スタンド・バイ・ユー




 ドラケン君が撃たれたことに、皆茫然としていた。
 
 八戒君はしゃっくりを上げながら号泣し、松野君は下唇を噛み締めながら血管が浮き出るほど拳を強く握り締めていた。花垣君もマイキー君≠ノ執拗に殴られたせいで、意識不明の重体。
 三ツ谷君は目も当てられなかった。いつもの冷静に周りを宥める包容力に溢れた彼はどこにもいない。目から光が消え失せ、ぞっとするほど生気がなかった。

 皆、茫然としていた。
 皆、憔悴しきっていた。
 皆、奈落の底に突き落とされたような顔をしていた。きっと、私も。
 
 その中で青宗君だけは淡々としていた。いつも通りのポーカーフェイスだった。お葬式で一番しっかり自我を保っていたのは青宗君だろう。

 だけどでも、私が一番気になるのは青宗君だった。

 しゃっくりを上げて泣いている八戒君でも、なにかに憤りながら必死の形相で下唇を噛んでいる松野君でも、目を落ち窪ませて項垂れている三ツ谷君でもなく、青宗君が気になった。

 いつも通りの真顔で佇んでいる青宗君を、一番心配していた。





「よー、イヌピーの今カノ」

 ドラケン君が撃たれてから一週間経った日の放課後。校門付近の壁にもたれながら、ココ君が私にひらひらと手を振っていた。

「……あの、私の友達ナンパすんのやめてくんない……?」
「あっちが逆ナンしてきたんだよ。連れてきてくれるっつーのに断わんのも失礼じゃん」

 ココ君は人を食ったような笑みを浮かべながら、いけしゃあしゃあと言いのける。いやまぁそうなんだけどさぁ……。

『陽子ー! 校門に陽子の彼氏の友達来てるよ! なんか話あんだって! てか超かっこいいじゃん! やっぱ類友ってマジだねー! メアド聞いちゃった!』

 三分前のミホを思い出すと白目をむいてしまう。ミホそういやこういう男好きだったわ…………よりにもよって…………。友達には幸せになってほしい私はミホがこのままだと将来ろくでもないコース突入の男にキャッキャッしてることに胃がしくしくと痛んだ。あああココ君って、マジでココ君って……、ちょっと中学の時の男友達紹介しよココ君だけはやめてほしいだってココ君って今覇権を握っている関東一でかい暴走族でしかもそこの総長は――、

 話だけでしか知らないマイキー君≠フことを思い浮かべると、胃がヒヤリと冷えた。
 花垣君を意識不明の重体に追い込んだ、殺人犯。
 ココ君が属しているチームの、総長。

「んなビビんなって……っつーのも無理か」

 身を強張らせている私に、ココ君はそれもそうか≠ニ納得げに頷いていた。

「ビビってるとこわりーけど、話聞いてくんね? なんでも奢ってやっから」
「……いい」首を振って拒否する。

「青宗君のことでしょ。聞くよ」

 震えそうになる脚を必死に抑え、日頃から殺人犯と接している暴走族の男兼彼氏の友達を真っ直ぐに見据えながら言い切る。ココ君はじっと私を見返してから、ふ、と小さく鼻を鳴らした。


「オマエとイヌピーってどんな感じ? イヌピーが女と付き合うの想像できなさすぎてさ、教えてよ」

 私とココ君はマックで向かい合っていた。ココ君はその細い体から窺いきれないほど大食いだった。三個目のビッグマックに舌鼓を打っているココ君に「んーと、」と意味のない言葉を返しながら、ポテトに手を伸ばす。

