。

「オレは昔、少年院入ってました」

 ほがらかな陽子の家の温度が、氷点下まで下がった。

 合コンの時は、何も考えずに発言した。陽子のダチのユ、ユ、ユカ……ユカコに何部入ってたか尋ねられ、年少にぶち込まれ部活どころじゃなかったから『年少入ってたし、中学ほぼ行ってねえ』と言った。
 けど今は、言いたいから言った。
 陽子を産んで育てた人達には、言わなければいけないと思った。

「今は?」

 陽子の父親は何秒か黙ったのち、問いかけてきた。

「今はバイクの整備士やってます」
「ほぉー、そっか。あれやな。仮面ライダーか!」

 陽子の父親は「アハハ!」と豪快に笑い飛ばしてから、ゆるやかに目を細めた。

「話してくれてありがとな」

 陽子よりも低い声だが、陽子によく似た喋り方だった。

「オレはなぁ、正直自分と自分の周りさえ幸せやったらそれでええからなぁ。だからイヌピーが昔悪くても今いい子ならええねん。だからそんな神妙な顔すんな! せっかくシュッとしとるんやから!」

 陽子の父親は身を乗り出すと、オレの頭をがしがしと掻き乱してきた。暖かく硬い指の感触がオレの頭皮を問答無用で動かしている。

「ぶふぉ! 間抜け面!」
 
 陽子の父親は面食らっているオレを見ると噴き出し、げらげら笑った。
 陽子によく似た言動をしているオッサンをぼうっと眺める。このオッサン、マジで陽子の父親なんだな。今更の事実が意識の中に浸透していくと、頭の芯がじんと痺れて、胸の奥がもぞもぞと疼いて、じわぁ……っと熱くなった。

「そーよそーよー! てか昔散々やらかした男のが逆にええねん! 岸田さんちの息子さんなんてずーーーっと勉強漬けで女の子と付き合ったことなかった反動が結婚後にきたやん!」
「いや知らんから。知ってる前提で話すのやめて」

 知らねぇ男の情報をべらべらまくし立て始める母親に陽子が冷静にツッコミを入れた。

「あーー岸田さんちの息子さんな!」
「そうそう岸田さんちの息子さん! 会社の人に連れてかれたキャバクラの女の子にハマっちゃってさぁ〜」
「あれは大変やったな〜! ほんまもう真面目なやつほどネジ外れた時がな〜! だからなイヌピー! 昔ヤンチャしとったほうがええねん!」
「そうそう! 昔ヤンチャしてた方が逆に安心できるわ!」

 陽子の両親は口を揃えて、恒例の台詞を放った。

「「知らんけど」」
 
 知らねぇのかよ。




(リクエスト|イヌピーが夢主の両親に会う話)



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