「なあに?」

 私を、見てる。呼び止めたのだから当たり前だ。けど、当たり前であって当たり前でないのだ。美希ちゃんが、星井美希ちゃんうが私を見ているのだ。きょとんとした瞳の真ん中に私が映し出されているのかと思うと体の芯が熱くなって呼吸がしづらくなってぐるぐると目が回る。呼び止めたきり、あうあうおうおうと挙動不審な態度の私に痺れを切らした美希ちゃんはしかめっ面になった。

「何にもないのー?ミキもう行くよ?」

 不機嫌を帯びた声に「あっ」と声を漏らす。やばい、はやく言わなきゃ。今日こそ言うって決めたじゃん私。心の中で私が私を鼓舞している間にも、美希ちゃんの機嫌はどんどん悪く、かつ、元々ゼロに近しい私への興味が削がれていっている。ふわあとあくびをしたあとむにゃむにゃと唇を合わせたあと、美希ちゃんは眠そうに言った。

「何にもないならお仕事あるから帰るよー」

 ひらりと軽やかに身を翻して立ち去ろうとする背中を見て、衝動的に言葉が口から衝いて出た。

「つ、付き合ってください!!」

 帰り際らしく賑わっていた教室に、突然静寂が訪れた。クラスメートの視線が私に突き刺さる。彼らもしくは彼女らは目でこう言っていた。

『お前…何言ってんの?』

 ほんとそれな。






「ぎゃーはっはっは!!バッカじゃねえの!バッカじゃねえの!!」
「うるさい黙れ!!」

 マックのカウンターテーブルに彼氏と二人仲良く(?)並びながら今日の出来事を愚痴ると、しこたま馬鹿にされた。指を差されながら馬鹿にされた。お前バカバカ私のこと言ってるけどな、そのバカと付き合ってんだよお前!!よってお前もバカだ!!

 あのあと。美希ちゃんはぽけっと口を開けていた。高校生のように大人っぽい美希ちゃんがめずらしくあどけない表情を浮かべていた。かわいい、と思わず見惚れていると。美希ちゃんはぺこりと頭を下げて。

『ごめんなさいなの』

 ライクとしてだいすきな女の子に、私は、図らずも振られてしまった。

「ああ〜〜友達になってって言うつもりだったのにー」
「まー友達って気付いたらなってるもんじゃん。無理に言う必要ねーべ」
「美希ちゃんはあんま学校に来ないし気付いたら友達になるとか不可能って何回も言ってんじゃん。ああー今日久々に学校に来てくれたのにー」

 ああー。ああー。と呻きながら頭を抱えてテーブルに突っ伏す。固い木の感触が額に伝わる。はあ〜と大きなため息をつくと、大きく肩をゆさぶられた。

「ちょっ、おい、葛西!」
「今ほっといてー。は〜、もーやだー。絶対変なやつって思われたー。はあー」
「メンヘラってんじゃねえ!顔上げろ!」

 いつまでもしつこく肩を揺さぶり続ける彼氏に鬱陶しいなあと舌を鳴らす。あまりにも食い下がってくるので渋々と顔を上げた途端に。私は、時間を止められたかのように硬直してしまった。

 きらきらと興味深そうに私を見ている翡翠の瞳。星が瞬くように、ぱちぱちとまばたきを繰り返したあと、面白そうに緩められた。

 ガラス越しに私をじーっと見つめているのは、美希ちゃんだった。

 …は?

 人は心底驚くと『は?』としか思えない生き物らしい。ポッカーンと間抜けに口を開けて目を丸くする私に、美希ちゃんは人差し指を向けながら、口元に手を添えて楽しげに笑っていた。にこにこと朗らかに笑っているだけなのに、否応なしに目を惹かれる。どきんどきんと心臓が熱い。釘付けになっていると、美希ちゃんは誰かに呼ばれたようで視線を背後にちらりと遣った。うん、と頷いてくるりと背中を向ける直前、口が四回動いた。最後にぱちんとウインクを飛ばす。星が飛んだような気がした。

 時間にしてほんの十数秒の出来事だろう。あっという間に駆けていった。

 しゅう〜と湯気を頭から沸かしながら、テーブルにバタンと突っ伏す。記憶を引っ張り出して、美希ちゃんの口の動きを再生する。間違いなく、こう言っていた。

『ばいばい』って。

 ウインクしてくれた。私に。ほんとに私に。他の誰でもない、私に向けて。何の気まぐれかわからないけど、昨日まで話したこともない私に美希ちゃんが関心を持ってくれたことが嬉しくて。美希ちゃんが可愛すぎて。気づいたら不気味な笑い声を小さく上げる私に彼氏が「お前ってマジでレズじゃないんだよな…?」と恐る恐る再確認してきたのだった。

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