「四月からは前よりデートの回数減ったかな。私予備校行くようになったし」

 そんな話が聞きたくてわざわざ私の高校まで出向いた訳でもないだろうに。薄々察している、ココ君が私に会いに来た真の理由には触れず、青宗君との付き合い方を話していく。

「へー。デートって、たとえば?」
「渋谷で買い物付き合ってもらったり青宗君ちにお邪魔したりディズニー行ったり」
「は? ディズニー?」
「うん。ディズニー」

 ココ君が目を丸くして、口をぽかんと半開きにした。青宗君がディズニーランド行くことを告げると、全員目を丸くして絶句する。ココ君もそうだった。パチパチと瞬きを繰り返しているココ君に「ほら」とケータイをココ君の目の前に翳す。私と青宗君がプーさんを挟んで撮った写メだ。私は満面の笑みだけど青宗君はいつもの仏頂面だった。私がプーさんに抱きついたらプーさんに『おいテメェ男か女かどっちか教えろ女なら許す』とプーさんの赤いTシャツを掴んで問い質し始めたのには慌てた。ていうか夢の国で中身の確認とか野暮なことやめてほしい。

「これはホーンテッドマンション並んでる時だね。青宗君、カメラ目線しないんだよねー。せっかく綺麗な顔してんのに、勿体ない」

 私はココ君に次々写メを見せながら、当時の思い出を振り返る。私は写メを撮る事が好きだ。隙あらば撮りたがる私を青宗君は『よくやる』という目で見ていたけど、嫌がりはしなかった。私は自分が一番盛れる角度かつ決め顔で撮っているにも拘わらず、青宗君はずっと仏頂面で、そして、何故か私を見ている。写メなのにレンズを見ない。ああこれも横目で私を見てる。チュロス買った記念で撮った写メも、青宗君はチュロスを掲げている私をじーっと見ていた。

「青宗君、絶対ディズニー好きじゃないって思ってたから、てか好きじゃないよね。なのに一緒に行ってくれるってなった時はめちゃくちゃ嬉しかったなー……」

 真顔で『オマエの喜ぶことをしてぇ』と言ってくれて、一緒にディズニー言ってくれた日のことを思い返すと、どうしてもニヤけてしまう。死ぬほど楽しかった。だから何回も思い返してしまう。何回も何回も、何回も。

「イヌピーオマエにベタ惚れじゃん」

 幸せな思い出を噛みしめていると、ココ君が淡々と呟いた。その言葉の内容に今度は私が「え」と目を丸くする。

「イヌピーのこんな面、見た事ねぇわ」
「え、そうなの?」

 今私がココ君に見せた写メの青宗君は全て仏頂面だ。青宗君の仏頂面は標準装備ということを知らなければ、不機嫌そうにも見える。

「アイツ、好きな女、こういう目で見んだな」

 ココ君はふっと笑った。小馬鹿にした訳でも挑発的な訳でもない。

「幸せそうじゃん」

 柔らかく優しい笑い方だった。

「……ココ君は、幸せ?」

 マジな話は苦手なのに、私はマジのトーンで尋ねる。問いかけた内容が恥ずかしくて舌がむずむずした。
 
 けど、聞かずにはいられなかった。
 聞かない訳にはいかなかった。

 ココ君。九井一。私の彼氏の親友。
 彼の幸せは、私の好きな人の幸せに繋がる。
 
 ココ君は慈しむような眼差しをやめ、私に焦点を合わせた。先程まで浮かべていた優しい色は瞳から消え失せている。いつもの冷めた目付きだった。

「その質問流行ってんの?」
「……え?」
「幸せに決まってんだろ。オレ、今勝ち組街道まっしぐらな訳。あの無敵のマイキー≠ノついてってんだからさ」

 さらりと紡がれたマイキー≠フ名に、頬が引き攣るのを感じた。全身の神経が張り詰め、胃がヒヤリと冷える。
 
 マイキー。
 人を殺した男の子。

 ココ君はべっと舌を出してから、私の異変に気付いたようだ。「ああ」と納得したように頷いてから、意地の悪い笑みを浮かべる。

「そ。オレのボス、人殺し。マジで殺すとは思わなかったけどネ」

 心臓が鉛のようにずしんと重たくなり、胸が塞がれたみたいに苦しくなった。喉が狭くなったのか、私の周りだけ酸素が薄くなったのか、呼吸がし辛い。

「いちおー言っとくけど、ドラケン殺しにオレら関与してねーからな」
「マイキー……君、って、その、ドラケン君の、」
「ダチだな。東卍のNo.1とNo.2。けどうちのボス、もう何も思わねぇっぽい」

 ココ君は機械的に淡々と告げる。報告書を読み上げるようなのっぺらぼうな声は、私の胸を塞いでいく。

「あんなにつるんでたのに、殺されても眉一つ動かしてなかったわ」
 
 まるで自分もいつかそうなると言いたげに、聞こえた。

「ま、安心しな。オレらがオマエに近付くことねぇから。だからこれまで通り、イヌピーの傍いてやって」
「ココ君もいなよ」

 ココ君はピクリと眉を上げてから失笑した。

「イヌピーの今カノ、話聞いてた? オレ今勝ち馬に乗ってんの。億万長者間違いなし」
「その割には幸せそうに見えないけど」

 私は淡々と言葉を重ねていく。八方美人な私らしくない、つっけんどんな物言いだ。

「なに、心配してくれてんの?」

 細められた目の奥で抜け目ない光が宿っている。私と同じ学校に通う男子達と同い年とは思えない。親の庇護下でぬくぬくと育ってきた私達とくぐり抜けてきた修羅場が違うのだろう。例えばそう、殺人犯の側近になるとか。
 心臓が不穏に軋んで、背筋に冷たいものがすうっと滑り落ちる。
 嘲笑混じりの問いかけに答えるべく口を開く。その前に、いつの間にか口内に集まっていた生唾を呑み込む必要があった。嚥下の音が、体内で強く響く。

『そりゃそうだよ! だってココ君は青宗君の友達なんだから!』

 綺麗で優しい言葉を、頭の中で並べる。

「ううん」

 だけど流れ出たのは否定の声で、そして我ながら冷たかった。

 ココ君は面食らったように、ぱちぱちと瞬きした。「へえー」と意外そうに呟いている。
 今日で出会ってニ回目だというのに、私の八方美人な人となりを見抜いているのだろう。ココ君はしょうもない女に引っ掛かることないんだろうな。
 
「ココ君の幸せ祈ってるよ的なこと言おうかと思ったけど、やめた。君なら嘘って見抜くでしょ」
「まーね。てかオマエ、イヌピーの前と違くね? 写メと顔全然違うんだけど」
「え? そう?」
「全然ちげーよ。ほら、写メではすっげーでろっでろなってんじゃん」
「あー……」

 言われてみれば。頬を両手で触りながら気付く。

「やっぱ私、青宗君には依怙贔屓しちゃうんだろねー……」

 しみじみと呟く。他の人なら許せないことも、青宗君なら許してしまう。これを依怙贔屓と呼ばず何と言うのだろう。

 しゃっくりを上げて泣いている八戒君。
 なにかに憤りながら必死の形相で下唇を噛んでいる松野君。
 目を落ち窪ませて項垂れている三ツ谷君。
 意識不明のドラケン君。
 
 ドラケン君の不在を思うと、ぎゅうっと絞られているみたいに心臓が痛み、私達の心に真っ黒な影を落とした。ドラケン君の優しさや包容力は絶大で、彼がいない世界は大切なピースが欠けたようで、ひどく空虚だ。気を抜くと、深い喪失感の中に呑み込まれてしまいそうになる。

 だけど、でも、私が一番気になるのは、ただただ真顔の青宗君。

 顔をぐしゃぐしゃにして泣いている八戒君でも、何かを必死に堪えている松野君でも、魂を抜かれたように呆然としている三ツ谷君でも、撃たれてしまったドラケン君でもない。
 
 傍から見れば『平気そう』な青宗君のことばかり、考えている。 

「心配はしてないけど、ココ君には幸せになってほしい。じゃないと青宗君ずっと君の心配しちゃうからね」
「イヌピーの為かよ」ココ君はハッと笑う。
「ううん、私の為」

 普通に生きていたら関わる事がないであろう男子を、真っ直ぐに見据えながら言った。

「青宗君が何の心置きなく私といちゃつけられるように、君には幸せになってもらいたい。てか、する」

 大抵の人間は、自分がした悪行から目を逸らす。あの時は苛ついていたからとかそんな風に言い訳を並べながら。でも青宗君は違う。悪い事をしたと真正面から真っ直ぐ受け止める事ができる。それを愚直とか不器用だと捉える人もいるだろう。

 だけど私の目には、ただただ眩しく映った。

 要領よく生きることが妙に上手く、なにかに真正面からぶつかることを避けて生き続けた私の目には、一番星のように輝いて見えた。

 認めたくないことを認めることができる、強い男の子。だから、絶対に。
 
「青宗君が、絶対君を幸せにする」

 確信を胸に、強く言い切る。ココ君は真顔でじっと私を見据えていた。
 
 ホントは青宗君に、ココ君と関わってほしくない。
 
 ココ君を助けようとして、ドラケン君のような目に遭ったら。そんなもしも話が脳をちらっと掠めると、底なしの落とし穴ような、どこまでも続く真っ暗な闇の中を覗き込んでいるような、そんな気分になる。
 
 青宗君がいない世界。不安だとか寂しいとか、もはや絶望という言葉ですら生ぬるい気がする。
 
 でも青宗君は自分の危険なんて顧みない。自分が危険な目に晒されることに大して興味を抱かないだろう。ココはダチだから助ける。以上。そんな体で。そんな単純な理由で。

 それが私の好きな人だ。
 
 そういう人だから彼女になりたいって、

 ――傍にいたいって、思った。

「私の青宗君、超絶格好いいからね!」

 暗い気分を払拭するように冗談っぽくかつ牽制の意味も込めて私の≠ノ強くアクセントを置いて笑う。得意げに口角を上げて見せると、喉の奥の湿った塊が少し溶けていった。
 そう。私の彼氏は格好いい。オッサンみたいなくしゃみするしトイレの時『糞してくる』とか言わんでいい事を報告してくるけど、超絶格好いい。だから、幸せだと強がっているココ君もあっという間に幸せにしてしまうだろう。『少年院出の男とか無理』と辟易していた私の心を、瞬く間に攫っていったように。

 ココ君はハンバーガーの最後の一口を口の中に放り込む。喉を上下に動かしてから、はあっと溜息混じりにぼやいた。

「どいつもこいつもオレが不幸みてぇな言い方すんなっつーの」

 ココ君は思いきり溜息ついて嘆かわし気に首を振ると「帰るわ」と席を立った。
 トレイを片手に私に背を向けるココ君の背中に「ねぇ」と呼びかける。彼は振り向かないまま、足を止めた。
 
「なんで私に会いに来たの?」

 見送る前に、理由は察しているけど問いかける。

 青宗君がココ君の幸せを祈っているのと同じだ。
 ココ君も青宗君の幸せを祈っている。『幸せそうじゃん』と独りごちた時のココ君の顔は、優しさに満ちていた。

 また身近な人をなくしかけた青宗君を思って、私に会いに来たのだろう。
 安全を保障するから傍にいてやってくれと。

 ココ君は私に視線を合わせると、ふっと笑った。青宗君の事を思っているのではない。私に向けての小憎らしい笑みだ。青宗君と私への態度の差があまりにも顕著過ぎる。

「陽子ちゃんに会いたくてさ」
「わーありがとーでもごめーん他あたってくださーい」

 見え透いた嘘に愛想笑いを浮かべて適当にいなす。てかこの人私の名前知ってたのにイヌピーの今カノ呼ばわりしてたんかい。やっぱココ君苦手だなー……。
 笑いながらも取り付く島もない声で跳ねのけたのは、相手が苦手意識を持ってるココ君だからじゃない。ココ君じゃなくても、誰でも一緒だ。
 青宗君以外からの口説き文句は、何も響かない。

「私、彼氏以外興味ないんで!」

 だって、青宗君じゃないから。
 


 
 



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